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山に登るつもりではなく、信州にいく通り道。

伊藤松宇は上丸子村の紺屋に生まれました。『丸子町誌』によれば、(中略)岩村田藩領
丸子依田地域には、紺屋が13軒、栗岩英治氏の『長野県町村誌』には、飯沼村だけでも
木綿縞の年間生産が2,800反とあり、そのため染色藍の需要が大きく、伊藤松宇の生家も
渋沢家の上得意客でした。

渋沢栄一の信州の旅は、交通難所の上信国境越え、風光明媚な内山峡、そして木内芳軒宅、
五郎兵衛新田を経て、上丸子村の伊藤邸での楽しみでした。杉仁さんの『近世の在村文化と
書物出版』によれば、近世の村は、文化の宝庫であり、豪農商が生産活動と俳諧・生花・書画・
武術・儒学などの両立させてきたとあるとおり、若き日の栄一にとって、伊藤家では藍の商談
とともに俳諧を語ることも楽しみの一つでした。
https://www.city.saku.nagano.jp/shisetsu/sakubun/gorobekinenkan/mamechisiki/mamechisiki07.html

「青天を衝け」なのに撮影の日は雲が多くて「青天」じゃなかったね。

内山峡
https://rurubu.jp/andmore/spot/80019414
この間グーグル地図上で国道254を深谷から佐久まで時速100qくらいで走ってみた
けど、片側1車線で舗装もきれいでそんな厳しい山道じゃなかったけどな。トンネルを
3つと橋1つ通った。