>>175
そもそも当初護良を天台座主として出家させていたという時点で
後醍醐に護良を後継者とする意思は皆無

>>176
本質的には後醍醐本人が護良とその背後にいる畿内・近国の悪党勢力を警戒していて
その対抗の意味も込めて伯耆で寝食をともにした名和や千種を引き上げたのだから
廉子個人に帰せられるような問題ではそもそもないと思うよ
あと天皇の住まいは院政期以降ずっと里内裏なのだから里内裏だからどうということもない