【第四十三回】太平記part.43『足利家の内紛』
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>>1
乙にござる
されど我が新田は>>1殿と違うて貧乏御家人
これから新田庄に帰り田畑売って戦に備えねばなりません 師直は、原作のイメージや尊氏とされたきた肖像画からすると柄本より塩見だな 柄本は師直の有能さと気味悪さとスケベさを余すところなく演じて素晴らしい 白塗り塩見さんも見たかったw
柄本も良かったけどね、芸者コントの再来みたいで 東映ビデオの「特捜最前線」V0L・3に、一色右馬介役の大地康雄が出てる
「太平記」の4年前 この頃はまだ悪役が多かった >>5
今やあの肖像は、教科書なんかでは、ただの「騎馬武者像」って書かれるように
なっちゃったのだよねw
まあ鎧の家紋から高一族の武将の可能性が高いわけだけど。 CD化されたマインドゲームを初めて聴いた時は
何て退屈な表題曲なんだろうと思ったな。
このあたりでジョンの才能は枯れ始めたんだろうと感じた。
でもつい最近、超久しぶりに聞いてみたら
退屈な印象は変わらないいけれど、
それでもなんだか、「今の時代から振り返ってみると」
アイロニー込みのせつなさが感じられて
ちょっとだけ評価しなおした、
まぁ本人が意図した聞かれ方ではないんだろうけど 登子が師直のことをいつ会っても初めて会ったような感覚でございまする〜って言ってたのが何とも言えなかった 日曜の重賞に判官殿の馬が藤夜叉…じゃなくて
藤田菜七子騎手で出馬するそうだけど
今週は出番ないんだっけ? >>10
えっ
初めて知った
あれ師直なの。なんとなくショック 北条一族滅亡でピークに達したように思って、後半は退屈に感じるような奴がいるけど、
後半はやたら正義感ぶる直義VSバサラ悪漢師直の対決で盛り上がるからな。 >>1
動座じゃ
このスレに動座じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ この大河ドラマ太平記だと長崎円喜と長崎高資が鎌倉幕府の悪の親玉として
描かれているが
各出版社の漫画日本の歴史読んだら長崎円喜と長崎高資の出番は少なく
北条高時が鎌倉幕府の悪の親玉として描かれている
政治をいいかげんにして闘犬や田楽で遊び呆けて
幕府をつぶした馬鹿執権として描かれているけどな
大河ドラマ太平記の北条高時も闘犬や田楽で遊んでるけど
そんな悪人と言う描かれ方でも無く
長崎円喜と長崎高資が鎌倉幕府の悪の親玉として描かれているな
大河ドラマ太平記と漫画日本の歴史の悪の親玉が違う人になってるのは何故なんだ?
誰か教えておくれ 太平記は原作で長崎が鎌倉幕府を滅亡させた要因と決定づけている
漫画系の歴史本は鎌倉幕府の組織自体を簡単にしか説明してないので、北条については得宗家と六波羅探題くらいしか描かれてないケースが多いので長崎を出しても話が繋がらない 昔の歴史話だと鎌倉幕府は執権政治で高時が滅亡の原因とされた
もともと北条政権は悪政して評判悪かった訳ではないから遊んでた人
となってたが
その後執権政治だけでなく得宗専制とかいう区分が歴史学で定着して
内管領が悪の親玉みたいになった
しかし執権引退して遊んでたら怒られるんだから得宗は大変だねw
生涯仕事せにゃならんのか こんなかんじ?
将軍(飾り物の守邦親王)
執権高時(得宗家でも無能で異常者)
内管領(得宗家の御内人長崎高資しかしぼんくらで円喜によく怒られる)
長崎円喜(出家後も権勢をふるう悪いやつ) 内管領というとやっぱ平頼綱が独裁者の暴君てネガイメージで
得宗の貞時はそれを誅殺して政治を立て直そうとしたからポジイメージ
古典太平記でも貞時は時頼と同じく諸国を歩いて民のために尽くしたて書かれる
滅亡時は内管領の高資が腐敗してて悪役、高時は無能のバカ得宗と描写
でも基本得宗は歴代善政行ったポジイメージで書かれるしこの大河でも
そういう位置づけになってる
内管領はやはり悪役
建武式目でも武家政治の理想を義時泰時に求めてるから
当時は得宗専制時がよろしくない内管領が悪い
て考えがあったのかもな…で太平記もそういうノリで書かれた
この大河の特徴は円喜を前面に出してるとこだな
円喜はそんな悪いイメージないと思う >>17
内輪揉め好きな私は後半も好きよ
しっかりしろよ、尊氏
お前も言うようになったな…直義
地が出てきたな、師
悔しい、悲しい、辛いよなぁ、後醍醐
図太くなったなぁ、登子
もう人踏ん張り頑張れ楠木 師直が家臣のお持ち帰りしてきた若い女をじーっとガン見するシーンがおもろいw
あの何ともいえない表情は柄本明しか出来ない 判官土下座
腹の中では「土下座ごときで命が助かれば安いもん」って思ってるのが見え見えw 長崎親子と絶頂期の高兄弟を対決させたいw
どっちが勝つかな >>19
大河北条時宗に出てくる高時はいかにも利発そうな感じだった。
時宗妻(史実では既に没)に執権就任の挨拶に出向くという設定で。
将来政治を放り出して(正確には長崎・金沢等に任せた)田楽闘犬にうつつを抜かす奴には見えなかった。 高時の場合は家督を継いだ頃からもう内管領の操り人形みたいな状態にならざるを得なかったのだし
自分の意志では何もできないことを悟って無気力になるというのは人間心理として理解できる
状況としては源実朝に重ねられてる部分もあるんじゃないか 得宗家は北条のシンボル的存在なので善政をして御家人や民の信用を得て幕府を安泰にする
内管領は幕政の汚れ役を引き受けて人に恨みを買う役割や裏の仕事をすべて担って得宗家への御家人の忠誠と民への治世を絶対的なものにする
双方のバランスか崩れると得宗家が内管領を変えたり、討つこともあったが、長崎親子の時にはすでに得宗家がコントロールできないくらい内管領の実権が大きくなってた感があるもはや、御家人どころか北条の庶流全てが束になっても長崎親子に対抗できなくなっていた
まあ、それが結局、朝廷とのいさかいの理由になり、民の心が離れ、地域の悪党や土豪、ひいては御家人の離反を招いたんやろな 「美しいものでは、長崎殿は倒せぬ。美しいだけではの…」 >>19
そりゃドラマと学習漫画じゃボリュームも目的も違うでしょ
小中学生向けの日本史のお勉強なら鎌倉幕府の腐敗が理解できれば良いわけで幕府の北条氏の得宗の御内人の長崎氏に紙面を割いてもしょうがない 結果論として得宗家の内管領が長崎なのに得宗家が長崎の専横を許して闘犬や田楽にうつつを抜かしてたのは事実やしね
それが長崎へ対抗心無くしてのことなのか、そもそも幕政に関心がなかったのかは、あまりじゅうようなことではないのかもな、漫画歴史的には 高時が長崎高資討とうとして失敗してたしな
よっぽどムカつく奴だったんだろう
しかし得宗家に執事ができるの泰時の代で
その前の義時は幕政と家政と両方やってたのか 親父の貞時も晩年政務放棄してたのを見てた高時からすれば
長崎討とうとして失敗しちゃったらもういいやって無気力に引退しちゃうのは理解できる しかしだな、再放送が始まってからスレの勢いがな〜 >>24
得宗専制体制を確立したのは貞時だけどな。
ただこういう専制体制って、結局はトップが有能でないと上手く回っていかない
仕組みなんだよな。
まあその意味では、長崎親子の専横を許した高時が能力不足であったのは間違いないが、
かといって幼少期に父親を亡くし、その後も内管領長崎氏と外戚安達氏の抗争に延々と
振り回され続けた高時が、政治から離れて闘犬や田楽舞に現実逃避したくなったのも、
分からなくもない。
あまり健康な人でもなかったようだし。 円喜が専横をもちつづけたのはやっぱみんなから支持されていたんだろうなと 彼がうごけば国も動く
今回のコロナの緊急事態宣言もとくにに罰則もないのにみんなしたがった みんな納得してたんだな 円喜もきっと圧力ではなく説得して国を動かしていたに違いない >>31
足利義政と重なるところもある。
>>32
朝廷との件に関しては、後醍醐天皇は仮に幕府がどんなに善政を敷いていたとしても、
必ず執拗に幕府打倒を仕掛けるだろう。
その意味では、朝廷に後醍醐天皇という稀代のモンスターが出現してしまったこと自体、
幕府にとって不運なこと。
>>37
貞時の政務放棄は嘉元の乱がきっかけだから、高時が嘉暦の政変で執権職を
放り出したのと構図はそっくり。
やはりこの二人は親子だ。 後に暗君と評されるような人物も最初は熱心に政務を行ってるというケースは多い
暗君の代表のような明の万暦帝も幼少期は利発聡明で大器になると言われてた >>42
スパルタ教育でゆがんじゃったタイプだしな万暦帝
うまくいって大成したのがフリードリヒ大王 貞時は周りで信頼できる身内が従兄弟の師時や宗方ぐらいしかいなく孤独だったのだろう
宗方は嘉元の乱で失うしやる気がなくなるのも無理もない なんで晩年政治放置した貞時に時頼みたいな廻国説話が?
と思ったが執権辞職して引退した得宗がこの二人だったという 得宗家てとにかく当主が若死でさ
後継がまだ子供で当主になるてのが代々続いたのも
御内人が出張る一因だったんじゃね
時宗の時にはまだ政村みたいな得宗の息子が庶流にいたんだよな もしも「このような裏切り者、次はわしを裏切る」って円喜が判官を斬り殺したら。 道誉も近江源氏の棟梁で畿内や西日本では影響力の大きな御家人やからな
公然と切り捨てるにはそれなりの大義名分がないと世の乱れの原因になる
だからこそ、闇討ちしようとしたのかと 前スレの書込みについて
加藤嘉って自分的には「砂の器」のイメージなんだけど
「真田太平記」の矢沢叔父さんもやっていたのか
子供心ながらに丹波演じる昌幸も一目置く硬派爺さんの雰囲気が凄かった 足利義政はむしろやる気があり過ぎて
余計なことにまで手を出しまくったら
やることなすこと全部裏目に出た人 昔読んだ日本の伝説の本で
北条は功徳があったため
9代にわたって天下をおさめさせましょうてお告げがあった
なんて話があったが
足利は、先祖が生まれ変わって天下をとる
北条は、功徳がおわって衰退期をむかえる
なんて認識はあったのかな
後付けかな >>46
蒙古の脅威という非常事態への対処という口実で、得宗への権力集中を図る一方で、
短命の当主→若年の跡取りというパターンを何度も繰り返したからな。
結果、執権が主宰する評定は形骸化し、実質的に内管領が主宰する得宗邸での寄合が
幕府の事実上の意思決定の場のようになる。
ただでさえ、本来頼朝が開いた幕府を北条氏が牛耳る正統性は正直弱いのに、さらに
こんな状況になったら、遅かれ早かれ御家人の不満が爆発することになるわな。 >>52
義政はいろんなものに手を出すけど、どれもこれも行き当たりばったりで中途半端という
印象があるかな。
いろいろ自分でやろうとはするが、周囲がいろいろ言ってきて上手くいかないと
中途半端に投げ出して、ただそれでも未練タラタラなので暫くするとまた中途半端に
弄ってみて、という繰り返しのイメージ。
応仁の乱の一因となった斯波や畠山のお家騒動だって、義政が中途半端に余計なことを
して、しかも方針がコロコロ変わるから、結果かえって問題を複雑にしたようなもの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています