【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part6
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2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
【放送予定】
2022年1〜12月
【脚本】
三谷幸喜
【制作統括】
清水拓哉(「真田丸」「いだてん」「腐女子、うっかりゲイに告る。」)
尾崎裕和(「軍師官兵衛」「あさが来た」「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」)
【演出】
吉田照幸(「あまちゃん」「エール」『探偵はBARにいる3』)
【プロデューサー】
大越大士、吉岡和彦、川口俊介
2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=21781
前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part5
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1607067898/ でも滅びる時も一緒だから
内輪揉めといっても可愛いもの 平家の仲違いって保元の乱の忠正と都落ちに同調しなかった頼盛くらいしか思い浮かばないな
時子系と重盛系は反りが合わないところがあったようだけど >>104
https://bunko.sumikko.info/item-select/4569901328
嶋津義忠『北条義時 「武士の世」を創った男』2021年6月PHP文庫
ちらっと立ち読みしました。
旧説によって、何ら新味もなく、無駄な小説と感じました。 >>108
あの宗盛の下で概ねまとまるくらいだから(小松家や頼盛のぞく)、
平家は基本的に一族の仲は相当良い
鎌倉北条氏は平家よりももっと一族の仲がいいんじゃないかな
小松家や頼盛みたいなのすら出ていない
たとえば名越家が後醍醐天皇に味方したり、
(現職執権だからむずかしいところはあるが)赤橋守時が
足利高氏に内応したりとか、そういうことすらない 仲が良いは武士の自己否定。問題が生じたら話し合いではなく戦仕合いするのが武士 宗盛は当時の武士の大半を家人にしていた事実を打ち消すために殊更無能描写された可能性があるにはある >>114
束ねてたのは二位の尼、平時子
時子の血を引いてないのは平家もまとまってないし 福原遷都を廻る対立もあったし平家内部の矛盾が表面化する前に全滅させられた その頃の平家はもう武家より公家の側面の方が大きいだろうしなあ 北条氏てむっちゃ気位高いよね
頼朝への政子の態度とか源氏や皇室への義時の態度とか
最後も足利呼応なんて考えられんてなノリだし >>114
敗者の中心人物は寝返ろうにも引き受け手がないからね
よほどのことがないと結束感が高まらざるを得ない
小松家も途中で脱落はしても寝返りはできなかった
家臣のレベルになると平貞能が宇都宮を頼って生き延びたりしてるな 「歴史人」で「源頼朝と鎌倉幕府の真実」って特集やってる
まあ真実も何も特に目新しい内容はないっぽいが 西に来てて帰る先が無くなって降伏したんだっけ大仏
でもすぐ処刑されたが 大河の太平記で鎌倉幕府を倒した後の京復興をどうするかの話し合いの場に大仏と二階堂がいたな
裏切り者呼ばわりされて怒ってたw 裏切り者呼ばわりされてなかったぞ
北条の残党言われてた
その残党使わないとお前ら政できないし法も作れないだろw
とpgrされて怒った新田弟と乱闘に >>131
その観点は鋭いね、大仏はおとなしくしてたら名跡も残せたんじゃないかと思うな
(まあ、横井氏が得宗家(北条高時→北条時行)の血脈を残せたから別にいいんだけどさ) そうか、大仏流と佐介流は時房の子孫で、
義時の男系子孫ではない、時政まで遡るのか 北条残党の乱があちこちで多発したんで建武政権もその後も
北条皆殺し作戦に出たというぞ
だから北条の子供たちは皆名前変えて潜伏生活
まあ名越だけは江戸時代に名越に名字戻したというが 高倉健が腹切やぐらに納めてた卒塔婆に
苅田篤時って書いてあったね(たしか)
名越に連なる人なのか 苅田北条氏は極楽寺流だから名越の系統じゃなくて重時の系統だね。
しかし、高倉健の故郷の福岡県に苅田町という市町村があるんだよね。こちらの苅田の読みはカンダだけど 鎌倉炎上の時に苅田篤時さんは高時と一緒に腹切ったがその子供は逃げた
大内氏に匿われその後に北九州に行ったらしい
高倉健が家にある系図持って宝戒寺に行ったら過去帳と一致したとか
名越流だねつまり高倉健は義時の子孫w 余計なことは言わないが
結構お茶目なとこは似てたりして 調べたら、苅田じゃなくて刈田だね。
名越の子孫に刈田式部大夫篤時ってのがいて、それが高倉健のご先祖。
苅田北条氏は重時流で別にいるのね。 重時流は信州に勢力あったからその奥地あたりに潜んだものが多いらしい
涌井氏とかが有名か
新潟の方に移動してった者もいるというが
今でも新潟県津南町から長野県境あたりは日本の秘境と呼ばれて
すごいとこだから大変だったろうね 太平記といえば、建武式目の序文に義時泰時の政を理想とする、と明記してあるな 高倉健といえば三谷の我が家の歴史で小栗が演じてるな
先祖と子孫と両方三谷作品でやるとは不思議な縁 わが家の歴史再放送してほしいな
著名人の出演が多くて無理かな 名越は尾張に生息してて信長と親戚関係なのは知られてるが
秀吉の木下家の主君だったんじゃという説も見たぞ
弟の秀長の嫡男の嫁が名越だったのもその縁とか >>142
公家政治の理想が延喜天暦で武家政治の理想が貞永貞応
てのどっかで見たがどの文献だっけ
いつの時代も義時泰時が理想
古今著聞集では義時が武内宿禰でその息子だから泰時も
ただ人ではないと書かれてた
得宗家総選挙でも泰時義時がワンツーフィニッシュつよいw >>145
得宗家も名古屋やでw
那古野城とは目と鼻の先(今川那古野家は母方の今川姓を名乗った名越流の末裔)
ただし、時永の代に海西郡赤目村へ移っている
(そりゃあ名越が目と鼻の先に住んでいたら、やりにくいというのはわかる)
写真を見るに川の中州のような場所に逃げ込んだのでは?
https://ameblo.jp/kanezane2/entry-12555867418.html
安達氏も尾張に移って熱田神宮社領を押領してる記録がありますね(こちらは歴史の表舞台から消えた)
北条時行―時満―時任(愛知郡横江村→横井村、名古屋市中村区横井)―時利
―横井時永(海西郡赤目村へ移住)―時勝―時延―時泰(以降、尾張藩士)
この辺りを支配する斯波氏(初代家氏は北条一門格)と今川氏(霜月騒動で得宗・平頼綱側に加担)が
ともに北条の残党に甘いのには理由があります 横井氏(北条得宗家の末裔、尾張国赤目)と
(源姓)毛利氏(源義家六男・源義隆の末裔、美濃国八神)は、
今でもかつての領地の屋敷にそのまま住んでるみたいね
赤目城(●を消してください)
https://shiro200303.sa●kura●.ne.jp/Akamejyou.html
八神城
https://cmeg.jp/w/castles/4618
大江姓毛利氏が誕生するのは、
大江広元が和田合戦の論功行賞で相模国毛利荘をゲットした後のこと
(広元四男・毛利季光が相続) 名越がいたからその地に得宗家がやってきたんでないの?
安全考えてさ
でも結局尾張衆で一番勢力が横井になったぽいから名越の居場所は…
さすがに相性悪い連中だな 横井氏は、関東でもお馴染みの
伊奈忠次(備前守)による「備前検地」(1608年)の時点では、
尾張藩士、国人・土豪の中で唯一、検地を免除されているので、
この時点では「歴史マニア」の家康から特別扱いを受けていた、
「独立勢力」扱いであったことがわかる
近世の尾張藩における尾張衆とその知行地(後編)
https://core.ac.uk/download/pdf/196700317.pdf
> 「権現様駿府御在城之刻,伊奈備前守江尾州検知被仰付候節,
> 横井一統知行之儀は格別之思召を以,検知御解除被成下候」
横井一族は、家康の特別の思し召しにより、検地免除
> 新しい在所の落伏村の名称が「落ち武者」に似ているので,村名を赤目とし,
> 従来の赤目を古赤目と改称したのは安永3年(1774)である。
トラウマ( ´;ω;)
尾張藩における「給人領」とその給人(前編)
https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1616&item_no=1&attribute_id=26&file_no=1
尾張藩における「給人領」とその給人(後編)
https://core.ac.uk/download/pdf/196700828.pdf
> 毛利氏は元禄以前には、普請役が「半役」であり、それ以降も他の藩士より優遇されている。
> すなわち、元禄6年(1693)8月24日 に「命令日、来戌春より普請役五割増可上納、
> 且御国役而無役之輩可出半役、半役之輩可出本分役との御事也。
> 所謂 渡辺半蔵、石河党、毛利党、横井党、御旗奉行、御鑓奉行、
> 御弓矢奉行大番小頭等」(文献(12)290)とされているから、
> 元禄以後も渡辺氏、石河氏とともに、普通の藩士の三分の二の普請役で済んだのである。 >>151
一応、北条得宗家が尾張に住んでる直接的な理由は、
北条時行と熱田大宮司の娘の間に生まれた子供が時満だから >>151
ただ、そもそもなんで尾張に来たの?と言われれば、
確かに言われる通りで、今川一門格におさまっていた
名越の存在は大きかったかもしれませんね
安達氏が熱田神宮社領を押領している記録が残っていることと合わせて、
時行と熱田大宮司の娘の交合は、
歴史的正統性を求めた、南北朝の動乱・観応の擾乱のドサクサに紛れた
政略結婚とも呼べないような略奪婚(レ○プ)の匂いもしますね >>148
一族でも時政はあまり評判よくないんだよな
得宗も初代から省かれて義時からにされたり 鎌倉での義時の活動が江間として自立してたからな
上洛の時とかなんで時政は行かないん? 義経反乱時の守護地頭の設置は時政が朝廷と交渉してるな
献策したのは大江広元だが >>152
家康が横井を特別扱いしたのは得宗流て知ってたから?
吾妻鏡愛読者の本領発揮か >>162
下にある普請役の「半役」(通常の藩士の半分の負担で済んだ特権)ですがね、
渡辺半蔵、石河氏、毛利氏は将軍の朱印状によって所領安堵されている「給人」ですから、
その分の負担を尾張藩が求めることはできないという理屈があるのですが、
横井氏にはそれもないですからね
検地免除といい(こっちの方が大きい、唯一無二、破格の待遇です)、
半役といい、家の由緒によって許されているとしか言えないですね
ただ、横井氏は「給人」ではないし、
普通の尾張藩士として、徐々に尾張藩に飲み込まれていくんですよね
幕末まで「客将」扱いされていた(源姓)毛利氏とは対照的です
(毛利氏は尾張藩主から所領安堵の黒印状を受け取ったことがない、
原則として藩の役職には就かない)
所領が防衛ラインの美濃にあったか、尾張にあったかの違いですかね 横井氏が北条得宗流だってやっぱ結構知られてたんだな
氏綱が横井氏の嫁さんもらったなら幕府に北条改姓申し出ても
すんなり認められるの納得 もうクランクインしたのか
正直コロナの影響で撮影や演出に制限が出る中で撮って欲しく無い
完璧なのが見たい >>170
まあクランクインしたからには
コロナは無いものとして
密だろうが接触だろうが完璧にやりたいようにやって欲しいわ 平安、鎌倉時代はファンタジーだよな。
なんかこう不安だな。 後漢光武帝ファンサイトにあった家臣団テンプレで義時ver作ってみた
異論は認める
1.腹心の人事担当:大江広元
2.欠点を補う家臣:(北条政子)
3.後見人的な重臣:(北条政子)
4.最強の親衛隊長:金窪行親
5.智謀優れた参謀:大江広元
6.遠征できる名将:北条泰時 北条時房
7.一騎当千の猛将:三浦義村 結城朝光 足利義氏 安達景盛
政子は家臣ではないし格上の存在だがそれに近い立場ということで括弧つき >>145
秀吉は主君筋の女性を手に入れるの好きだな
秀長の息子でなくて同じ甥でも秀次の嫁だったら >>179
>>一騎当千の猛将
レイパー朝時を忘れとるぞ >>186
>>187
セーテンをツケの家康っぽいポジションで
ワタシがホロボシました
新田義貞です >>190
イエヤスが未来を語るほうがおかしい
ヨシサダは既に史実を知っている 義重の次が幕府に許可なく突然出家して所領を大幅に減らされたんだっけ? 後醍醐が高時討ててやる時も時政の名前は出すが
義時や承久のことには触れてない?
時政の人気のなさに便乗してるのかもしや >>203
般若心経を唱えながら一年ほど待機しなさい 義時の綺羅星たる息子たちを語れ!
泰時...得宗家の炭治郎かつイエスキリスト!お兄ちゃんパワーで御成敗式目制定!
重時...常識人!
実泰...メンヘラ!
政村...普通の人!
有時...残り滓!
朝時...脳筋レイパー! 朝時は19歳でレイプ犯罪を起こして勘当されたクズ
黙って腹を切ればいいのに嫡男気取りのゴミ
泰時はこいつを後鳥羽院と一緒に隠岐の島へ流せばよかったんだよ 名越 教時「おれの親父である朝時は義時の嫡子だぞ!」
時宗 「おまえの親父、レイパーやんけ」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています