>>456
 ここって現在光秀にどういう感想を持つかで正反対に映るんですよね。

 私にとって光秀は、耳学問ばかりで実践経験は皆無、何かできる立場に無いのに文句ばかりいっちょ前、おまけに周囲に気は使わないし、態度も悪い。

 ただそれを逆に取れば、普段からきちんと学んでいていざという時に備えている、今は何か出来る立場に無いけれども間違った事はきちんと言い、周囲に流されず、自分の意見を持っている。

 これ、両方同じ意味なんですね。
 これをどっちに取るかは、それまで歩んできた人生や今置かれている環境によって大きく変わるのですが、このシーンは光秀に語らせない事でどちらにもとれるようになってるんです。私はそれが上手いと思っている。
 結局、現時点での光秀の人となりが2つに別れてるんですね。そして、その二面性は同じ人が同時には見られなくて、人によって違った印象になる。

 私は池端俊策氏はこの二面性を描き、本能寺の変に落とし込む事によって、謎だった光秀の人間性に迫ろうと考えたのだと推測するんですけどね。