先週、今週の麒麟をみてうっすら思ったのですが、このドラマ静かな脚本対立が起きてはいないでしょうか。
気持ちよ〜く書いてる「つもりになっている」左派(綺麗事派)と、
そんな人ををノせつつわかる人にはわかる毒をひっそりと仕込む右派(現実思考派)がいるような気がします。

このドラマの主人公光秀、義昭&家臣兄弟、問題のオリキャラ駒に伊呂波などはいずれも左派であり、
「戦が無くなって欲しい」みたいな感情としては理解できるけれどそれだけでは何の解決にもならない思考の持ち主であり、
人の事を考えているようで周りの事が見えていない(見る気が無い)奴らばかりで、割と理解不能です。
対してドラマ中の右派は信長と秀吉、人の利益に敏感であるが故に現実的な行動ができる現実主義です。
信長は根底に「人に褒められたい」という欲求があるため、秀吉はとにかく立身出世しか頭にないような男なので、
過激な行動がありつつも頼ってくれる人(もしくは助ける想定の人)にはきっちり報いる行動をしますし、理解もできます。
ただ作品内では、信長と義昭がすでに思想が合わなそうだったり駒が秀吉に露骨な嫌な顔したりと、割と敵?扱い。
ちょうど現実ともリンクしてるんですよねぇ。
褒められポジションの左派(Me tooとかBLMとかテドロスとか)と叩かれポジションの右派(トランプとか日本の与党とか)。

ドラマ中では基本的に(特に胸くそ悪い展開では)左派の口だけフリーター光秀が手段と仮定をすっ飛ばした綺麗事をほざき、
それを同族連中内で褒め称え、時に駒か伊呂波辺りが大物に意見なんかしちゃったりして左派=大正義感を出しますが、
その中にたまに「あぁ・・・こんなことばっかり言ってるから破滅するんだなぁ」と感じるシーンも挟んでくる、
この「おおっぴらにはアピールできない右派的主張」を挟む対立脚本(?)、ぶっちゃけこの作品の良心的存在を感じるんです。
今週で言うと信長が「義昭の意見は採用するけど、家臣の心情の方がわかるわ」と光秀に言い切るシーンや、
光秀にどちらの家臣になるか選択を迫り、義昭につくと言われて残念だと返すシーンなどです。
後者は信長が光秀を「使える奴だけど信用はできねぇな」と確信した重要シーンだと思います。
「鎧を脱いで上洛しろ」という指図に対し、「まず六角潰して安全がある程度確保できればね」と現実的なところもいいです。
そりゃ安全もはっきりしない状態で頭御花畑共にあんなこと言われたら、家臣が罠だって騒ぐのも当然ですわ。
あとこの作品では信長が「革新的で未来志向、光秀ともわかりあえる人」ではなく、「現実的で光秀と対立もやむなし」
なキャラにしたのは大きいです。それが無いとマジでただの御花畑光秀を褒め称える大河になっていたので。

今後どこまで描かれるかは分かりませんが、本作の評価の分岐点になるのは比叡山焼き討ちと光秀母処刑の2点だと思います。
この2つを「綺麗事圧力団体への毅然とした対応」「さんざんいい加減なことしてきた光秀へのツケ」として書くか、
「極悪非道な信長の所行」「信長のせいで光秀がくらったとばっちり」として書くかで、
この作品が「御花畑光秀をみんなで褒める駄作」か「綺麗事を盾に裏切りを続けた男の末路を描く良作」かがわかるでしょう。