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谷口克広 / 信長と家康―清須同盟の実体
https://sp.ch.nicovideo.jp/masanoheya/blomaga/ar641171

谷口氏は他の研究家が発表した論文から

「信長と家康の交わした書状の形式、結び、文章の内容から判断して
末期は信長が家康へ送った手紙の形式が主君が家臣に送る形と全く同じであった事から
この頃同盟関係は形骸化し、実質的に家康は信長の一家臣に近い様な地位まで低下していた」

と自説を展開します。

その証拠として1582年、武田氏を滅亡させた後の遺領の分配で家康は
念願の駿河一国を獲得しますがこの時、家康が信長から賜るという形で安土に出向いて
与えられており、もはやかつての対等な関係ではないというのを補強しています。
それでも有名な安土での饗応においては「信長自ら家康に酌をする」等、
ギリギリ他の家臣とは一線を画する様な扱いを受けていた事も特筆しています。
(それでも家康のポジションはいい所織田家の身内で構成される連枝衆にほぼ等しい
準一族扱いでしかないと谷口氏は述べています。)