『青天』第19回レビュー魚拓です(「○」を削除して「//」の後の半角スペースに「a」を挿入してください)。
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【藩札は、早い藩では17世紀にできています。栄一が言う通り、硬貨は重い。小判をおおっぴらに持ち歩いているのは昭和の時代劇のみ。印刷技術が発展して世の中が平和になれば、多くの国で紙幣が発行されています。
 それなのに本作では、まるで幕末に渋沢栄一が発明したような描き方。今回の放送で栄一が披露した商売話は、だいたいどこの藩でも江戸中期にはあったようなアイデアです。知性とイノベーションを過小評価された過去の人々が気の毒でなりません。】(2ページ目)
 → 藩札についてはこのような記述でした。しかしドラマでも別に栄一の発明としていたということではなく、偽造防止と確実な兌換という「信用の重視」ということを中心に描かれていたと思うのですが。

【あらすじでも突っ込みましたが、因果関係を逆転させている描写も多い。徳川家茂は慶喜を褒め称えるどころか、その変心ぶりに疲れ果てていた。
 慶喜が「勅許がないのはおかしい」と言い出したことは、倒幕の引き金となっていて褒められたことではない。松前と阿部がむしろ正しい。】(2ページ目)
【ここで、川路聖謨とやすが喜ぶ場面が入ります。川路がただ人の好いおじいさん設定にされていますが、そのことも胸が痛みます。確かに川路は明朗快活でユーモアセンスがあった。平岡のことも目をかけていた。
 でも、このころはさまざまな事情をふまえ、憂悶していたと思います。ましてや徳川の夜明けを期待していたとも思えないのですが……史実とは真逆の解釈がどんどん出てくる。】(1ページ目)
 → 因果関係を逆転させているのは武者氏でしょう。ハリスと違勅条約を締結したがゆえに攘夷が過激化した、だから京に近い兵庫開港の前にどうしても勅許が欲しかったというのが歴史の流れではないのですか?
  そしてその勅許がおりたからこそ、川路が喜ぶシーンがあったのではないですか?彼がこの時点で徳川の行末をどのように予想していたかはともかく、その死に様からみて、「新しい徳川をみたい」という台詞は別におかしくはないと思いますが。

【水戸学由来のアジア侵略構想も残った。】(2ページ目)
 → 相変わらず「脱亜入欧」「攘夷」「大アジア主義」「西洋流帝国主義」をまぜこぜにしているのでは?

【私が思い出す人物は、蜀後主・劉禅です。蜀は建国時点で無理があったから、滅びたことそのものは仕方ない。問題は態度です。蜀滅亡後、宴会で蜀の音楽が流れ、旧臣たちは涙をこらえきれませんでした。が、 劉禅はニコニコスマイルだ。
 「蜀のこと、思い出しません?」
 「いいえ。今が楽しいからそんなことないですよ」
 そう劉禅は悪びれずに返す。人間ってここまで無感情になれるものなのか。そう周囲は呆れた。劉禅にせよもっと追悼でも反省でもすれば、暗愚とされないでしょう。
 慶喜だって、松平容保くらい身をひそめて生きていれば、評価はちがっていたでしょうに。】(3ページ目)
 → 慶喜への批判もネットに溢れてますが、さすがに劉禅と比較したのは武者氏くらいでは?

【栄一と慶喜はさておき。私は今週一週間、現実逃避でSNSをしたり、色々取り組んでいましたが、精神状態の悪化がどうにもなりませんでした。天狗党の顛末のせいでしょう。
 『鬼滅の刃』にある「記憶の遺伝」って、ある程度真理なのではないかと思いました。
 慶喜を善人扱いされると、警報が胸の奥で鳴り響くようで、気分がどんどんおかしくなっていく。天狗党関連でそれがあふれて止まらなくなりました。】(4ページ目)
 → 武者氏がこんなにも天狗党を気にかけていたとは知りませんでした。それにしても小檜山氏のtwitter、先週一週間、鬱々としたものがありましたっけ?