>>921

>司馬遼太郎を毒饅頭呼ばわりだとおおおおッ!
>そうキレられるのは、はい、織り込み済みなので。覚悟はもうできました。どうにもこの議論は、奥歯にものが挟まっ
>たようなイライラ感がある。
 
>明白なミスを指摘しておきながら、誰を恐れてか、歴史創作の自由を語られたりするわけですが。私は別の自由を提案
>します。
>司馬遼太郎を斬る自由です。歴史創作を語ってもいいなら、そこには批判も入らなくちゃ。
>どういうことになるかは、想像がつきます。私も周囲に、司馬遼太郎ファンは多い。むしろ気分は山田風太郎の『魔界
>転生』ですね。あれはどえらい剣豪と戦わねばいけないわ、父はじめ親族までぶった斬るわ。ストレスフルな世界観で
>す。尊敬する上の世代を斬る。全世代からもにらまれることは想像くらいできますって。

>親に会うては親を殺し、仏に会うては仏を殺す――。
>なんだか別の柳生を持ち出しましたが、柳生十兵衛の気持ちになりきれば、なんとかなる気がしてきた。
>やはり、こんな時代だからこそ、積極的に親を斬らねば。いや、物理的なことではない。概念です。親世代が拠り所と
>するものを斬らねばならない。真剣勝負をせねばならない時に、歯切れが悪いのはいかにもよろしくない。
 
>それに、根本的な価値観から辿るということであれば、ディテールをいちいち指摘するのは手間がかかるばかりでよく
>ないと思うのです。根源を斬る。そういう気構えでいきます。

続きます