>>91
この手の、一見、長州・山口県を批判している、disってるような記事ですら、
実際は、長州の虚像を広める捏造プロパガンダだからな┐(゚〜゚)┌

【長州閥の実像】
幕末に、尊皇攘夷のカルトテロリスト集団が手の平返しをして、長州征討で滅亡寸前だったところを、
外国の力まで借りて九回裏2アウトから逆転サヨナラホームランを打っただけ。

当時、明治天皇以外にもフツーに男性皇族はいた、江戸幕府はそれ以外に輪王寺宮というカードも持っており、
2000年代から流布されているすり替え()など政治的に自殺行為。また明治天皇の生母の実家の中山家で
明治天皇の幼少期の養育に関与していたのは、長州ではなく、むしろ薩摩である。
もちろんすり替え()・替え玉()などしたら、薩摩が黙っていない。

マイノリティが一瞬の差し脚、ただのクーデターで権力を手に入れただけだから、
明治維新後も、(薩摩と比較しても)異様に権力に執着して、
山県有朋という足軽未満の中間(ちゅうげん)上がりの小心者が、
ハリネズミのように陸軍や内務省(警察)をピンポイントで抑えにかかった。
数ではとても勝てないので、選挙干渉・腐敗選挙を繰り返して、政党政治を堕落・腐敗させたのも長州閥

このあたりは、ソ連共産党始め世界の共産党の権力奪取パターンと非常によく似ている。
歴史的には、共産党よりも長州閥の方が早く、さらに言えば鎌倉幕府の執権北条氏の二番煎じ、再来とも言える。
北条氏が真っ先に抑えたのも鎌倉幕府の軍事・警察を司る侍所であった。
(長官の別当(執権)だけではなく、初期の頃から次官の所司も
「御内人の嚆矢(こうし)」とされる金窪行親が就任、その後も御内人トップの
内管領が侍所所司を兼ねることが多かった)
薩摩は徳川将軍とも皇室とも縁戚であり、どっしり構えて、そのようなことをする必要はないのである。
(徳川家広は、明治以降、旧幕臣と旧薩摩藩士の婚姻が少なくなかったと言っている)

ここまでやっても、長州閥というのはショボくて、戦前も、昭和の段階で、すでに押されまくっていた。
ちなみに長州閥は実に4回も歴史的な国民暴動(※)を起こされている嫌われ者の無能集団なのである。
(※)日比谷焼打事件(×第1次桂内閣)、第一次憲政擁護運動(×第3次桂内閣)、
米騒動(×寺内内閣)、60年安保(×第2次岸内閣)
ただし、ここでは、嫌われ者の無能集団であることよりも、
長州閥には自分たちが嫌われている自覚(被害妄想)がある、
連中の恐怖心・コンプレックスを理解することの方が重要である。
ちなみに、逆に日本人に暗殺された長州閥の総理というのは1人も居ないのである(あっ・・・察し)。
(伊藤博文は、朝鮮人の安重根に暗殺された)