【第四十三回】太平記part.43『足利家の内紛』
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>239
中納言という高貴な殿上人の来訪に、館の侍女達は物珍しそうに藤房をのぞいてはコソコソとしゃべっている。
そんな中、正成は藤房と対面する。開口一番、藤房は「詔(みことのり)です」と 高らかに言い、帝がその方を
お召しになっている、即刻笠置へ参上せよ、この冥加ありがたくお受けなされと一方的に正成に向かって言い
渡す。しかし正成は自 分は力無く才無くかえって足手まといになると言って「ひらにご辞退申し上げる」とあく
まで拒否する。これには藤房も引くに引けず「この藤房もここは動けん。思案の付くまでここで待とうぞ」と座り
込みを決める。「こは迷惑な…」とつぶやくように言う正成に、藤房は帝が見たという霊夢の話を語り出す。
「この藤房、夢などは信じぬ。だが夢にでもすがらねば…笠置は…主上のお命が…」と涙ぐむ藤房。正成は
黙っているだけ。ひとまず藤房は近くの寺で夜を明かすことになった。
正成と久子は庭にある柿の木を見ながら、久子の嫁入り以来のことを語り合う。この地方の習俗では女は柿
の苗を持って嫁に行き、嫁ぎ先の庭に植え、一生を共に過ごして死んだらその木を切って薪にして焼いてもらう
のだ。正成は言う。「男はこう言われるのじゃ…その木を長う使えと…まちごうても己の手で切ってはならんと…
だが、男は戦があるでの。戦は女や子供を巻き込むつらい修羅だ…わしはそれが嫌なのじゃ」しかし久子は
「殿、木も生き物でございます。家の主の誉れは木の誉れ」と言って正成を励まし、「木のためにお迷いなさい
ますな!」と突然斧をとり、柿の木に振り下ろした。斧は柿の木に食い込む。久子は自分のしたことに驚くかの
ように、凍り付いたままそれを見つめる。その目からは涙がこぼれていた。そんな妻をじっと見つめた正成は、
干し柿を口にしながら、「久子…長い戦になるぞ…長い戦に…」と言い、「多聞丸を、頼む!」と立ち上がった。 >>239
太平記大全でググりなさい
>>1にもリンクがある(43回だけど) >>240
ありがとー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! >>231
九州の件は、何度も既出。
一回限りの登場人物が多くなりすぎて視聴者は混乱するだろうし、描くのが大変なだけ。
>>241
太平記ヲタで「太平記大全」のサイトを知らない奴がいるのが信じられん・・・。 得宗家が筆頭株主でオーナーだが
会長・社長は分家(赤橋や大仏など)でもなれる
トップの二人のうち一人は得宗家
形式的には摂関家か皇族の名誉会長が存在
得宗家の私的事務長の内管領が大きな権力持っている
役員会の評定衆は形がい化している
こういう解釈でいいのかな? 内館脚本だったら「毛利元就」のように最終回でそれまでに死んだキャラが尊氏の功罪を言い立てる展開になってたのだろうか
(と言うよりあの頃はエヴァの影響を受けて訳の分からない投げっぱなしの最終回があらゆる所で行われていたな) >>239
今時その都度その都度録画してるのか…? >>243
過去スレで何度も話題になってるのは知ってる
本放送時の想い出って事で書き込んだ >>247
>>249
世の中には生ける化石みたいな人もいるものなんですねw >>162
ショーケンが、「冠者は妻設けに来んけるや」やるか?w >>221
松平健は、暴れん坊吉宗よりも北条義時のほうが、よっぽど天下人 北条泰時も両方持ってるな
美しさの方が強調されるが結構権力者としてえげつなさもある
オヤジの方は醜さを強調されるが結構弱いものに優しいし清廉さもある
で結局この父子が武家政治の理想として建武式目に
直義の趣味なのか官僚の郷愁か 葵で家康が言ってた「心に一匹の鬼を飼わねばならん」というやつだな
尊氏にもう少し冷酷さがあればもう少し安定感のある幕府になっただろうか >>255
義時は確かに鬼は飼っているな
鎌倉幕府の革命第一世代は全員心に鬼を飼っているだろう
頼朝・時政は一匹ではないだろうけど >>245
アンタその例え、的を得すぎ。
感心した! >>256
北条は義時・泰時は優秀だけど、時政に関しては、根本的にはタダの田舎のオッサンが、
たまたま頼朝の舅になったことから有頂天になって、滅茶苦茶やって周囲を困惑させた
ってイメージしかない。 泰時も異腹の弟とずっと仲悪くて息子もいないから
若い孫に継承させる時が一番緊張感あったろうが
仲悪い弟が結局出家して引退して兄弟喧嘩は起きずに終わった
足利兄弟はこんなに仲良しなのに逆に戦って毒殺に至る
足利家が大きかったのと周囲の声も大きいために
兄弟間の問題では終わらないってとこか
>>258
時政は政子と似てる
猪突猛進系 >>245
内管領はオーナーの専属筆頭秘書という感じやろ
あくまで社内での地位は低く、重役でも株主でもない
だが、オーナーの権力、財力、人事力の全てを代行して指示してる感じかな
オーナーと面談するにも相談するにも裁可を仰ぐにも全て筆頭秘書の許可が必要ということ 泰時はその政権の初代トップではないからねぇ
頼朝は念入りに弟や有力者を殺したし
家康は異父弟は居たけど、地位を脅かすような血族とかは居なかったから >>254
まだ得宗専制になる前で、評定衆の合議で政権を運営していたというイメージから、
直義に限らず有力御家人層の多くには、この時代への懐古的な意識はあったと思う。
しかし直義がそれを重視するあまり、新興武士層を軽く見たことが、その後に起こる
観応の擾乱の伏線になると。 新興武士層を足利幕府の御家人化できれば安定してたのだが、南朝という存在があったので武士らも自分の都合で北朝と南朝を使い分けてたからなあ
そもそも尊氏がそうやしw でも鎌倉幕府の評定衆て公家が多くないか
それに満足する心理てのもよくわからん 鎌倉幕府時代はなんだかんだで朝廷へのリスペクトはあったのやと思う
なにせ、わざわざ血統が絶えた将軍に公家や親王を戴いていたわけやし
むしろ、南北朝時代は武士もだが公家も南北に分かれてズタボロの闘争してたからリスペクトもクソも無くなっていってる 評定衆に任じられてもオレわかんねーし!とかめんどくせー!
とかで辞退してたのが御家人だよな
そういう状況だと内管領の寄合がでかい顔してもあんま文句言えないんじゃ
倒幕は純粋に利害の問題だったと思うしそのせいで南北朝gdgdに 俺の中で当時の板東武者って読み書きが不得意で政治的思考力が弱く相手に舐められたら殺す弱っても殺すとりあえず殺すというイメージがある バンデットの貞氏かw
読み書きについては、荻生徂徠が戦国期の坂東武者はきわめつけの文盲と
書いてたからその通りだろう 中世までは書状の字がやたらと美しいという話が面白かったな
その美しさ自体が力を発揮していたらしい
文字の読めない人たちには尚さら神秘的に感じだだろう 鎌倉初期は公家と坂東武士の教養や貴賤の差は絶対的だった
土建屋のおやじとキャリア官僚くらいあった
アルファベット読めない市会議員みたいなもの 良いじじいで死ぬくらいなら血しぶきの中で地獄へ堕ちるが本望だ >>273 たしか『風と雲と虹と』でもそんな場面があったね 宮廷で警護する平将門に上司の公家がしかりつけていた
「なぜ会話で『違います』と否定するのだ まず『そうですね』と肯定してから話せ!」と
たしかに関東の人間は『違います』とか『そうではありません』とか平気でつかうよね 正直であることが良いことだと思い込んでる 俺は反省した もっとはんなりとしないと >>237
執権が赤橋守時に交代しても
北条高時結構登場してるな
やっぱり得宗と言う血筋だけで北条一族のリーダー的存在なんだろうな
各出版社の漫画日本の歴史でも幕府滅亡時に
他の人間を差し置いて北条高時が残念だとか言いながら登場してるな >>259
猪突猛進の猪武者て時代を突破するにはいいかもな
新田もそんな感じか
新田に義時みたいな策略家がいれば >>276
はたから見ると病弱な高時よりも元気な弟の泰家が当主でいいじゃん
思うがやっぱ長男が得宗なんだな
そういえば高時引退後に泰家を長崎が執権にしないんで泰家が怒った
てのがあったような
さすがに得宗家の弟だと長崎も操れないんだろう
そんで庶家を執権にした
この大河では後醍醐暗殺の時に突然出てくる泰家w >>265
実際、畿内周辺の新興武士層の御家人化は結構やっているはずだよ。
ただ「御家人」という肩書き自体を一種の特権と思っている鎌倉御家人系の武士に
とっては、御家人層の拡大を快く思わない意識もあり、これも観応の擾乱の伏線になる。
まあそもそも御家人層の拡大の是非は、元寇の頃からの懸案事項だし、霜月騒動とか
鎌倉後半期の幕府の内紛にも、このことを巡る考え方の違いが背景にあるって話だけど。 >>278
泰家が執権でまとまりかけていたのを長崎が潰した
金沢が執権になるが泰家が怒っているので赤橋守時がなった。
というのが通説かな?
新田討伐軍の指揮官も泰家、分倍河原の戦い
石なんかより登場させてほしかった >>269
御成敗式目で悪口の禁止てのがあって最初は見たときは
随分礼儀正しいな思ったが単に
悪口がそのまま殺し合いに発展するからだというw 武士なんてみんな殺しあって死んでしまえばいい、的なことを石が言うシーンがあったけど、
そういう平民目線も脚本家としては捨て置けなかったんじゃないかと ただこの時代に武士と庶民の境界がどれくらいハッキリしてたのかわからないけど 戦時中は湊川の戦いが美化されすぎて玉砕や総攻撃の理由になったみたいだ 負けたイクサをみならってどうする
楠木正成を見習うのはもっと手前の部分だろ と 原作の地下人のしたたかさを持つ藤夜叉の方が好きだな 時行が長い間戦い続けられたのも得宗扱いで各地の北条氏ネットワークがバックアップしてたからなんだろうな 高氏と藤夜叉がまぐわった正中の変時の道誉の館跡は特定されてるの? 京極高辻じゃないの?
代々そこに館があると思ってたけど
それとも建武の新政後からなのかな 本拠地の方で、伊吹山中 藤川の高台って表現があるのですが、調べるとその辺りの城館跡は道誉以後らしくて…。 正成が主役なら湊川ですっきり終わるな
ただし前半生が麒麟みたいになりそうだ >>278
経時から弟の時頼に執権が変わって経時の子供達は無視されて出家した前例があるからな
高時も反対した可能性もある >>290
伊吹山の館は次の話で道誉が花夜叉一座連れていった場所だよ
時宗の輩に貸していたらボロボロにされてしまったとか言ってたところ >>291
その場合は桜井の別れの伏線回収が残るから正行(正時、正儀)はナレ死させられるのかw >>289
佐々木京極氏の「京極」は、道誉の曾祖父である初代氏信の京都での館が京極高辻に
あったことに由来するはず。
また近江源氏の嫡流である佐々木六角氏の「六角」も、初代泰綱(氏信の兄)の京都での
館が六角東洞院にあったから。
ちなみに泰綱・氏信兄弟は、北条泰時の外孫にあたる。
>>290
伊吹山中の館っていうのは、室町以降に京極氏の近江における拠点になる上平寺城の
ことだと思う。
鎌倉段階での佐々木京極氏の本拠地は、もう少し南西の彦根とか多賀大社とかがある
辺りだったように思うけど。 右馬の介って検索したら官職名なんだね これからは『右馬の介様』と呼ばないと >>297
正式な叙任じゃなくて勝手名乗りの通称名だな。
まあどちらにしても架空の人物だけど。 かつてオウム真理教が教団内部で〇〇大臣という役職を決めていたが
それって官職を勝手に名乗るという意味では、中世武士的といえるのかもしれない 足利尊氏と天皇は数百年遡れば親戚なんだけど、そういう感覚はないのかね? >>308
臣籍降下した時点でそういう感覚は切れてる
ただ一族同士の感覚は密だったみたいだな
最近の説だと新田も足利一門扱いだったらしいし >>305
受領名みたいなのが出てくるには作中時期的にまだ早い。
守護が各地で配下を増やし、支配を強め出してから恩賞として発給しだすから。 >>308
古典太平記に、我は源家累葉の貴族、王氏を出て久しからずという表現がある
尊氏の言葉ではないにせよ、時代的にそういう感覚はあったと思う 現実には平将門が6世の孫でも都に上ればあの扱いだからな
尊氏くらいの世代なら言わずもがな >>312
今の写真を見れば、おっきしたものが縮むから、そうやって醒ませや >>315
将門は5世孫。
ただ将門の時代より尊氏の時代のほうが武士の社会的地位は高い。 高師直の果たす役割がどんどん大きくなっていく後半の
ドロドロ劇はよ >>308
母系入れると親戚関係が訳分からなくなるから氏族単位で考えてたのかもね >>308
天皇との血縁関係の実際の遠さ近さより、「皇族」という身分なのかどうかというほうが重要なのでしょう。
だから例えば伏見宮家などは、南北朝期に皇統の嫡流から枝分かれして、直近の天皇から10世
以上(約400年)離れた傍系であっても、代々の当主が親王宣下を受けて皇族扱いだったから、
江戸時代後期に後桃園天皇が後継ぎを残さずに崩御したときに、皇位継承者候補に名前が上がったりした。
しかし一方で、東山天皇の皇孫が臣籍降下して養子に入って継承した五摂家のひとつ鷹司家などは、
血縁関係という点では、伏見宮家よりはるかに天皇に近かったけれども、あくまで臣籍で皇族ではなかったから、
皇位継承者候補としては全く声がかからなかった。 >>322
母親の血筋
ずっと遡ると尊氏は皇室と藤原氏の間の子になるけどそうは見ないってことかな 今の天皇陛下も60で物凄くセックスがしたい時期のはず 陛下がもっと暴れん棒になって皇室を繁栄させないと >>312
沢口靖子の容姿の全盛期はもうちょっと後の秀吉 >>324
そもそも清和源氏なんだからバリバリ男系でしょうよ 清和源氏で思い出したが、大正天皇は側室を置かずによく男系が維持できたよね
側室置いていたら清和天皇の皇子なみだったかも 将軍家も天皇家も
何で女は民間人でもよくて男は民間人は許されなかったんだろうね 子種という言葉があるように、種を持ってるのは男だけだと思われてたから
遺伝子とか、精子と卵子なんてものがあるとは知りようが無い時代
そしてその伝統を今さら変えられないのが天皇なんだろうな ヨーロッパなんかは嫁さんの身分も高いからね
日本の場合は嫁さんの身分は割と適当
特に徳川将軍家は女系の系図が作れない >>312
当時は美人女優の代名詞的存在だったよな
美少女といえばゴクミ >>330
英仏百年戦争も、女系でカロリング朝の血を引くイギリス王が、男系とはいえ傍流に過ぎなかった当時のフランス王に、フランス王位を要求したことがきっかけだったからなあ。
世界中見回しても、女系を正統とみなす風習はほとんどないな。 >>328
男系、女系じゃなくて近年だと豊臣秀頼と徳川家光は従兄弟だけどそういう風にはあまりみないでしょ?
だから普段は母の一族を考慮せずに考えてるよねって言いたかっただけ >>335
ただ民間まで王家が受け入れた国も珍しいんじゃないかな 家の発想だと男系
女系はネットワーク
だから京とか鎌倉とか狭いとこだと女系見るといろいろ
コネがわかったりする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています