思想家というのは不器用な青年時代を送ってものだと思うのだが。
立ち止まって考えるから人は思想家になるんじゃないのか。
木戸の分からないところは不器用な青年時代を送っていた痕跡がない所。
立ち止まって考える時間があったとすれば但馬潜伏時くらいか。
妙な例えかもしれんが、ヒトラーも獄中で「我が闘争」を書いたしね。