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【謎の歴史観】麒麟が来る【史実はともかくいつ再開するの?】
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0001日曜8時の名無しさん
垢版 |
2020/07/15(水) 19:32:10.95ID:AIGV7Js+
大河ドラマの史実検証スレですがそれだけではネタがないので、
NHKの番組の感想やテレビ論など何でも有りで語りましょう
誹謗中傷は禁止です。

長年の疑問
・「出雲岩見を与える」は国替えではなく加増では?
・「腐った鯛」他のソース・元ネタなに?
・斉藤義龍は「頼芸の実子」と思うのならなぜ頼芸を美濃に帰らせなかったの?
0003日曜8時の名無しさん
垢版 |
2020/07/21(火) 20:13:53.95ID:jX26NJzo
新たな仮説
これに気づいたのは日本史上、私が初めてだろう!

「大坂夏の陣図屏風」には真っ裸にされた女性が大勢描かれている。
長年これは「凌辱された女性」とされていたが、本当にそうだろうか?
だって、「現に凌辱されている女性」は一人も描かれていない。

絵師が奥ゆかしい性格でそういう場面をあえて描かなかったのか?
しかし放送倫理規定どころか基本的人権すらなかった時代だ。
江戸時代の春画も奉行所の規制にも関わらずけっこう過激だし。

では考えられること。もう一度大坂夏の陣図屏風を注意深くみるがいい。
服を差し出して泣きながら命乞いしてる女性、一列に並んで順番に服を脱がされる女性。
でも服さえ置いていけば命ばかりは助かったらしい。

そう、男たちが狙っているのは「女性の体」ではなく、
「女性の着物」のほうなのだ!!(これに気づいたの世界中で私一人に違いない)

化学繊維が普及するまで、「布」は貴重品だった。
「追い剥ぎ」と言われるよう、昔の盗賊は真っ先に服を狙い、
「身ぐるみ脱いで置いていけ」が常套句だった。
まして大坂城にお住まいの高級女性の「絹の着物」は
足軽のごほうびよりもひと財産になったかもしれない。

「大坂夏の陣図屏風に描かれてる全裸女性は着物を取られただけで凌辱目的ではない」

という仮説をいつの日にか学会で発表したいな。
こんなところに書いていては盗作されるに決まってるけど。
いや、歴史学会の専門家諸君、検証してくれませんか?
ヒストリアで企画してくれても盗用とか言いませんから。
0004日曜8時の名無しさん
垢版 |
2020/07/21(火) 20:23:45.86ID:jX26NJzo
そもそも近代まで男女ともに全裸それほど恥ずかしくなかったし。
第二次大戦後も混浴や行水普通だったし。

「行水」って、知ってるか?
0005日曜8時の名無しさん
垢版 |
2020/07/21(火) 23:37:18.04ID:qgQFOFwx
しばらく大河板を離れていたら、ますます変な方向に史実スレが進行しているな。
0006日曜8時の名無しさん
垢版 |
2020/07/21(火) 23:40:08.47ID:qgQFOFwx
スレ立て人に全裸趣味があるとは知らなかったが、部分的には正しく、部分的には間違いだろうなあ。

>>3
…落城の際、女性たちは危害を加えられることなく逃げ延びることができたのであろうか。
一概には言えないが、落城の際、略奪等も横行したから、危害を加えられる可能性は相当高かったものと思われる。

元和元年(1615)の大坂落城のことを記した軍記類の中には、落武者狩りと並行して「剥ぎ取り」が行われたことが記されている。
「剥ぎ取り」とは、文字通り、無頼化した武士達が落ち行く者の身ぐるみを剥ぐ行為をいうのである。
豊臣家の女中の一人は、懐中に銀を持っていたことから、これを武士たちに差し出し、ようやく窮地を脱出したとも云っている。
なお、無一文であった外国人宣教師の一人は、身ぐるみを剥がれ、すっ裸で戦場を彷徨したとも記されている。

戦乱の中では、女性がかどわかされる例も多発している。
岐阜県御岳町内に伝えられる「大寺記」(御岳町史)には、この地の日比野三左衛門の娘が天正年間に武田方に浚われ、甲斐(山梨県)まで連れて行かれたという悲話が記されている。
この娘は、織田方の進撃の際に見つけ出され、無事に親元に送り届けられている。(参考〜川口素生著“戦国時代なるほど事典”他)

    だそうだ
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