>>762 より続き

それで話を戻して、この 762 の武者氏の文章、長谷川博己の擁護をしているようで全然擁護になっていないと思うのだが、私も
この作品の明智光秀は主役として影が薄すぎると思う。私が見てきた大河の中で「一番陰の薄い主人公」かもしれない(今のとこ
ろ)。

「真田丸」と比べてる人がいたが、あの場合主役の真田信繁はきちんと存在感があったし、「信繁が見た戦国時代や戦国武将」
というのが描かれていたと思うが、本作光秀の場合、「光秀が見た道三」とか「光秀が見た信長」になっているとはいえないし、個
人的には架空キャラクターの駒より存在感がなく見える(「駒いらない」と言っている人が多いのは知っているが、私は駒よりも「光秀い
らなくね?」と思ってしまう)。

その理由を考えてみたが、武者氏が高政に言っている「自我」を光秀に感じないからだと思う。明智光秀が何をしたいのか私は今の
時点でよく分からない(高政のやりたいことが正しいかどうかは別として、彼のやりたいことは理解できるのだが)。

例えばここまで15回まできているが、今の時点で光秀が道三につきたいのか高政につきたいのか全然分からない。というかどっちについ
てもいいような気がする。いや、これが「真田丸」の真田昌幸のような表裏比興なら分かるが、光秀はそういう人間ではない。それな
のに立場が全然はっきりしない。いや彼が立場的にどっちを選んでも苦渋の選択なのは分かるが、ここまで見ていて「光秀がどっちの味
方をしたいのか、それとも決めきれず苦悩しているのか?」というのが全然見えてこない。

続きます