【2012年大河ドラマ】平清盛 Part186
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part177©2ch.net
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■前前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part184
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●荒らしと思われるレスには各自スルーまたはNGで対応。
●>>950以降の有志が次スレを立てる。
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い、無理な場合はすぐに申告すること。
●スレを立てられない人は次スレが立つまでレスを控えるように。 そりゃ定説として確立されてる事を問としてるだけだからなwそれを受験する年代で詰め込めるかが難しいだけだしw 特に2006は清盛見てれば余裕だろ。
現に当時高校生だった女の子たちのツイ読むと、多くの高校の授業で先生たちは大河清盛を流した、
あるいはそこまで行かなくとも推奨したようだ。
高校の授業で大河を流すとか、おじさん世代では信じがたい光景だ。
裏山なところに、今般のコロナでのオンライン授業の普及というか試行錯誤。
良質なコンテンツを創り出していく公共放送の使命はいよいよ高まっている。
NHKふざけんなーと批判する方向性は、ネオリベ時計泥棒が打ち出すEテレ売却などでは断じてない。 2013の問題で清盛絡みを思い浮かべてみた。
日宋貿易を通じた平安版シルクロードの終点が、北方貿易の統括者である奥州藤原氏の拠点平泉であったこと。
すなわち、北方の物産が対価として珍重され、これに目をつけた清盛が、奥州藤原氏に飴ー
鎮守府将軍という朝廷の官位を与えることを建議して取り込もうとしたこと など。
清盛大河ではほんのさわりに触れたにすぎないけれど、それでも清盛を見ていた受験生ならば、
宋ー日本(京)ー平泉ー蝦夷地(さらに北方)の交易上の繋がりを意識することが
できただろう。 北方交易によって蓄えられた富とこれを基盤とする「独立国家」志向。
しかし、そのために必要不可欠な京の朝廷との繋がり、この過程で移植された京文化=平泉の繁栄。
このようにナショナルとローカルそしてグローバルが、政治経済文化上交錯したところに奥州藤原氏の魅力がある。
そのほんの一端を大河清盛は伝えた(これだけでも偉い)。 物が勝手に移動すると思ってる自宅警備のベテランホリエw 永遠の自宅警備員Q右爺と違って、そろそろ酔っぱらいつつ、都内B京区内にて奮闘中
帰るでーーーw 山川日本史レベルはマスターしていることを前提として、
もう少し踏み込んだ大学レベルの命題を複数挙げて、そこから推論して答えを導いてくれ。
そういう意図が伺えるさすがの作問ですね。
基礎知識がなければどうしようもないが、教科書の知識だけでは自動的に答えられない。
解答を知識として吐き出すのではなく、与えられた複数のヒントから歴史を解釈することを求める。
模範解答レベルは必ずしも求められず、教科書的知識を元に設問と文章に食らいついて、
それなりの結論を筋道立てて導ければ合格点をもらえただろう。 知能が20歳頃で止まってるバカのホリエ言われてるぞw とうとう現播磨守の任期終了
何度重任したか知らんけど官僚知事にしては口が軽かった
はっきり言って初っ端からぶっ放した汚い批判はかなり痛かった
甚大な風評被害に対して未だに怨嗟の声が上がるのも致し方ない その昔、壇ノ浦海底大学を卒業し、最近、東京筋肉大学通信科に再入学し日々学んでおりますだ。 初回。破れ門と化した羅城門とその周辺に屯する病人、貧者、浮浪者、孤児たち。。
時の平安政府は、無宿者に対する血も涙もない小池都政とは違って排除の論理には立たず、
都市の景観よりも彼らが生きる場の確保を許容していたのだろう(社会政策とはむろん無縁)。
この描写、映像を「汚くて見る気がしない」と放言したことは、政治家の力量と倫理、
そして都市行政のあり様から評価すれば、末代まで語られて然るべきディストピアとなった。 麒麟スレで排除の論理に立たずレイプシーンを入れろと言ってる江守爺=バカのホリエw >井戸知事、今季限りで引退らしい。平清盛画面汚い発言とか、公用車センチュリー問題とか、
>アレレなところもあったけど、概ね良い仕事をした知事さんだったのではないかと思ってる。
>兵庫県立芸術文化センターを作ったことが、私的には最もポイント高い(芸術文化を大切にしない知事もいるからね)
他県のことゆえ実相を踏まえた評価はできないけど、地味でも大阪維新の詐欺師どもとは比較にならない能力と
実績を残したのだろう、たぶん。
有能だから清盛汚いが正しくなることはないし、逆に清盛発言が憎たらしいから知事として無能とはならない。 清盛汚いは見たまんまで誰もが思う事だろ諦めろバカのホリエw >>46
さすがは長文さんの先輩ですな。井戸知事。 株式会社法律新聞社
昭和20年設立、業歴75年の老舗専門紙
日本初の弁護士情報書「全国弁護士大観」発行
自己破産申請へ
TDB企業コード:988130589
https://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/4749.html 瀬戸内海の色にもイチャモンつけて、広島市長かなんかが反論したような。
なお、拙者も青年清盛の「汚し」についてはやり過ぎと批判した。念のため。 美しい清盛を堪能してくれ!(戦国風キンキラキンの姫たちとは一線を画する、女院たちのシックな
平安装束に対して、ストーンウヲッシュで汚したーなるババアには恐れ入った)。
このお願いからいつも発信したのが、4話豊明節会のシーン。
見て下され、このクオリティ高すぎる映像美を!
他にも、ほんのちょっとの平家納経のために、膨大な労力を投入したNHK美術班にただただ敬意。
厳島ロケも美しかった。
つまり、民営化したらもはや有り得ない次元で清盛は「美しかった」。 史実とリアルは同義ではないけれど、
「リアル」を追求した清盛は、史実そのものではなく、さらにそこにデフォルメを加えたとしても、
汚いものは汚くキレイなものはキレイにという具合に、映像面でも史実に寄り添う誠実な大河であった。
コンスターチについても、やり過ぎ白すぎ批判の前に、荒廃した京のあり様を想像すべきだろう。 このスレには、既に身体の芯がズレて直らぬジジイしかおりませぬ。
姫様方は去っていかれました。 せめて身体の〈軸〉と言って欲しい。
一年間熟読いや熟視した真のアンチならば。
ということでお前は未だに初心者 大爆 芯でも軸でも関係ないわ。
所詮は畳水練の与太話よ。
長文子が前に同類項だと言われていたろ。
一朝何かあっても、並ぶことすら無理な人らのこねくり回した屁理屈。 べつに理解したいとも思わないから好きな言語で話してもらって大丈夫 最初から軸そのものがなくて転落したまま海底に消えたのが清盛 太平記の一騎討ちを久々見た。
全然必然性のないとってつけたいきなりのシーンで(回想をちょこっと挿入するだけで、
新田が突如現れ直接対峙したのかについての詰めがない)。しかも迫力もイマイチ。
こんなふつうのチャンバラだったっけと感想をもってあちらのスレを覗いたら、
清盛の一騎討ちと比べて説得力とリアリティーがあった、みたいなレスがあって唖然。
しかし、乱戦の中でいきなりの謎展開ってさ。
まんまと誘き寄せられた義朝源氏軍は、対岸から矢の雨を喰らって既に詰んでただろに。
すなわち、集団的戦闘が終了した段階において、源平ライバル棟梁間で行われた武士の長者決定戦が、
清盛vs義朝の一騎討ちである(4話殿上闇討ち回における忠盛ー為義のタイマン対決を受け、
源平合戦本戦ラウンドー実現しなかった清盛vs頼朝ーに先立つ)。
しかも、二人の他は誰もいない、言わば仮想現実空間を場として設定することで、この一騎討ちは
清盛にとってやりたくない「早すぎた源平合戦第一ラウンド」として位置づけられた。
つまり、リアリティー感は演出上、意図的に放棄されていたのである。
・超絶息の長いスパンをもつ脚本の説得力
・ヴァーチャルリアリティー感を出した斬新な演出(信繁vs家康もこれに近く、支持した)
・長回しによる一発勝負に賭けた松ケン&玉木の優れた身体能力
これらの諸点から、創作一騎討ちをふつうにやる大河の中でも、清盛のそれは群を抜いている。
(最高にバカにされたので、とりわけリキを入れて反論した。たぶん歴代で一番長いのを書いたw) 反論になってないな思い込みを羅列しただけでやっぱりバカのホリエw 大河太平記の一騎討ちはマジで黒歴史だろ…
湊川も謎展開だしこの辺りの回はヤバい >>62
単に視ても、坂東武者ぶりがよく出た良いシーンだったけれどもな。
「平清盛」とは違い、同じサービス決闘であっても、清盛、義朝みたく変な河原に時空を捻じ曲げて瞬間移動、いきなり徒士立ち斬り合いするのではない。
尊氏、義貞両人とも名乗り、口上の後、馬上で弓を打ち合わせから、騎乗で何合も太刀打ち。
いずれも馬が上手いし。
ま、その前に大国米どころ近江に佐々木の勢力がいるので、京の尊氏方に食糧、物資が渡ってしまい、南朝方の兵糧攻めが上手く行っていなくて、打つ手がない。
それで、三位局らにネチネチやられた義貞の焦燥と苦悩、盟友との初の邂逅の思い出と、互いに通じ合う心情に賭けた彼の思いを見てあげないと。
長文殿、とことん頭の軸、心の軸がひん曲がって、錆びついているようだな。
もっと素直になれないものか。
酒毒が過ぎたのか、清盛が叩かれ過ぎて、いじけと恨の情念から脱せないのか。 >>66
次回冒頭がポカーンだからすべて台無し
ロケ撮じゃないから迫力もない >>66もともとバカなのが受験術で利口と錯覚してるだけw ちなみにレス時に酒は入ってない。そこで今入れたw
以下、断片的に答える。
重大局面で朝廷からど詰めされて義貞がとった行動が一騎討ちなのか?
そんなダメ武将というのならわかるが、ここは足利を戦略を巡らして倒し朝廷を守護する局面だろう。
坂東武者の習いとかそんな悠長なことを言っておられない。
清盛はサービス決闘ではない。一騎討ちをやるストーリー上の必然性があった。散々既出。
下らない瞬間移動ネタをまたもや。次のステージすなわち仮想加茂川河川敷までえっちらこっちら
歩む尺はない、そして要らない。
3段目、4段目を別に否定しているのではないよ。清盛のあのしょっぱい一騎討ちと比べてーー
とか書いてあったので、それは違うだろと意見を述べたまで。
こういうの嫌いじゃないし、何で決着つかなかったのーみたいな、太平記スレで見た突っ込みは
俺はやらない。 清盛の一騎討ちは運動ヲンチ同士が体育の時間無理矢理皆の前で模範演技させられたみたいだったなw 否定的意見も多かった信繁vs家康「一騎討ち」の場面設定については擁護したが、
このシーンに限られず、スター堺氏の運動能力には疑問を呈して、三谷親衛隊から大顰蹙を買った。
これぞ戦国の乗馬作法、槍遣いとのこと。一方、
松ケン&玉木の運動能力と乗馬術の高さ、後者に関してきっとあったであろう研鑽ぶりを讃えた。 >>70
お前は駆ける馬上で両手話して刀を振り回せるのか? ホントよくあのへっぴり腰で怪我なしで済ませたもんだw 当時、王家がー、ソーカがーと共に執拗なID粘着してたこのアホウヨ(おそらく江守爺)が、
この期に及んで>>70のような卑劣なフェイクをかます以上、長文は退場できない、。ー
他方、俺は創作フィクションについては、何度も表明したように至って鷹揚。
伊賀越え江さんだってそんな嫌いじゃないのだから、尊氏vs義貞に目くじら立てたりはしない。
清盛をモゴモゴ引き合いにして、昔の太平記の一騎討ちは凄かったーをやってるババアに呆れたまで。 大変言いづらいが、「日ノ本一の武将」真田信繁に堺氏は相応しかったのだろうか?
叩きまくっても安全な清盛に関してはミスキャスト云々賑やかだったのに、スター脚本家や役者となると途端に
「神聖にして犯すべからず」の流れが出来てしまう。
当時、不思議な世界だと思ったものだが、こんだけ官僚及びマスコミの忖度をリアルに目の当たりにすれば、
日本人の平常運転と諦めたくもなる。 後から思えば駿河ゲットで武田家はけっこう充分だったよね。海も得る事出来たしw
まあそんな早く死ぬと思わないから、徳川領も行ったんだろうけど。 >>75
長文さん、忖度なんぞという近々手垢まみれの言葉を使いなさるな。
あなたの文章の格が下がるというもの。 今回の太平記一騎打ちは、若き尊氏と義貞の最後の華。
あとは、泥濘のような表裏比興の戦と駆け引き、内ゲバに終始しながら、両者とも人生の終わりにむかってゆく。
そして、義貞は燈明寺畷で、まさしく泥田にはまり、盾のないところを眉間に矢を受けて呆気なく討ち死。
(ドラマでは首に当たるが。)
今回の正々堂々の太刀打ちがあればこそ、その死の詰まらなさが寒々しく感じられよう。 >>78
なるほど、積み上げられてきた両者の関係性の終点としての一騎討ち。
こういう分析に対しては異論ないんですよ。そういう積み重ねがない一騎討ちは虚しい。
(真田丸では批判しつつも擁護した信繁vs家康。そこで家康が信繁を「(意訳)お主は戦いに明け暮れてきたー」と糾弾した
のには違和感を抱いた。武人信繁のキャリアを大幅にカットして、秀吉付き介護士信に特化した脚本だったゆえ)
太平記で憚りながら批判したのは、この局面で、すべてを打開する新田の戦術を尊氏との一騎討ちに求めたファンタジー。
残念ながら、これは宿命のライバルが取る選択肢ではない。
史実通りは求めないがドラマ上も説得力を欠いた、というのが尊氏vs義貞一騎討ちについての拙論だ。 今頃麒麟を見る。素晴らしい人間ドラマではないの(舌足らずの歴史描写はもう仕方ない)。
どうやら、外部的他律的要因ではなく、重盛みたいに板挟みとなって苦悩する明智が、遂に本能寺を引き起こすみたいね。
特定の学説に依拠しないこのやり方は悪くないと思う。
やっぱ玉三郎は素晴らしいな。
清盛の人間臭い帝たちとはまた違う奥に鎮座する主上、しかし高貴にして単なるお飾りではない
腹にイチモツ持つ感がサイコー。
清盛を褒めてくれたことがPとの繋がりを生み、この歌舞伎界の大スターにして人間国宝の出演がなったのだとしたら、
8年後に顕現した僥倖と言わねばならない。 板挟みじゃないだろw常に衝動的でいい加減な男光秀が自分のせいで勝手に苦労する清盛並のお笑い大河なw 中川大志→岡田将生の頼朝が美しすぎる
清盛の若い頃と差つけすぎだったよ
マツケンは好きやけどね たしかに、同じく貴種ながら、若頼朝→岡田マは(その後、東国武士性を身につけていったとはいえ)
見るからにお公家系だったのに対して、清盛松ケンは(落胤だというのに)高貴な男には見えなんだw
しかし、「動乱の平安末期に現れ躍動した風雲児。武士の世を拓いた先駆者清盛」という基本コンセプト
からすれば、美しいお上品な清盛はまったくの場違いだろう。荒々しい高平太清盛で正解。 突っ張ってイキる無頼高平太のコインの裏表で、高貴な出自と武士の嫡男という
アンビバレントな矛盾の狭間で悩むナイーブな感性が初期清盛の魅力だ。
老害清盛のがハマってたとの意見に俺も与するけれど、松ケン高平太がダメだった
とは到底思えない。 源氏北条大河で、しかも晩年の清盛をちょこっと描くに留まるだろう鎌倉大河で、
マツケンサンバと松ケンを比較して優劣を論じるなどナンセンスでしかない。
にも関わらず、松ケンのリベンジをマツケンが果たしたーと始まるに決まってるので、
予め憂慮の念を表明しておきます。 腹が痛いつって時子を押しのけて竹やぶに入ってく清盛好きやったな
深キョンの天然な感じもかわいかったし 野糞シーンはお下劣とか笑っておれば良かったが、これが最終盤に効いてくるとは誰が予想しただろうか。
光る君。それは時子にとって、生涯を誓う相手以外の何者でもない。
「ああ言われてしまうと(後白河の後宮に入ることを、徳子は「上皇様だけが私の光る君」と拒絶)、
返す言葉がござりませぬ」
宗盛の館に戻った時子は、打開策が見つからずに肩を落とす清盛を慰めた。
「もうよろしいではござりませぬか。あの〈光らない君〉がここまで登られたのです」
「気楽に言いおって」
「気楽に参りましょう」
時子の朗らかさに、清盛は呆れながら微苦笑した。
少女時代の時子は王朝文学に浸り、源氏物語の主人公光源氏と紫の上のような出会いに憧れていた。
雀がパッと飛び立つさまに似て、いつか時子もパッと心がときめく日が来る。
〈光る君〉との出会い心待ちにしていたある日、時子は道を歩いていて、地面に下りてきた雀を見つけた。
そっと近づこうとしたとき、無粋な男に突き飛ばされた。
(もう!雀が飛んでいってしもうたではないですか。台無し!)
光源氏と出会い損ねたあの日、時子は10歳、清盛は18歳。これが初対面だった二人は、紫の上と
光源氏が初めて会ったときと同じ歳だった。
どうです、お得意の対比レトリックとパラドックス。これを裏付ける古典への素養とそれを
創作エピに昇華する応用力。
時子にとっての〈光る君〉は、無粋な野糞野郎にして〈光らない君〉清盛だったのである。
しかも、考証高橋によれば、恐れ多くも清盛は自らを光源氏に擬えていたというのだから驚いてしまう。
お下劣シーンと笑ってはおれない。 触発されて久々、光る光らない君ネタを思い出す機会を得た。ありがとん。
これまで濫用されがちな「伏線」を自己流で定義しつつ、典型例をいくつか挙げてきたが、
こうして振り返ると、野糞シーンも(一度も挙げたことはない)清盛屈指の伏線であったことに今更気づいた。
汲めども尽くせぬ井戸の如し。 野糞は雅な王朝文学の対極にあるでしょ。
野糞→光らない君
源氏物語→光る君
の対比、そしてメタファーだったわけ。 清盛最愛明子さんは、行き倒れの貧者を無私の精神で介抱したばかりに、流行り病に斃れてしまった。
明子さんの衣鉢を継ぐ令和の医療従事者を、明子さんにならぬよう我々は社会全体で支えなければならない。 明子に関して強調してきたこと↓
最愛明子(考証1)という視点が後々、「一蓮托生」であるべき仲良し平家における
明子腹重盛vs時子&宗盛という、のっぴきならない水面下での葛藤描写(政治的には権力闘争といってよい)
に説得力を齎した。
それは
・一蓮托生の内実が脆いものであったことを暴露した→だからこそ、別の文脈ながら(正妻腹の兄弟との確執)
離反分子頼盛(最終回で西行と並ぶキーマンとしたことのセンス!)が一蓮托生を力強く確証した意義は大きい。
・賢夫人時子は、そのポーカーフェイスの下に、隠しきれない明子への嫉妬心を滞留し続けた(殿下乗合回など)。
・恋バナあるいはホームドラマが、清盛においては重要な歴代命題と直結あるいは融合していた。
(後白河との板挟みに苦しんだ重盛の孤立化は、後期平家の立ち位置のみならず歴史の行方を左右した)
逆に言えば、清盛は昔ながらの大河デフォルトの恋バナやホームドラマとは一線を画していた。 一線を画されてただろw清盛みたいな糞ドラマとはとなw 蝙蝠男成親が突きつけた「この小物めが」には衝撃を受けた。
成親は「重盛が長生きしてたら平家は滅ぶことはなかったー」なる素朴な大衆時代劇的俗説を、
たった一言で粉砕してしまったのだ。
人格面・倫理観において屹立する重盛であったけれど、魑魅魍魎蠢く政界で政治家が持つべき力量面では、
清濁併せ呑む清盛の足元にも及ばなかった。
ところが、尊敬すべき重盛の人間性と平家物語史観に引っ張られて、ドラマがリアルに示した
政治家重盛に対する評価に目を瞑った清盛フリークがたくさん生まれた。今でも多数なのが現状だ。
本作は、清盛を超える息子たちが一人も現れなかったことが平家滅亡を帰結したとする、おそらく
現在では通説の位置を占める歴史観に立っていることを改めて強調したい。 成親の中の人は夏場にコロナに罹患して大変だった模様
幸い無事復帰されて今はお元気だそうなので良かった ホリエは清盛のやった事が普遍性のない奇策でしかないのがやっと理解できたようだなw サダヲ信西の素晴らしさはもちろんのこと(未だ知られざれる大宰相の業績紹介に止まらず、
野心満々ながら身分制の壁に阻まれてうだつの上がらない中級貴族から始まり、
ついに権力を得て粉骨砕身国に尽くした末に呆気なく滅んだこの稀有な個性を(極端に振れ幅の大きなこの人物を)、
自虐コミカルから国士シリアスまで演じられる役者は、サダヲ氏を置いてそうはいまい。
そして、その後の後白河院の近臣を代表する2人、すなわち成親と西光も等しく最高だった。
二枚舌成親は、権力に阿ねることで出世するおべんちゃら蝙蝠男であることを自身のアイデンティティとした。
それだけではつまらない男で終わるけれど、彼は自身の皮相な人間性と役割をちゃんと自覚していた
(鹿ヶ谷の直前では、決意と共に清盛を支えろとの父家成の遺言にまったく反する事態に至ったことに苦笑。
さらに「蝉と共に処刑」前には、己のご都合主義的生き方を自嘲するに至った)。
ここでも平板な悪役に終わらない複雑な成親を、コロナで苦しんだという吉沢氏は見事に演じた。
西光については、信西の弟子たる資格を巡る清盛vs西光の闘いが重要であると強調してきた
(我こそが偉大なる信西入道の後継者也!)。
結果は一目瞭然で、これは相撲節会再再会を巡る両者間での険悪なやり取りで明らかにされた(限られた
財源をそのような事に費やすつもりはないキリッby清盛→西光の恨み→鹿ヶ谷へと)。
長期的、総合的視野立つ清盛対して、西光はあまりにも信西原理主義者であり過ぎ、状況への適応能力に欠けた。
しかし、こういう融通の効かない信念の男だったからこそ、鹿ヶ谷において「不撓不屈の闘士西光by石母田正」
が生まれたのだ。
実際、ドラマで死を賭して清盛を糾弾する西光。そしてこれにブチ切れて凄惨なリンチに及んだ清盛の
シーンには戦慄を覚えた。
そしてリンチの現場に落ちていたのが、西光が生涯肌身離さず身につけていた信西の遺品ー算木であり、
これを見つけた清盛は、これ以上ないような忌々しい表情を浮かべて「燃やせ」と命じた。
これが史上名高い鹿ヶ谷事件のオチである(素晴らしい)。
この不撓不屈の闘士、しかし清盛には敵わない西光を、加藤虎ノ介氏は見事に演じ切った。
真田大河で脚光を浴びて、ご本人たちも同窓会のノリで団結している幸せなバイプレイヤーたちのような
果実をまったく得ていない現状は解せない。改めて素晴らしい演技に感謝すると共に、
もっともっと売れて欲しいと願う次第。 三谷信者が気持ち悪いからじゃないの?
実際俺も彼のオリジナル時代劇作品が面白いと思ったことない
原作付きの脚色ならそこそこ見られるんだけど 正直、調子に乗ってんなよという気持ちは、無双三谷にも三谷組にも親衛隊たちに対してある。
なんかアンフェアなんだよね。
常にマスコミからヨイショされる三谷とクドカン。
川に落ちた犬とばかりに叩かれた清盛。
三谷組に恨みはないけれど、そんなにはしゃぐなよという気持ちは起こったし、
反面で、松ケン始め叩かれ、その後も冷遇されあるいは浮上の目を摘まれた清盛役者が不憫でならない。 >>108
新撰組!だけはよかったけどね。
当時、剣術を習わない百姓、町人がほとんどいなかった多摩のあぶれ者ら。
彼ら力を持て余したのが京に出て、時代を見極められず、さしたる戦略もなく、組織のための組織運営に出しいき、僅か6年で粛清の嵐で自壊していく様がよく描けていた。 力を持て余して京に出たが時代を見極められずさしたる戦略のないまま滅亡が伊勢平氏と共通するからだなw >>106
確かにサダヲ信西は良かったね。
どこかのスレで長台詞言わせると演技力のある無しがわかるとあったがサダヲはまさに長台詞言わせても演技できる方だった。
中井貴一も、三上博史もそうだな。
登場人物それぞれ物語のワンピースとして機能してた分評価されて欲しいとは思う。
しかし何故真田大河と比較? 同窓会のノリどころかコロナなくても互いにソーシャルディスタンス保ってるのが清盛出演者 >大河ドラマ「平清盛」の主人公・平清盛は、戦いのない平和な時代を実現するため立ち上がったとして描かれている
誰だこのめ○らは?と呆れて名前を見たらダイモン。
>読みました。執筆者さんは大河ドラマを観てこの記事を書いたのか、かなり懐疑的ですね。
いやそれがね。1年間、実にトンチンカンな感想文をお金貰って毎回連載してたんですよ。
つまり、熱心に見続けた結果がコレなんです。苦笑。 不眠不休を厭わず目に隈を作りながら、国と民を豊かにしようと国事に邁進した信西を体現する
シンボリックなアイテムーそれが算木だ。
それ故、この算木を密かに肌身離さず身につけて国政に当たってきた西光も、私心を忘れた国士なのである。
現に、あれだけ清盛とぶつかりながらも、西光は息子たちを通じて宋銭普及に務め続けた。
この西光の公共心が、陰謀蠢く鹿ヶ谷勃発の発端となってしまったのは、歴史の皮肉というしかない
(白山鵜川寺でのお風呂代の対価を巡るすったもんだ←清盛が予め手を回していた)。
清盛のスケールそして手練手管には到底及ばなくとも、怨念の漢西光は、私怨、私心だけで動くような
小物では決してなかったのだ。
(大物vs小物の鹿ヶ谷ではつまらないでしょう。歴代の鹿ヶ谷は、そういう評価以前の陳腐な描写に止まる)。 私心なく公共心wとかあったらこんな大河製作するのを止めなきゃなw 平清盛で思い出すのは、2012.6.29 スタジオパークからこんにちは 義朝が、父を斬れず慟哭するシーンが流れ、
その自分の演じたシーンを見て涙ぐむ玉木宏さんに、当時胸が熱くなったのでした。
そのシーンの撮影は、どっと疲れたと言われてましたね
ああ、本日は清盛最終回からまる8年ですかー詠嘆
ジャンプの打ち切りどころではないエクセレントな最終回については、さんざん既出ゆえ略。
ところで、↑のスタジオパークで涙ぐんだタマキンを初めて知った。
短く言えば感無量。一言付け加えれば、清盛は役者さんにとっても熱量マックスの大河であった。 >平清盛はねぇ、もの凄い数の登場人物が出て来る訳ですが、その誰しもの死を決して蔑ろに描か無かったのですよ。
>平家、源氏、朝廷、市井の民… 1人1人に様々な死に様は勿論あるわけですが人1人の人生を死を尊厳を持って描かれる…
>そんな大河それまで観た事は無かったので感服しました。
これ
戦場死のような劇的なものから、穏やかな枕死、そして真田で喧伝されたナレ死(そのプライオリティは清盛にある。
忠盛ナレ死はリアルに描いた場合の数百倍感動的であり、加えて、清盛死後の源平合戦を、懐かしいシーンと共に平家のメンツを
ナレ死的に退場させる舞台装置と位置づけた最終回も特筆もの)まで(例外的だが為朝のようにフェードアウトすら説得力あり)、
一人一人の生き様を大河清盛は実に丁寧にフォローし続けた。 禊?
平清盛後も重要作品に起用され続けているが(3・11特別ドラマー生きたいたすけたい、夫婦善哉、
ちかえもん、漱石悶々、みをつくし料理帖、浮世の画家)。
つまり清盛は罪で穢れた作品ではない。
視聴率最低でもクオリティ最高なのだがら当然のこと。 3人のヒロインに対して、ごり押しだ、新鮮味がない、ブ○だとか賑やかなようだが、
俺にとっちゃ皆様フレッシュw
と思ってwikiったら、牡丹灯籠のユーレイにいだてんに出てたコか。
どっちも良かった記憶あり。
で深津さんは超有名女優らしいが、何と見たことがないスンマセン。 いだてんに同じような名前のムチムチ水着のスイマーがいたような?と思い出してwikiったら何と妹さんだた。
またまたの浦島太郎スンマセン。
平清盛は、それまでの大河のフォーマットを突き抜けんとする様々な挑戦によって、極々一部の熱狂を生んだ。
他方で、大方の大河保守層からは顰蹙を買い、無思慮極まる大手商業マスコミは当然の如くこちらの「世論」に飛びつき、
浅薄なバッシングに加担した。
カムカムも、オリジナル脚本による三世代ヒロインという新規軸を打ち出して臨む、大変チャレンジングな朝ドラとなりそうだ。
いつも通り、視聴率及び内容面でネガキャンが始まるに決まってるので、ちりとておばさんたち頑張って欲しい! 正直、オーデションと銘打った以上は、一般的にはまだ無名の原石を少なくとも一人選んで欲しかった。
お二人が不相当というのではもちろんなく、「機会の平等」は競争社会の前提条件として最も重視されるべき理念ゆえ。
(小泉孝太郎も我が経盛ー鶴瓶の息子も立派な役者だ。しかし、ブランド無くして、素っ裸の素性で夢を見ながら
日々必死に努力している無名氏を差し置いてチャンスを持ち得ただろうか?) 中井貴一や松田某とか二世俳優てんこ盛りのアレの二の舞だなw 松田翔太好きやでー
でも後白河のイメージはやっぱり平幹二朗だなあ
夏木マリの丹後局と二人なら最強やねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています