>>925の続きです〕

 【司馬遼太郎おじさんの子の世代にとって、ポスト司馬遼太郎は何かと考えてみる。司馬遼太郎も好きだけど、距離は置いてますよね。その答えが見えてきた気がする。 
〔小見出し・サブカルで天下国家は語れるのか?〕
  まずは田中芳樹氏。断っておきますが、彼には何の恨みもない。ただ、手法に問題があったのだろうとは思う。】
 → 私は『銀英伝』を読んでいないので、この下りは他のスレ住人の方にお任せします。ただ、先日のtwitterでのやり取りが堪えたのか、田中氏及び『銀英伝』への言及が幾分ソフトになったような気がします。

 【大手掲示板には歴史系のまとめがある。かつて過去noteにも書いたのですが・・(中略)・・私も逸話系スレッド常連投稿者で、いつの間にやらその対象人物の評価が変わってしまった経験があります。
  私は国会図書館に通い詰めにし、コピー代を払い、ファイリングしてまでやっていたのだから我ながら意味がわからない。まとめた側はさておき、投稿した側の栄誉には一切ならないものだから。
  でも敢えて私は言いたい。当時まだ少なかったあの地方の歴史がらみの本を調べてソースを確認した上で投稿したこと。それは自分なりの責任の取り方ではあった。でも、そうでない人がいたらどうなるんでしょうね。】
 → 小檜山氏の国会図書館通いは「歴史上の人物評価ですらインターネットが変え得るし、それは危険なことだ」@2021/01/23( ht○tps:// rchive.is/RFom3 )に記されている。小檜山氏が調べた人物というのは最上義光のことだと思われる。
  しかし、週末に国会図書館に通った割には、調べた史料が「主人公ライバルの対する論文、市町村史、大正時代まで遡るような古い文献」しか例示されていない。せめて江戸期の軍記物くらい当たれよ。この点についてはpart21スレ182・183を参照。

 【私如きを信じる人はいないだろう。とはいえ、それでも英語でいろいろ発信したりするとき、嘘はいかんからソースありきでつぶやこうと最近は心がけています。一応、良心は捨ててません。】
 → 小檜山氏に良心がないとまでは言うまい。ただ妄想に耽溺しているだけだと思うことにしよう。
  あと、文脈的に「嘘はいかんからソースありきでつぶやこうと心がけている」としているのは「英語で発信するとき」に限られているように読めるのだが、日本語での発信は「どうでもエエ!」のか?

 【東京オリンピックだの万博だのリニアだの。そんなもん税金でリメイクされても困るだけ。】
 → 東京五輪については「リメイク」という表現も許容されるかもしれないが、万博は1970年以降もつくば・愛知・大阪(場所が違う)でも開催されているし、リニアに至ってはリメイクではないことは明らか(しかも大規模な税金投入は予定されていない)。

 【これから先は、サブカルや大手掲示板のノリが焼き直されてゆく。そしてそれを下の世代が嘲笑する。そんな時代になるわけですか。暗澹たる思いはあるものの、仕方ないという気はします。
  ただ、それが有害とみなされて叩かれることを想定し、理論で反駁するなり、態度を改める準備はしておきましょうね。】
 → この言葉、そっくりそのまま小檜山氏にお返ししたい。