【2022年大河】鎌倉殿と13人part3
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当時は親子兄弟で苗字がバラバラだよね
ドラマどうすんだろ
加賀美の長男が秋山で次男が小笠原で
とかやったら視聴者が死にそうな
武田信光は最初から武田で通すかもしれんが一条忠頼は?
結城朝光は小山で行くんかな わかりにくいから所領を苗字にしたのにそのことによってわかりにくくなるジレンマ
まあ鎌倉さんが鎌倉にいたり江戸さんが江戸にいるだけわかりやすい 織田信長の時代、細川といえば細川昭元(本家の京兆家)のことで、
藤孝(幽斎)とか忠興とかは庶流もいいとこだったので長岡姓だったんやで?
それよりはずっとマシ
ゆえに昭元は大河や時代劇ではまず完全スルーされる 北条は平氏!我らは源氏!ゆめゆめ忘れるでないぞ!
はいいけど赤旗に三鱗という奇怪なものを出してたな<太平記 坂東武者は平氏が多いね
源平合戦は平平合戦ともいわれる 坂東平氏だから
源氏は関東の周辺にいる
藤原氏もちょっとその傾向 >>469
そもそも平忠常が源頼信の家人だったのだから、
強調してもあんま意味ないんだよねぇ>坂東平氏
源頼義が平直方から鎌倉の屋敷その他を譲られた時点で、
坂東は河内源氏のナワバリ、勢力圏
坂東平氏はただの在地の家来ってこと さらに言えば、出自がはっきりしている大掾氏とその一族、城氏や海道平氏などとも異なり、
平良文流は古代からの在地豪族による仮冒の可能性も指摘されている。
坂東平氏は、河内源氏からも、明らかに下にみられているのだ
(正室の)縁組の対象としては見なされず、家人扱い、というか事実、家人である 源頼義に鎌倉の屋敷その他を与えた平直方も、出自のはっきりした平国香、貞盛流
平良文流を称する坂東平氏には当事者能力がない
自力で領地を支配、要求を通すことはできず、
上の方で決められたことを押し付けられる存在でしかない
上総権介を世襲する平広常も例外ではなく、
上総介に就任した藤原忠清に干されて、散々痛めつけられたわけだ
身一つで坂東へ下った源義朝ですら、
坂東平氏と通婚せず、波多野氏から側室を迎えたにとどまるのは特筆に価する
(坂東を掌握しつつ、どうしたらこんなことが可能なのかと不思議に思う) 良文流は仮託であったとしても忠常や将門の末裔を自称し朝廷に反抗する意思を顕にしてる存在 475
義朝の坂東進出については
初期は摂関家の荘園支配機構、後期は鳥羽院の知行国荘園支配機構にのっかったもの
という説が割と通ってる。
あと坂東在地勢力との関係を見ると初期は上総氏の後だて、後期は相模の在庁系三浦との結びつきが大きいと言われてる。
波多野は在地領主の面と都の下級役人の両面をもつ(一族で都担当と在地担当を分担)
どっちかっていうと都系の方から側室もらったかも。 為義は義朝を関東の抑え、義賢を自分の後釜に据えようとしたのかな? 義朝は勘当同然とされてますね
河内源氏は「摂関家の犬」なのに、
義朝は院に接近して、自力で従五位下下野守任官、
受領となって父の為義を超越しました 大倉合戦は当時の源氏の扱いがわかる象徴的な出来事で好き >>483
義朝や為朝みたいな暴れん坊は子供の頃から勘当同然のように関東や鎮西に送っちゃう為義パパの中では義賢が後継者候補で、その後は頼賢に変わったんだと思う
自分含め間接的にみんな義朝にやられたけど
ところで為義パパは何人子供がいたんだろ
十郎行家以降の惟義やら亀若なんて史料に乏しいよね 国香流はなんであんなに政治力があるんだ
片方が清盛で片方が北条て異常だろ 河内源氏嫡流の5男あたりに生まれて寿命を全うするという達成困難なミッション課せられたらどうしたら良いんだろ?
兄弟全員皆殺しか出家して自分で目玉抜くぐらいしか思い付かないわ >>493
陸奥六郎殿(源義隆)のような例もあります、落武者狩りに遭って討死しちゃったけどね
子孫も残った(源姓毛利氏、森氏) 戦で大暴れした為朝が流罪で済み、
無関係の元服前四人の幼子が処刑される理不尽 悪源太義平も生き延びたところで頼朝には義経同様に戦のために使い捨てられたあげく殺される未来しか見えない
その前に頼朝の旗揚げにも応じず義仲のように独自路線を貫いて敵対しそうだけど 義平は大蔵合戦はじめ実績があった、坂東平氏の諸豪族とも面識があったので、
坂東の武士が一枚岩になるのに時間がかかった筈
義平に一本化されるにせよ、頼朝に一本化されるにせよね
とても史実の頼朝のようなスピードではコトが進まなかっただろう 積極的挙兵ではなく以仁王一派の平家による残党狩からの防衛戦 行家と義平
頼朝と亀若
伯父甥だけどタメくらいだよね 鎌倉時代や室町時代は子供に困っている感じがしないのに
江戸時代になると急に子供に困るイメージがあるのはなんでなんだろうか 江戸時代の大名ってそんなに男子の死亡多かったんか?
だとしたら水銀中毒だろうな 武家諸法度で婚姻が許可制になったのが大きいでしょ
それまでは自由にあちこちとくっついて子供増やすことが可能だった
鎌倉期なら家の前通った女は自分のものだしなw >>511
大名同士の婚姻は江戸幕府の許可制になったため正室は幕府が決めたが
側室や妾は御殿勤めの女中で好みなのをお手付きにしていたからそうでもない
徳川吉宗の生母は一説に百姓の娘とも言われているし
島津久光の生母は大工の娘だの八百屋の娘だの言われている
江戸時代以前から正室は政略結婚で本人同士が決められなかっただろう >>500
足利の平島や喜連川がまだ現存するはず
もちろん徳川も >>513
阿波の平島は明治維新で庶民になったはず
喜連川が血統的にはトップだが力がなあ…
嫡流云々より大きな力を持って生き残った点からしたら、肥後藩主、華族、熊本県知事の庶流細川が実はゲンダイ源氏のトップじゃあるまいか? 得宗家は子供結構危うかったけど
泰時の息子は全滅だし時宗も危ない >>518
そこはすでに同族内や安達氏との近親婚の影響が指摘されてるわけで >>488
為義は、天下60ヶ国に合わせて、60人の子を持とうと頑張っていた 得宗正室が男児うまない可能性もかなり高いはずだが
きっちり残すあたりがしぶとい
義時に至っては正室3人いてみんな男児残すから一門繁栄するし >>520
そう言ったらしいね
ただ保元物語にしか出てこない、鶴若、亀若、乙若、天王なんかは本当に実在したのかな?って思う 金権腐敗売国土下座利権世襲自民、安倍政権を見てもわかるが、
日本の権門・官僚機構は記録を残さない上に、改ざん、隠滅、廃棄上等
漢籍だけはやたらと保存するがな┐(゚〜゚)┌
新井白石、伊藤博文(憲法義解)、陸奥宗光(蹇蹇録)、
原敬(原敬日記、「当分世間に出すべからず」と遺書で厳命)
宇垣一成(宇垣一成日記)とかは例外的 日露戦争、ロシア革命への日本の工作、資金援助とかは
伝聞では残っているものの、ほぼ歴史の闇に葬られてる >>526
女とみれば見境なしに手を付けているからな
遊女から庶民の女まで何でもあり 頼家は女好きなとこも義朝に似てる
実朝は誰に似たんだか 蒲冠者は母が遊女だったな
遊女と白拍子はどちらが上なのか? 義平:遊女の子
朝長:官位持ちの地方豪族の娘の子
頼朝:院近臣の娘(由良御前)の子、嫡男
義円:よしかど、由良御前の子?
希義:由良御前の子
範頼:遊女の子
阿野全成:白拍子(常磐御前)の子
義円:ぎえん、常磐御前の子
義経:常磐御前の子 義平は長男(庶長子)で実績(大蔵合戦)も十分なのに無官だから、
その異説とやらはまともに取り合う必要ないですよ、よほどの出自の低さが容易に推定できます >>534
常盤御前は白拍子ではない
庶民で中宮藤原呈子の雑仕女(水仕事などの下働きをした下女)
>>531
白拍子は芸だけで生計を立てるわけでなく宴席に侍った後は売春もしたから
遊女の一面もある >>539
あんたに根拠もなく勝手にダメ出しされるいわれはないよw
もし長兄(庶長子)義平の母親が本当に三浦氏(三浦介)なら、
波多野氏の娘を母に持つ次兄朝長との官位の差はなぜ生まれるのか説明してみw >>528
実朝は正妻の坊門氏とは仮面夫婦だったのかな
坊門氏の姉は後鳥羽上皇の寵愛する女官で何人かの子供を産んでいるのに妹にはいないのは・・ 義経不細工説とかあるけど母親が千人に一人の美人なんだし、やっぱしイケメンな部類だったと思う
というか顔で選ばれた遊女の息子は義仲みたいにイケメン多そう
為朝、為仲、義平、範頼あたり Wikipedia 鵜呑みなら義平は無官だが左衛門少尉任官説がある。 義平、朝長、頼朝は平治の乱で敗北した後は一緒に東走したんでしょ 緊急事態、改憲論議も必要 安倍首相―野党は「便乗」批判 2020年04月07日
://www.jiji.com/jc/article?k=2020040700750&g=pol
スマホ個人情報収集も コロナ対応 政府想定、本人同意なく 4月3日 赤旗
://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-04-03/2020040302_02_1.html
【東海アマ】
独裁志向の政治家は、強権を濫用できる「緊急・非常……宣言」が死ぬほど好きだ。
だから、さっそく、こんな個人的権利の独裁管理、蹂躙問題が浮上している。
自民党政府は、すでに、携帯各社に、位置情報や個人情報の提供まで求め始めていると赤旗が指摘している。
もちろん、最初は恐る恐る、国民からの反感がないとみるや、
今度は、国民のプライバシーや、個人的自由の思想に直接介入してくるのだろう。
案の定、安倍は、緊急事態宣言とセットで、憲法改定が必要だと言い出した。
実朝は疱瘡わずらってアバタ面なんだっけ
気にして奥方にはあまり近づかないとか女性を避けるとか?
まだ若いのに周囲が子作り諦めてるから女がダメだった可能性あり >>548
同母弟だから可愛がってたらしいしね
逆に言えば正室から見た異母弟なんて後継者争いのライバルでしかない 同母兄弟は粛清の優先度低い、最後まで頼れる身内であるケースが圧倒的に多い
足利尊氏直義兄弟だって、直冬がいなければあのようにはならなかった
戦国時代になると、織田信長-信行、伊達政宗-小次郎のように
同母兄弟で殺し合うケースも見られるようになる 範頼と義経は将として西国に送り義円は側近くに置いておいた頼朝 >>552
全成でしょ
ところで頼朝と対立した叔父を我が子を人質に出してまで庇ったりした義仲は河内源氏の中ではかなり身内贔屓なほうだよね
都に入るまでは周りの人望もめっちゃあったらしいし 都で一緒にいた奴らって別に義仲の配下じゃなかったし(行家とか甲斐源氏とか)人望ない扱いはかわいそうなような >>553
単にメンツの問題でしょ、志田義広を引き渡したら、
リーダー失格、源氏の棟梁失格になる、
もちろん最初から受け入れを拒否するという選択肢もあったが、
一旦、受け入れた以上は拒否するしかない
義高を人質に出したのは鎌倉との力関係の問題、
人質に出さないと義仲は進撃できない
頼朝としても、義仲が平氏と和睦し、
奥州藤原氏と組んで包囲網を敷かれても困る
義仲にせよ、義経にせよ、急ぎすぎというのはあるよね
結果として頼朝のお手伝いをしただけなのだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています