──本能寺の変は?
「どうすれば本能寺に行けるだろうかと、ずっと考えながら書いていた。こうすれば本能寺に行けると気づいたのは
36、37回あたりで、それまでは答えが出ていなかった。答えから逆算して書いていると思われるだろうが、私はそうしないようにした。
人間というのは、その時その時の喜怒哀楽で生きていて、誰かと毎日付き合っていても10年先、20年先のことは分からない。
『あ、こんなことになってしまった…』というのが本能寺。見た人に、自然に思ってもらえたのだとすれば、そういうことだからだと思う」

──結末を決めずに書いていて不安は?
「本当に本能寺に行けるかと、一抹の不安は絶えずあった。でも、そこが面白いのではないか。
途中葛藤がないと、予定調和になってしまう。光秀は、目の前にいる信長を殺すわけだから、必ず何かあると信じて書いた」

──いずれにせよ、光秀生存を思わせる結末は反響を呼びそう。
「長谷川博己さんから『続編をやりませんか』と言われた(笑い)。今のところ、そういう気持ちはない。
最後は明るい気持ちで見ていただきたいという思い以上はない」

──もし光秀が生きていたら家康を支える?
「家康には家康の世界がある。光秀は距離を置いて付き合っていっただろう。娘の細川ガラシャもいるし、
秀吉をどう見ていくか、家康をどう見ていくか…。面白い存在ではあると思う」

──面白い存在であるならば、続編もしくはスピンオフを見たい。
「うーむ…(笑い)。今は長いものを書き終えて、少し離れたい気持ちだ」