なんだかんだ言って、日本人はテレビに「アメリカに住んでいるような感覚」を求めている。
そこで、麒麟がくるの時代背景は世界史レベルでは「宗教改革」の時代にあたる。
つまり「アイドルの誕生」である。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」というものは、
「いじめられた女性アイドル」(プロテスタンティズムの精神)と、「男磨きをした人」(資本主義の精神)
が、有名女と有名男同士身近に接する機会が多いことを意味し、
「有名女が納得した話」を書物に残せば影響力を増すという仕組みをマックス・ウェーバーは
指摘している。
当時の織田信長は「外国の情報に通じていた」という側面があり、女たちにモテたのは当然だ。
島国は暗い空気に包まれやすく、外国の影響を受けやすい。
病気になった有名女も有名男も最後には「医者や看護師」の言うがままになって、
マックス・ウェーバーも56歳で「崩御」している。
斎藤道三が織田信秀に戦で勝ったと言っても、ドイツのベルサイユ体制のように「カネで世界を買う」
「撤退してもらう」という指摘も可能だ。
「アイドルが納得した話」を古文書に残してセールスを見たのも事実だろう。
最後に医者や看護師に任せる人生ならば、「止血剤」というのは「油」に沿革を持つ。
やはり、「アメリカに住んでいるような感覚」を鉄板とするのならば、ヨーロッパの宗教改革、
プロテスタントの登場、アイドルの誕生について語らなければならない。
細川ガラシャもそうだろう。