>>333
為義vs義朝の骨肉の争いは、義朝凱旋帰国で為義が歓喜の涙を流したその後に勃発したが
(親子のスレ違いで最も重要なのが、「人生観や性格の違い」以上に、摂関家従属路線を固守する為義と
鳥羽近臣となることで再興を目指す義朝との間で生じた、源氏生き残りを賭けた生き残り戦略の相違)、
実際は義朝廃嫡はもっと早い段階でなされ、為義は義賢を後継者に指名していた可能性が高いとのこと。
この辺りは歴史学に委ねるが(物語としてのストーリーは完璧に筋が通っている)、源氏重代の大刀髭切は
源氏棟梁の証であるのだから、義賢に髭切が渡ってそれを取り戻すために義朝が義平に命じて(ドラマで描かれたような)
大蔵合戦を惹起させた可能性は否定できない。
しかし、保元戦後処理回で、ダメさんが義朝が投げつけた髭切を手に取って〈再授与〉したシーンは、
大河清盛で最高に感動したシーン一つである。
しかもこのシーンが、最終回で髭切を手に取って力強く武士の世建設を誓う頼朝へと繋がっていく。