本能寺の変で信長を討った明智光秀が近江制圧を進める。焼き落とされた瀬田橋を復旧させ明智軍が進軍。

若狭の武田元明は明智方につき佐和山城を占領。
元明の義兄である京極高次も明智方につき、阿閉貞征・貞大父子と共に長浜城を占領する。
安土の町は混乱状態となっていた模様。
フロイス「安土の市は狂気の沙汰」

1582(天正10)年6月5日、光秀が安土城へ入城
光秀は長浜城に斎藤利三、佐和山城に山崎片家を配置す。

越後に進軍中の森長可に変の報せが届いたのは6月6日、美濃金山城に24日に帰還。その後家臣の離反が相次いだ為、東美濃での内戦に明け暮れる。
西美濃では変後、安藤守就(天正8年に信長から追放されてた)が子の定治と共に挙兵し明智方につく。
しかし6月8日、稲葉良通(一鉄)に父子は討ち取られる。
良通は織田信忠家臣の斎藤利堯に自身の城である北方城を占領させ中立の立場をとった。