>>396
比企尼は男子を出生せず、夫掃部允の死後の比企氏の惣領は掃部允弟朝宗に継承され、
朝宗は『吾妻鏡』最終所見が建久5年であり、その後まもなく死去したと考えられます。
源頼朝が木曽義仲を滅亡させて、義仲勢力圏であった北陸道を手中にすると、
朝宗を北陸道勧農使としており、朝宗は頼朝側近・重臣として活躍しています。
なお、泰時元服の座にも甥能員と共に参席しています。