スカーレット111話レビュー魚拓です(半角スペースの処理はいつもどおりでお願いします)。

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>ジョーは我が子に言いました。
>好きなことをやって食っていけるのは限られた人で、それはすごいことだと。喜美子はそこまで到達した。
>それはとてつもなく孤独で、理解もされない高みなのだと本作は語っているようです。
>「セレブだ、クリエイターだ、ウホウホ〜!」と、バブリーで浮かれ調子、軽薄な世界観とは明確な違いがあって、心惹かれるのです。
>もしかしたら、喜美子のそういう姿勢が「気取っている」と、ムカついてたまらな人もおるかもしれません。
>けれども、これもリアリズムやで。

このスレではかなり以前から、また先日来、武者氏は「自分が孤独なのは、自分がクリエイターだからだ」と勘違いしているのではないか、というご意見がありました。
私も基本的に賛同するものですが、上に引用した今日のレビューの2ページ目の記述を読んで、武者震之助はもっと凄い人物なのではないか、と思いました。
自分は並みのクリエイターではない、凡人には理解されない高みにある「ライター」なんだと思い込んでいる。凡人とて賞賛の言葉なら聞いてやってもいいが、批判的コメントは抹殺して当然。
誰か(名前失念。西洋の詩人)の言葉に「選ばれてあることの 栄光と孤独 ふたつながら 我にあり」というようなのがあったと記憶していますが、これこそが武者氏の自己認識(事故認識ともいう)ではあるまいか。
引用部分最後の「これもリアリズムやで」という言葉から、そのような武者震之助像を妄想してしまいました。