>>113
史実では光秀は足利の下っ端で仕えていただけで
つながり、というほどでもない。
京都守護、丹波攻め、このあたりを高く評価されての
「天下面目」であって、足利将軍追放したからといって
その場で、光秀が用済みなんてことはない。
逆に実務を評価されてる。