座主生きてるんだな

元亀2年(1571年)9月12日、織田信長による比叡山焼討ちに遭遇した。織田氏と対立する朝倉氏の軍兵を公然と匿ったことが原因とされる。
覚恕は事件5日前の9月7日に参内して朝廷に相談を持ち掛けており、2日後の重陽の節句にも参加している。
そのため事件当日は在京しており難を逃れたが、根本中堂以下全山が攻撃され、比叡山は事実上焼亡した。
これにより程なく天台座主辞意を表明しているが、依然座主として扱われた。
wikiより