それで戻ってしまうが、「麒麟がくる」28回 2ページ目

>気持ちがわかるところはある。『はだしのゲン』には鮫島伝次郎という町内会長が出てきます。
>戦時中、主人公中岡一家をさんざん「非国民め!」といびっておいて、戦後は「平和」だのなんだの言い出すわけですけれども。
>改心を否定するわけじゃない。人間誰しも変わってよい。
>けれども、政治体制なりなんなりが変わったところで、さしたる罰もないまま、しれっと中身がそのままじゃ、さして変わりがな
>いだろうよ。改革って言えるのかよ。ふざけてんのかよ……そういうモヤモヤ感は残りましょう。

>大河でなくて、NHKのもう一枚の看板ドラマの話でもあります。
>戦時中、軍歌をガンガン作っておきながら、うやむやになって鐘がどうした、オリンピックだと言われたところで、それってどう
>なのよ? そういうツッコミを盛大にしたい気持ちはある。
>故人をどうこう言いたくもないけど、そんなもん朝っぱらから受信料で流す、そういうドラマの題材にしてよいものかどうか。
>池端さんは、まさしくそういう上の世代を見てきた方でもあると。

◆<朝ドラ「エール」と史実>藤堂先生は“戦死しなければならなかった”…古関裕而は軍歌をどう総括したか?(→link)

>>417  ですでに書いてくれているが、 >>387 の魚拓にあるように「エールは見てません」と言って何でこんなことを書くの
か?

しかも 387 の魚拓で、

>◆自分の”正義感“に酔いしれていませんか?
 >だから、『半分、青い。』をそもそも見ていない、見るのをやめたのに「あの女のドラマはデリカシーに欠けて侮辱的だ!」と
 >どうして言い切れるんですか?
 >”正義感“に酔いしれているから、ですよね?

をそのまま、武者氏(小檜山氏)に返します。武者氏だって「『エール』を見ていないのに叩くのは『正義感に酔いしれているか
ら』」ということになるだろう。

続きます