>>732
一分の理を言うなら、斉昭は良くも悪くもあの性格で大名家の当主として癖があり過ぎるから
一つの大名家のお家安泰から言っても徳川宗家の養子の方がいいと思われても仕方が無い部分があった
これは薩摩で中央志向の強い斉彬が父の斉興やその腹心の調所から
予算濫費を警戒されてなかなか家督を継げなかった事にも似てる

そして、斉昭がペリーより前のイギリス船接近の危機感で尊王攘夷を水戸領内で教化したから
ドラマの血洗島尊攘派を更に普遍化したみたいに豪農インテリ層中心に尊攘派が根付いてしまった。
幕末政局が進む中で、農村の地場の支配層が横暴に献金要求されながらも尚、
天狗どもを崇拝すらしていると言う状態で、
桜田門外の変の首謀者も村方の役人で、天狗党の評判を地に落とした田中愿蔵も村の郷校の責任者

これは、特に家定将軍末期以降水戸尊攘派との対立が深まる幕閣や
最初から対立してる水戸門閥派の市川から見たら、
最早水戸の地場での地縁血縁と宗教染みた学問が絡み合った一向一揆に近い性質のもので、
インテリ豪農層が天狗を崇拝する一方で、領内の農村でも度重なる横暴な献金要求に反感を抱く層に
市川が本来攘夷の為の藩の武器備蓄を下げ渡してしまった。

それを受けた村々の諸生党シンパが天狗党本体やシンパの豪農に至る迄を殺戮して
更に明治になるとその報復で凄惨極まる事態になってしまった訳だけど、
市川としては、そうでもしないと、既に賊徒扱いの筈の天狗党の支持層を断ち切れないと
そうなるといよいよ以て水戸家自体も危なくなると言う判断もあった