【第四十三回】太平記part.43『足利家の内紛』
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
それが、真田広之の演技力やろ
まあ、足利尊氏が出てくる時代劇が少ないのもあるが、俺は尊氏=真田広之になってしまっているわ、本放送を見たあとは
いまだにそれは変わってない 池端先生の麒麟がくるでの斎藤道三(本木)ラブっぷりを見た後だと
太平記での序盤からそれなりに出番があったのにいつの間にか死んだ扱いの千種忠顕(本木)にコーラ吹くw >>534
当時のモックンってそんな大物じゃなかったか
岡村隆史みたいに、いつの間に消えても問題ないような 自分は当時尊氏こんなんじゃないだろ!
という認識でずーっと見てたな
なんつーか武将に見えないw
中井貴一の武田信玄も違うだろ思って見てたな たしかに、高嶋弟が怪演俳優になるとは思わなかったなw
>>532
その呼び方やめろw あっちの方のひろゆきを思い浮かべるじゃねーかw そうだね
魔界転生で真田広之が忍者役だっけ?やったけど
あれはしっくりきた
小柄でほっそりして素早いからな 武士だと吏僚系というか石田三成あたりは真田はイメージ合う
だから足利直義の方が自分は真田広之は似合うんじゃないかと思ったな
この大河は兄も弟もなんか違うというかでもまあ主役として
華があるからいいやという感想だった >>535
三木一草の一員なのに存在を消されたの如くの結城みたいに一切写りもしないならともかく
名和より出番多かったのに死ぬシーンすら省略されていつの間にか消えたは流石にシュールすぎる そういえば片岡孝夫は現・十五代目片岡仁左衛門だが、
十二代目は居候に一家ともども皆殺しにされている。 Qさまで直義と脇屋義助が対決
脇屋義助の圧勝
大河ドラマ太平記で共演した話題もあり ギバちゃんのファミリーヒストリーで太平記の存在消されてた(´・ω・`)
…と思いつつ見てたら、足利家並みに家庭が複雑だった
これからはましらの石で早送りするの止めよう
>>536
武田信玄なのに何で顔が長いの?と思いながら見てた思い出w モッくんは単に他の仕事もあって時間が作れなかったのでは
小松方正だって討ち死にするところでは見せ場作ってもらえたんだから、モッくんもやってもらえただろう うそをうそであると見抜ける人でないと
(南北朝時代を生き抜くのは)難しい >>550
モックンのフェードアウトは、ヌード写真集が原因とか当時いわれてなかった? >>542
知らないやつ多いだろうな
還暦近くないと知らない 高嶋弟と史実における直義は、いずれも“次男と思われがちだが実は三男”という点が、
共通するね。 >>553
オレもリアルではさすがに知らない
週刊誌でその昔 高島忠夫のまだ赤ちゃんの長男がお手伝いさんに
風呂に沈められて殺されたとか書いて有った 高義が生きていれば足利党が叛旗を翻すこともなかったのだろうか。 >>556
高義が北条にギリギリまで従い
高氏が後醍醐方と通じる
戦国時代ならそうするだろうけど >>536
自分も、日本史の授業で学んだ尊氏像のイメージはもっと猛将イメージだったので
この大河の真田尊氏はちょっと自分のイメージとは離れてたな 尊氏は戦争は強いよな
気前よく恩賞くれるので兵が集まった説もあるけど 急にやる気を失って引きこもったりするのに戦になると滅法強いってのは上杉謙信なんかもそうだな
いくら直義が勝っても棟梁は尊氏だというのは誰もが認めるところだったんだろうね 長男だからな
てのが直義の言い分だったな
直義が兄だったら直義が勝ってた 直義は嫡男が死ななければ対立せずに丸く収まったかもしれないな 尊氏の周囲の奸臣を除くという建前で戦ってたから師直、師泰を排除したら
尊氏を殺す名目なんて無いもんな
直義が死んだ日は師直、師泰の命日なのは狙ってやったんだろうね それでも尊氏が負けた自軍に恩賞与えて直義側の上杉らを処罰するのはやりすぎ
ドラマは笑えたが
そりゃ桃井も怒りますわ >>556
高義ってそんなに親得宗になるかね?
母方の曾祖父は安達泰盛なのに。 >>565
尊氏はいざとなったら直義を切れるが、直義は尊氏を切ることはできないのが、ポイントだよな。 >>566
なぜか判らないが、上杉一族はみんな高義派なんだよな NHKオンデマンドに来てるんだって思ったけど毎週2話ずつ追加ってなめてんのか >>562
誰かと被ると思っていたんだよ、謙信…
そうそうそれだ
引きこもり→出てくる→勝つ→悩み→引きこもり→出てくる→勝つ→悩み→ 直義はクソ真面目だからな
兄貴を暗殺すればよかったんだよ
逆に自分が暗殺されちまって >>572
直義はあくまで尊氏あっての直義だから・・・。
直義が尊氏を殺しても正統性はないし、誰も付いてこないと思うけど? 武士に正統性なんていらんのよ
力と恩賞があればオケ
天皇に平気で歯向かうの見ればわかる
矢を射掛けたりしてるんだぜ >>574
天皇に逆らってもいいが新しい天皇を立てる必要はある
直義がトップに立つなら尊氏の子供の後見人としてならある
師直なら直義が尊氏殺したので直義殺して、義詮の後見になる いやもう高島忠夫さんの検索したけど こんな恐ろしい出来事があったとは今まで知らなかったわ
そんなことも知らずにゴールデン洋画劇場を見ていた俺はなんて鈍感だったんだろうと >>572
そういう決断が出来ないから戦に弱いというのはあると思う
頭の良さが行動にブレーキをかけてしまうタイプなのかも >>577
いや無鉄砲な奴は戦略がないから、結局大事な戦には勝てないだろw 先々まで考えがおよぶから思い切った行動に出られないというのはある
徳川慶喜なんかもそういうタイプでしょ 朝廷と対立するって最初は滅茶苦茶カッコ良く感じるが、じっくり考えるとアホだなって思う 今の皇室と違って鎌倉時代の頃の朝廷はそれ以前の平安期の上皇政治が色濃く残った感じやからな
お飾りで納得してた江戸期とは違うし、明治維新後の立憲政治とも違う >>575
尊氏にそんな権威なんてないだろw
頼家引き摺り下ろしてぶち殺して実朝たてても武士は平気だったんだぜ
義経は頼朝追討の院宣もらって大っぴらに喧嘩してたよな
兄貴ぶち殺して後からお墨付きもらえば終わる話
それができないならチキンというだけだよ >>575
承久の乱の時には天皇廃位三上皇二皇子配流
守貞親王に治天君持ちかけて最初断ってたが
それだと朝廷なくなるけどいいの?言われて引き受けたという
もしなくなってたらそれでいってたりして 直義は南朝との交渉でも筋を通して破談になってしまうけど尊氏はなりふり構わず降伏する
後々に混乱をもたらすけど目の前の敵を倒すために何でもするんだな 相変わらず護良と四條が似てて紛らわしい
パッション堤はこのころは大活躍で同年代の柳葉、陣内とは同格くらいだったのに
交通事故で失脚したのが残念 >>571
謙信は足利将軍家ラブだから尊氏の戦い方を学んでいたのかもしれないな 太平記に出たのは事故後だよね。
ワイドショーで包帯姿で謝罪してたのが子供心に怖かった分、太平記では鬼気迫る雰囲気を余計に感じた記憶。 >>571
上杉謙信と言えば子供のころ寺の坊主だったらしいね
人殺しである戦をすべきか仏様との間で悩んでたんだろうね
格好も僧兵みたいな格好してるしな >>586
さすがにそれは単なる当人の性格の問題のような・・・?
>>589
謙信は自称毘沙門天の化身だから・・・。 >>588
大河で包帯姿といえば八代将軍吉宗だなw 大塔宮は出演シーンがことごとく超ハイテンションで笑っちゃうな
現実にあんな奴がいたら異常者でしょw
そりゃ害し奉りたくもなるわ 大塔宮のニュータイプな如き突然の足利憎しがよく分からん >>594
一言で言えばこういうことでは?
大塔宮:畿内周辺の新興武士層が支持基盤
足利:鎌倉御家人系の名門武士層が支持基盤
両者の支持基盤となる層が対立関係にあるから、必然的にそうなる。 >>585
いやハゲて現代劇出れなくなったんでしょ 護良の手下が京で乱暴狼藉はたらいたのを、尊氏が捕らえて処刑したのがむかついたってのもあっただろうが
護良の心理としては、最初の倒幕挙兵からずっと苦難の中頑張ってきたのは自分なのに
なんで最後にやっと寝返って六波羅落としただけの尊氏があんなに優遇されるのかっていう
己の不遇と引き比べた憤りもあっただろう
まだ北条残党が蔓延ってる時期だったし、武士の棟梁として武士勢力をまとめられる身分の尊氏を
後醍醐が優遇したのは方針として妥当なのだけどね 南朝て地味に、戦国時代位まで吉野にいたとか聞いて
何とも言えない。。。 >>598
いわゆる後南朝というやつですな。それをテーマにした一般向けの文庫や新書がいくつか出ているから
(森茂暁のものが有名)読んでみるとおもしろいよ。
応仁の乱あたりまでは、かろうじて史料に名前が出てくるものの、
それ以降はまさに歴史の闇の中に消えていった南朝(大覚寺統)の末裔たち。
その後はいったいどうなったのか、本当に断絶して子孫は残っていないのか、もしかしたら
今でも男系の子孫が生きているのではないかなど、いろいろと妄想をかき立てられる。 >>599
基本的には長禄の変で後南朝は壊滅したという理解でよいのでは?
応仁の乱のときの「西陣南帝」は、実名も系譜関係も不明な上に、一瞬現れるだけだから
実態は怪しいし。 血が繋がってることなんて前提でしかないしな
鎌倉末期に分かれて没落していった分家なんてもはや庶民だろ 楠木氏末裔が秀吉によって絶家させられたってのがなんとも言えない >>582
日本の歴史上、天皇を追放したのは
足利尊氏だけだよな
織田信長は、安土城の高いところに自分の居場所を作って
その下の見下ろせる場所に天皇を呼んできて
自分は天皇より上だぞということにしようとしたが
明智光秀がいくらなんでもそれは認められんと本能寺の変を起こして織田信長をぶっ殺して
天皇に自分が織田信長をぶっ殺したから天下人と認めてねと
願い出て認められそうになったけど
羽柴秀吉が中国大返しで明智光秀を山崎の戦いで討ち果たして
いやーあれは明智光秀に脅迫されてしぶしぶ認めちゃったのよと苦しい言い逃れ 追放したんじゃなくて勝手に出て行っちゃったからね後醍醐
しかも譲位してから出て行ってるのでその時点では天皇ではなかった
後からウソぴょーんってやって無効にしたけど
正平の一統を破ったのも南朝側からだし
尊氏はむしろ振り回されてるほうだ >>604
承久の乱のあと、北条義時は仲恭天皇を廃帝にして、後堀河天皇を即位させている。 九条廃帝か
明治になって廃帝じゃああんまり言って仲恭天皇になった 北条義時は鎌倉から動かないで息子と弟派遣して
ホイホイ上皇流罪だの廃帝だの指図してたからな
都人にとっては驚愕だったろう >>609
源頼朝も平家追討のときに鎌倉から動かないで弟を派遣していただけ
承久の乱のときに義時は60代、息子の泰時は40代だったのだから
当時の感覚から言えば義時は家督譲って隠居してる年齢 >>610
いちおう淳仁天皇を廃帝&即追放したのは孝謙上皇(のちに称徳天皇として重祚)だからね。
皇族どうしの内部抗争と見ることもできる。
それに比べて、武家、それも田舎侍北条が天皇を廃帝に追いやったいうのはインパクトが大きい。 >>611
頼朝は京を占領したわけじゃないだろw
むしろ院宣もらって追討軍出した側 >>614
え?
草燃えるは前半、頼朝主役だと思うが >>615
北条政子(と北条義時と伊藤十郎)が主役って認識? 頼朝は昔から嫌われがちな人物だったんだよな、義経人気ゆえの反動だったのだろうけど
作家たちがあまり主人公にしたがらなかった >>619
どうでもいいけど田村家は役者やってない人も含めると本当は四兄弟だよ 承久の乱といえば討伐で名指しされてるのが義時個人だから
倒幕が目的ではないという奴がいるが
高時を名指しした後醍醐の立場はどーなる >>604
色々間違ってるな
少しは最新の日本史を勉強しろ 三兄弟か
80-90年代なら相撲の井筒三兄弟、プロレスのエリック三兄弟(6人いたけど有名なのは3人)、バイクの青木三兄弟ってとこかな 毛利も三兄弟の下にまだ居たからね
元就は晩年にも子供作ってたので 後醍醐天皇を隠岐に島流ししたのは尊氏ではなく鎌倉幕府だろ?
まあ尊氏は持明院統に味方して大覚寺統を敵にしたけどさ
それでも大覚寺統も天皇と言う事で
観応の擾乱で南朝に降伏和睦
後醍醐帝が崩御した時も供養の為にわざわざ寺院を建てて上げるなど
ある程度は気を使ってる感じだったけどな
同様に南朝の楠木正儀が北朝に味方していた時代も有った オンデマンドで見てる
赤井秀和そこまで悪くないじゃん
滑舌悪いけど。柳葉の方がなんか嫌 赤井は関西人なので、河内男の楠木弟を演じても違和感ないけど、柳葉はまだ役者としては駆け出しの頃だしなあ
語尾が東北なまりが残る三河ものには違和感がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています