>>369
逆だね。律儀で謙抑的な岡田マが上手かったと主張する気はないが(当初は固かったとはいえ、総じて評判とった落語ドラマと
さして異らぬ水準にあった。この硬さは彼の個性なのだろう)、外来語とか芸能レポーターが飛び交うジェームスの黄門などは、
調子に乗りすぎて個人的にはよほどげんなりする。
こういうのは個人が抱く理想のナレ観の相違以上のものではなく、しかも作品ごとのポリシーが異なるのだから、
何が正しいかを追求しても始まらなない。
たとえば、局アナを起用すれば中立公平客観寄りとなるかもしれないが、局アナが思いの外雄弁説明過多で、
歴史を淡々と進行させる役目以上の働きをすることがある。
独眼竜とか今やってる青天なんかは相当「出しゃばって」いる(悪いわけではない)。
ナレ朝起用は、勝者頼朝が敗者清盛をオマージュしつつ平安の終焉と武士の世の到来を総覧するー
こうした脚本家の強い拘りによって実現したものであり(清盛に並行して時代を歩んだ西行ナレという線もあった)、
コンセプトが明確な上、基本淡々とした客観解説を基調としつつも、時に源氏当事者として為義にツッコミをいれたり、
自身の死をメタ視線で語るなど、これまたふつうじゃない大河清盛が有する多元性を体現した。
こうした特性からは、基本硬めで中立のナレ朝岡田マは決してミスキャストではない。
(蛇足ながら、麒麟歌舞伎ナレの起用理由と拍子抜けするような無個性ぶりが未だに分からない)