【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART50
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【放送】2021年2月14日〜
【主演】吉沢亮
【脚本】大森美香
【制作統括】菓子 浩 福岡利武
【音楽】佐藤直紀
■公式サイト http://www.nhk.or.jp/seiten/
■ツイッター @nhk_seiten
>>980を踏んだ人が次スレを立てて下さい
立てられない場合は声掛けを
※前スレ
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART48 (実質49)
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1622978737/ >>516
Twitterにアップしてくれてる人がいるな >>343
>>512
幕末薩摩の場合、大別すると保守派、改革派、尊攘派の三派があった。
門閥を中心に薩摩本国の大勢が保守派で、この派は中央政治への干渉自体に反対だった
改革派は天才肌の名君だった島津斉彬、
その弟で斉彬の養子として当主となった島津忠義の実父島津久光が代表格
島津久光は一度も当主になった事がなく、
島津忠義の当主襲封及び久光の父である斉興の死去で忠義の後見として「国父」の尊称と共に実権を握る
父親等の意向で政敵の関係になった事はあるも、共に自分に無い才覚を尊敬しあう良好な兄弟関係
西郷隆盛は幕末初期は普通に尊攘派で、それに対して西洋通ながら西郷を側に置いて重用した斉彬は
実際に尊攘派の西郷から面と向かって批判的な事を言われても
熱意も解るしお前もいずれ解ると言って納得させる度量があり、
逆にその斉彬の大きさに心服し過ぎて久光にも堂々非礼を続けた西郷に対して久光は流罪を以て上下関係を叩き込んだ
斉彬、久光の路線は簡単に言えば幕府譜代による中央政治独占の限界を見て
より広い視野の意見を求めながら幕府、朝廷と協調して日本が挙国一致する改革路線で、
斉彬の時代には、その象徴として一橋慶喜の擁立を図り、
井伊直弼の独裁が過ぎるとして出兵による朝廷擁護計画で尊攘派とも利害一致した矢先に急病死した
その後に実権を握った久光は、保守派が大勢である中で、
尊攘派下士に連なりながら現実政治へのリアリズムを持つ大久保一蔵や
門閥家老ながら抜群の才覚と柔軟性を持って下級武士とも親しく関わる若手の小松帯刀を抜擢。
気に食わないが過去の中央外交や鹿児島郷中で
圧倒的な人脈、人望を持つ西郷に就いても小松帯刀の仲裁、仲介と言う形で呼び戻す
そういう訳で、島津久光、小松帯刀は、基本は幕府朝廷と協調しての改革路線で
大久保西郷もその縛りの下で活動していたものの、
天皇の覚えめでたく近衛家とも縁続き、将軍家定御台所の生家である外様大名が中央介入する事に
江戸城老中、京都政局を握った一橋慶喜らが強く警戒。
薩摩は孝明帝の意向で長州追放の軍事行動を行いながら、
一橋慶喜らによって朝廷から政治的にパージされ、
慶喜が将軍となってからもそれが続いた事で
久光、小松は幕府と言う政治体制を倒す「倒幕」に路線を転換
それ自体は大政奉還により一応成立し、以後の政治体制を交渉する段階になって
島津久光、小松帯刀が病気で薩摩本国に足止めと言う事になり、
過去の経緯から徳川慶喜を極度に警戒して、徳川宗家の討伐を不可欠とする「討幕」志向の
大久保、西郷が薩摩の全権として出兵上京。
小松よりも格落ちの大久保らは大名レベルの折衝で慶喜シンパのしぶとい交渉で後手に回り、
このまま出兵して成果無しでは保守派大勢の薩摩本国で生きていられない所まで追い込まれながら
手違いに近い形で勃発した鳥羽伏見に乗じて一発逆転の「討幕」に至る >>516
本当の円四郎って人はそういう文を書くようなキャラじゃないんだよね >>516
ありがとう!台詞を文語体に変換するスタッフがいるんかな
>>517
おおっ探してみます、ありがとう それよりも本人が本当に書いた物で現存する文なのかってことのほうが気になるけど そもそもやすさん自体川村さんの日記にかろうじて名前出てるくらいしかわかってないらしいしおそらく架空じゃないかな 言文一致が普通になる前の時代の人たちって、
文字が読めるとか、漢字が読めるとか以上に、文語体が解らなきゃいけないから
ハードル高いよね。 >>500
円四郎も慶喜に仕える前はしがない武士の端くれだったんでしょ
時代も時代だし武士だけど命の危険なんてない身分だったんじゃないのかな? >>454
それはない。1000万〜1500万だわ あの掛け軸の黄色い鳥って可笑しくないかな?
あんな鳥当時いたのかな?
現代の子供の落書きレベルだし色が黄色なんていないだろ。現代のペットショップならいるだろうが 青天ナビで猪飼さんから借りた25両を現在の価値て約125万と解説してた
てことは100両=500万? >>530
今とは物価や平均生活水準が全然違うから、それぐらいでもいいかもね。 栄一はどこに旅するにも二分銀一枚で事足りるから百両はその四百倍と言っているよ(一分銀の間違いじゃね?) >>507
自分の経験が全ての人にも当てはまるという自信はどこからくるのだろう >>530
幕末の1両は、現在の10万円よりかは下、数万円程度だから概ね合ってる。
幕末から明治になると1両=1円=1ドルとなります。
あと、おおよそ1両=米1俵と思っておくと便利。
1人扶持=5俵は、成人男性の1年間の食費に相当するというところも。
もちろん、食費だけでは生きていけないですけど。
現代で食費が1日1000円ちょっとと考えて、1年で40万円。
これが5俵=5両に相当するとしたら、1両=8万円となります。 あと、どっかで読んだけど、江戸で1人暮らしするなら1年で20両くらい必要だそうだ。
そのうち食費が5両とすると、エンゲル係数が25%となって標準的な値だ。
それから領地を与えられている侍にとっては、1石の領地から得られる収入がほぼ1俵=1両だそうだ。
100石取りの侍くらいなら、自分と家族のぶんくらいは養っていける計算だ。 >>536
そうなんだね。へええーって思った
じゃあ、殺される直前の平岡って、収入はどれくらいあったんだろう? >>537
http://blog.livedoor.jp/eienf/archives/1078636872.html
ここのサイトでは、平岡の年収は400俵(≒400両)と考察されているね。
でも、1両=16,000円は低く見積もりすぎだと思うけど。
ややこしいのは、10石と言っても、米10石そのままもらえるのと、
10石分の領地からの収入(≒10俵分≒40斗≒4石)のことを指すのか
よくわからんということ。
興味あるなら、この辺いろいろ調べて下さい。 参考に
桂小五郎は、一人暮らしで90石取り(≒年収90両)+実家は医者で副収入がある
松陰先生は、大所帯家族(両親+兄妹弟)で26石取り >>505
薩摩、会津、水戸の内部事情が本当によくわかりました。
薩摩に関しては数日前にも解説されていましたが、何しろこちらの受け皿が小さいので
全部を受け止めきれず、同じことを繰り返し聞くことになってしまって。
水戸は温室育ち、会津は優等生、薩摩は苦学生みたいなところですかね。
たった一人の採用枠をめぐる就職活動始末記みたいな。
会津は正攻法だったけれど、お気に入りだった採用責任者の突然の死去で運命が狂う。
水戸は東京で就職したいが実家の稼業を継げと言われて親子喧嘩で就活中断。
家が苦しく兄弟も多い薩摩は何としても就職しなければならないと必死。水戸は自滅
したので、残るライバル会津の前採用責任者との癒着をでっち上げて暴露。
単純化したたとえで理解しようとしましたが、ずれてきましたね。
ちなみに長州は、最初に朝廷の攘夷の勅諭に素直に従ったにもかかわらず818で処分され
抗議のデモが禁門の変となり長州征伐に、というのも長州からしてみればひどい話ですね。
長州藩の実情はどんなだったのでしょうか。 >>478
去年の最優秀役者は玉三郎だと思う
雰囲気とか申し分なかった >>534
そんなこと言ってないでしょ。
人の悲しみの感情を自分の経験から話すことのどこが間違ってるんだろう。
あなたはかなりのへそ曲がり。 本能寺で信長が死んだ時に秀吉が泣き狂うシーンが多いけど
ただ泣き喚いたりするだけの演出だとリアリティがなかったりするんだよな
竹中秀吉も江口信長の時はわざとらしい泣き方だったけど
渡信長の時は呆然と受け入れられずに崩れ落ちるような感じだった
やすが円やんの死を聞かされた時に取り乱すのは経験者からしたら違うんじゃないかと思うのは間違いではない 川村恵十郎と黒川嘉兵衛の子孫はいるみたいだけど円四郎の子孫はいないのか 円やんは子供いただろ、裁判官になったのもいたし
もし子供いなくてもこのドラマでの円やんくらい慶喜からの信任が厚ければ
縁者探し出して家存続させてくれるだろう 子供が歌子しかいない栄一が次を仕込むべえと千代に言うのも無理はない
今と違って20歳前後で年増20代半ば過ぎると中年増と言われた時代なので千代のプレッシャーかなりのもの
結婚は25歳までというタイムリミットこれは昔話でもなく昭和末・平成初めまでの女性は言われたという
栄一によると円四郎には二人の息子がいたが明治20年以降の後は分からずだったが
昭和の名古屋空襲で円四郎の孫娘が恩返しだと言って栄一の孫(鮫島純子さん)を助けるまでは分かってる >>513
もっと深い次元で佐幕や徳川が日本に貢献したのを認めたような。 >>510自分も苦労したのに現上皇后陛下をイビった義理叔母 >>510
「許された」なんて思う必要ないのに。
悪いことしたわけじゃない、主君を守り通しただけ。
ずうっと天皇を守り続けていたのに、世間が会津が「朝敵」と呼ばれるのに疑問を
感じる時間を与えずに戦闘をおこしたのが「朝敵」呼ばわり定着の原因かな。
会津に引け目があるからひどすぎる扱いをしたのかも。
それより、守ってもらってた側の朝廷が何も言わないことの不思議。
天皇は代替わりしたけど、近習は変わりなく幕末を見てたはず。
なぜ会津をかばわない?
岩倉とかの思惑か?
戦後天皇の取り巻きがなくなって本当によかった。 慶喜の評価はこれに尽きるのかもしれない
・「英主と思いしが、違いたり(優れた君主と思ったが違った)」 前土佐藩主 山内豊信
・散々期待させておいて結局は失望させる男
慶喜からすれば
「支持者たちはいつも「自分に勝手に期待しては寄ってきて、失望しては離れていく人たち」
(とあるブログでの評価)
もっとも、彼がそうなった最大の諸悪の根源は、浮き世離れした尊皇攘夷の実行を幕府に
強制して日本中を掻き乱した朝廷にも思えるが。
もう何代か早く将軍になっていれば・・最悪の時期に現れて、かつ、引き受けてしまった感はある >>560
そうだよ、日米修好通商条約の勅許のころからおかしかった。
政治は幕府がやることで朝廷が口を出すべきではないのに、箔をつけに行った
つもりがとんでもない足の引っ張られ方。
朝廷に防衛能力も戦闘能力もないのに「攘夷」とか。
なぜ幕府に「よろしく頼む」と言えなかったのか。
朝廷を増長させたのは誰なんだ? 朝廷を増長させたというなら時代遅れになってた幕府と尊王攘夷思想広めた水戸
どちらも徳川 >>561鎖国した時は勝手に決めたくせに開国する時は勅許を求めるなどと朝廷に責任転嫁しようとしたマヌケな幕府 >>561
ただ、朝廷が開国に不安を覚えるのは隣国の清の事例があるから分からなくもないし
そもそも、列強による植民地支配がまかり通る時代で、求められるまま弱小国が無策に
開国すれば強国にいいように生き血を吸われるだけって感覚は、あながち間違いでは無い
(植民地政策ってそもそもそうだし)
海外の事情に通じていれば開国に不安に覚えるのは、むしろ当然の感覚とは言える。
そこを挙国一致体制で強国に牛耳られないように国防を強化しつつ開国するって方向
へ進めなかったのが明治維新の悲劇だったかもな
頭のいい人間は一杯いたのに、その頭の良さで、お互いにつぶし合った感じだ、そして
内戦の挙げ句に優秀な人材を沢山死なせてしまった
あそこで死んだ逸材達が丸ごと生きていれば太平洋戦争に至る道もなかったかもしれない。 まあ五箇条の御誓文で全国に公式にひろく世界とつきあうぞと宣言して
明治天皇を大阪湾に連れてって蒸気船っていいもんでしょ?と教育したのはナイスムーブだよな
あれで日本全国の情弱の人にももう攘夷の時代じゃないって徹底された
慶喜が五月十日に攘夷決行せよと大訓令出しちゃったのは悪手 嫁が宮様の14代と母親が宮様の15代も本来朝廷と仲良し 堤真一・何が円やんだ、視聴者の癖に!円四郎さんとか円さんって呼べ
視聴者・分かったよ、円やん・・・円四郎・・さん!
堤真一・円やんでいい
堤真一・視聴者の癖に指図すんなぁ
視聴者・じゃあな円やん・・円四郎・さん!
堤真一・円やんでいい、円やんでいいからなあ視聴者ぁ >>567
闇雲に攘夷論に走る志士達は情弱だと良く言われるが、彼らの指導的役割をしたのは
海外(特に隣の清国)の事情をよく勉強して列強の植民地政策のやり方を知った知識層や学者達だから
ただ盲目的に「異人怖い」で開国を拒んだわけじゃないんだ
今の日本にはまだ列強に対抗出来る力はない、もっと国内の力を蓄えてから開国すべしって主張が
なし崩し的に開国への道を歩む幕府への焦りを生んで、列強の言いなりになって開国する幕臣共を
排除すべしな過激思想へと進んでしまった感がある。
異人を人外の化け物みたいに思って生き血吸われるとか幼稚な発想で攘夷運動に参加したのは、
それこそ無学な百姓の小せがれ達で、塾で思想教育を受けて攘夷論に感化された武家の若者達は
そこまで愚かだったわけじゃない。
>>567
>慶喜が五月十日に攘夷決行せよと大訓令出しちゃったのは悪手
あれは朝廷の矢の催促に閉口して、言わばやけっぱちで出した感じで、突っ張りきれなかった慶喜もだが
もっと悪いのは朝廷でもある
ここの解説は分かり易くてお気に入り
https://toyokeizai.net/articles/-/426957?page=5 ▼ 堤真一の宣伝活動は永遠です
▼ 堤真一の広宣流布大布教は永久です
▼ 堤真一の平岡円四郎宣伝部は永遠です
▼ 堤真一の武蔵!!も永久不滅に続く広宣流布活動です >>566
清の場合は白蓮教徒の乱天理教
太平天国と秘密結社動乱と列強の
内憂外患だからな >>576
そう言えば堤真一は武蔵で準主役だったね
久しぶりに武蔵でも視聴しようかな 役所と古手川はイメージ変わらないけど又やんは完全に奥田から堤のイメージに塗り変わったね。
円四郎も完全に堤のイメージになるだろうね。 >>572
江戸っ子なんだし
やんよりつぁんじゃね?
円つぁん・・・言いづらいな 慶喜が将軍にもならず、先にうんざりもうやーめた状態になったらどうだったか
大政奉還もできず、結局は内戦でぐっちゃぐちゃだろうからな
会津は結局は延々と戦わされてただろ >>559
会津23万石から斗南3万石へ転封は本当に酷い仕打ち 斗南は表高3万石だか実収は7千石程度23万石の家臣団を7千石で養うのだからどうなるかはわかりきっている案の定会津藩士たちは斗南で辛酸をなめた まだ改易の方が温情があると思われる程 >>583
信長なら全員打首や
命あるだけでも優しいよ この時代はよくわかってないのが口だけ出して
余計な混乱をまねきまくった
朝廷と贅沢しずらくなった大奥 じゅんちゅうと会った熊谷宿だっけ?
草ボーボーの山の中みたいだったんだけど、当時もあんな感じだったのな? 現代の人間があれは悪手だったあれがよかった評価はどうとか言ったところで
結果論でありそれも諸説あって人それぞれの好みの範疇を出ていない
当時は当事者はそれが最善もしくはそれに相当する策だと思ってされていたこと
それと円四郎さんを偲ぶことはいいけどいつまでも尾を引くのはどうかなと思う
そのせいか視聴率スレがわりと賑わっている視聴率とは関係ないところで >>584
信長と時代が違うでしょ。
今から150年前だよ。
なんで信長... 埼玉北部は関東平野のど真ん中で利根川挟んですぐ群馬だから山はない 血洗島は大宮とか浦和よりは高崎前橋の方が近いからな 遮るものがないからか冬は赤城おろしが寒い
そのおかげで美味いネギができる >>591
ちゃんと地図見てみろよ。普通に里山があるし、長瀞や秩父まで続いてるんだよ >>588
つまり素人は歴史に講釈つけずに黙っておれと。
それなのに視聴率スレがにぎわっているとは意味不明。 >>590
熊谷の外れも外れじゃないの
東京や埼玉で山というと西側のイメージだよ
埼玉北部で山があるとかいうとよその人だろうなって >>597
お前は地図見るセンスがない。そもそも関東ド真ん中は南埼玉だぞw
北部はだいぶ北西に寄ってる。 北埼玉を自転車で走ったことあるけど
畑の中にポツンポツンと民家があるくらいで
延々と視界を遮るものがないというのはちょっと落ち着かなかったな >>598
地図で見てるだけってことね
>>593>>599に同意
多摩や秩父除く埼玉のイメージはこれだな
埼玉南部の方が坂があった 神奈川千葉は細かい丘が多いけど埼玉はひたすら平坦な感じ 熊谷は群馬訛り 翔んで埼玉で麻生久美子さんが言っていた >>561
幕府制度の欠陥では?
諸外国みたいに軍部が政権取っても天皇になりかわって自分が王になるわけではないので
対諸外国の外交折衝で日本のトップ誰よ?となったとき形式上は天皇っていう答えになるから 建物がないどこまでもまっ平なのが埼玉だよな
どこまでも大地と空っていう景色になる >>561
そのキーワードは光格天皇にあるよ。
そもそも幕府は禁中並公家諸法度で朝廷を抑え込んでいるはずだった。
黒船が来て朝廷が再び出てきたわけではない。
それ以前から予兆はあったんだよ! 朝廷を押さえなきゃいけなくなったのは猪熊事件による >>587
弁護するとだな。関東平野のなかで時たま離れ小島みたいに小高くなって木が茂って小さな森を形成してるような土地は茨城にもあるし千葉の北部にもある。高い確率で古墳だったりするんだぜw 慶喜さんからお手紙もらって、やっと殿のお役に立てる!と眼が輝いていたり、京都に行けば慶喜様が天狗党をなんとかしてくれると期待する耕雲斎、
これからの事を思うと泣ける 次回から、小栗上野介が登場かwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
でも、武田真治だと、なぜか、玉ナシの宦官に見えちまうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ゲイっていうか、オカマっていうかさwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
オカマが徳川家の主戦派の最先鋒って、なんかおかしいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そう思うだろーーよ、次回見ればwwwwwwwwwwwwwwwwwww
それとも、意外とハマるか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 小栗(武田真治);
(内股気味で)「モォーー、薩長とは戦うって言ったら、戦うのォォ!!!戦うんだからァァァァァ」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>572
その呼び方をすると最低のクズ野郎が場違いな書き込みをするから、ダメなんです。
>>573
黙りやがれ、リョナ爺
>>578
>>579
マジ黙れよ、リョナ爺
>>582
マジ失せやがれ、リョナ爺 熊谷深谷はほぼ群馬みたいな感じだな
ちなみに熊谷は暑い街として有名だけど、都市化が多い分実は深谷の方が暑い説もある
ビルとかなかった当時はあの辺り暑くなかったのかな? むかしのフェミ男時代ならともかく
今の武田真治にゲイ的要素ないだろ
マッチョマンだぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています