>>672
知多半島は常滑焼きの産地で戦国時代には日本有数の大工業地帯。
この地を統治すれば
莫大な税収入があるので今川義元は西進し、それを奪われたくない信長が桶狭間の辺りでぶつかった。
当時の知多半島は全域に1000ヶ所も窯元があったそうです。
常滑焼きは平安時代から全国的に流通しており、奥州平泉でも多数出土してる。
この地の領主は水野氏(家康の母親の実家)、後に信長によって水野氏は処刑され知多半島の利権は信長が獲得しました。