【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART53
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【放送】2021年2月14日〜
【主演】吉沢亮
【脚本】大森美香
【制作統括】菓子 浩 福岡利武
【音楽】佐藤直紀
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>>980を踏んだ人が次スレを立てて下さい
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※前スレ
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART52
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1623594551/l50 >>52
近藤勇も募兵中に斬首されたけど、
江戸から関東の情勢から言って小栗を生かしておく精神的余裕を求めるのは難しかった
小栗の先輩格の水野忠徳は一足早く憤死したけど、
水野は小栗と共に鳥羽伏見に繋がる幕府陸軍による実質的な「慶喜を包囲」を主導して
家茂存命中から幕府歩兵を率いて京都占拠による逆転を企てた程の傑物
近代軍も旗本八万騎も徳川宗家が関東に圧倒的な軍事力を持っていたのは間違いなく、
西郷も勝もそれを掌握し切れない状況で主戦派の中心人物を生かしておくのは難しかった >>57
先が見えると早投げしてしまう天才タイプの棋士山崎八段みたい >>57
命が危ないと言うのもあった
鳥羽伏見敗戦後に戦争を継続した場合、利害関係から言って
どちらも終わるに終われずに膠着したら日本そのものが危なくなる
だからと言って、慶喜が、なまじ勝機がある状況で生半可に戦争の終了
ましてや降伏恭順なんて選択をした日には、
大坂城で「病死」して江戸城の老中・大奥の中から
田安亀之助が弔い合戦を唱える危険すらあった
長州征討に関わる政争の真っただ中にいたのも慶喜だから、
調子に乗って徹底的に叩こうとする、面子にかけて引き下がらない、
味方側の各種の軍事権力の利害衝突がどういうものかも
慶喜はよく分かってる >>53
いや、江戸で戊辰戦争が綺麗に終わらばそう評価してもいいけど、結局、主戦派を抑え切れずに(と言うか梯子外しして
放置した結果)東北から函館戦争まで長引かせたんだから、後知恵の結果論で見ても
「内戦が激化する前に早期終結を図った」って評価にはならんと思うよ、慶喜の大阪逃亡から江戸城開城で謹慎して
引っ込むまでの行動は。
函館戦争まで長引いた事自体も結果論ではあるけど(強圧的態度をとり続けた官軍の一部の馬鹿のせいで慶喜のせい
だけじゃないが)、ただ恭順して将軍職を退いてからは幕臣達との接触を一切断つ態度は潔くはあるが、徹底抗戦派や
主戦派にかえってフリーな行動権を与えてしまって、その説得も放り出した罪は重いと思う。 >>61
そう言われると天狗党を連想するな
天狗党と言うか水戸尊攘派は、斉昭存命の時点で既に斉昭にも掌握不能になっていて
様々な理念、実質的な信仰と利害関係が絡み合って
水戸家の当主でも到底手が出せない状態で収拾がつかずに
大規模殺戮を繰り返すと言う異次元の大紛争になった訳だから
この際、基本的な最高責任者である水戸慶篤も松平頼徳を名代に立てたり
幕府の指示で水戸家の人事に手を付けたり何もしていなかった訳じゃない
むしろ、当主として出来るだけの手出しをしても意味不明に拗れていく有様だったから
あれ考えると、むしろ慶喜が絶対恭順一本の方針だけを明示して
後は知らん、徳川宗家として支持する心算は一切ない、
みどもの関知しない、反対する所で勝手にやっているだけだと
決定的に突き放すと言うのも一つの選択と言えば選択
下手に慶喜が前のトップとして手を出せば
逆にその折衝でぐだぐだぐだぐだ長引きかねないと言うのが天狗党の前例 鳥羽伏見の戦いとか、苦労人の家康と最初から高貴な生まれの慶喜との違いが出てしまったんかね。慶喜も松平容保も殺されずそれなりに豊かな生活を保証ざれたみたいだし、戦国時代と比較すると意外と幕末明治は優しかったりするんかね。 江戸城の無血開場って決定的な敗北を演出して自分が将軍を降りて恭順すれば
主戦派も徹底抗戦派も皆が諦めて全てが丸く収まるって考えたのなら
その通りになれば、もっと後世で評価されたんだろうけど、そうはならなかったし
そうならなかった事に対して、積極的に状況修正をしようとせず、隠居先に
引き籠もって成り行き見ていただけったのが一番、慶喜が批判される所だろうな
彼のやり方や考えはスマートなんだけど、粘りや泥臭くささが無い気がする >>39
原発の最終責任者は確か法律上総理だったかと
東北大震災だと民主党の管総理
そっち(官)が無傷で東電(民)だけ処罰すると国の電力政策がひっくり返るからだろうな 慶喜は神輿に担がれることを一番恐れたわけでしょ。だから絶対に死ねない。下手に表に出るわけには行かない。死ねば死因は捏造され死体は簡単に神輿に乗せられちゃうからねwそういう覚悟の隠居でしょ。 >>31
たぶん時代の空気が維新後にころっと変わったんだと思う
幕末は政局に絡む人たちが主義はどうであれ皆アドレナリン出まくってて冷静じゃなくて
自分と意見の違うヤツ・邪魔なヤツは殺してしまえ!でおかしいと思う人が少なくて冷静な人がむしろ異分子として殺された
それが明治に入るとその半狂乱状態が終わって多くが正気・冷静に戻った
そうすると殺さなくてもいいじゃんもう幕府(悪の象徴)潰れたしと世の中の空気が変わったんじゃないかな
空気読めない水戸だけその後も陰惨な殺し合いしてたみたいだけど 長七郎は文久4年(1864年)1月23日板橋宿で幕吏に捕えられ明治元年(1868年)夏に出獄
栄一は航西日記読むとどこ行っても好奇心旺盛って感じだな大阪とアムステルダムは似てると書いてる ロシア革命と違って明治維新は体制内革命であり 維新を行った中心は陪臣なので 他藩といえど君主を処刑する発想自体がなかったんやろね 確かに自分が乗り出して失敗したときのリスクはデカすぎる
一生叩かれても惨めに逃げ出した結果が当時の状況なら、負け方としてはあの一手が最善手といえる
リスク無視して勝ちにいくなら別だけど 主戦派や徹底抗戦派に対して「刀を置け」と命じられる纏め役は慶喜しかいないのだから
もし慶喜が彼等を説得して刀を置かせたら、それはそれで後世には大きく評価されたろうし、その途中で
激昂した幕臣にもし斬り捨てられたら、それはそれで最後の悲劇の将軍として奉り立てられたろう
ただ、「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」の葉隠の精神はまさにこれにあるんだ
生か死か、どちらかを選べる時、生を選んだら、それで上手く事が運んだとしても、自己の行いについて
後世であれこれ言われて、中には不名誉な言われ方や、未練がましいと後ろ指をさされたり、余生の行動
まであれこれ人格批判とかもされるかもしれない、武士としてそれは不本意だ。
ただ死んでおけば、その1点に対してだけ、やれ無駄死にだ、馬鹿な事をした程度の言われ様で済むが
墓の下に入った後の事までグダグダ言われる事は無いのだ、まして、その死が自己犠牲的精神であれば
なおさらだ、潔い良い死に様なら名誉の死として語り継いで貰える。
だから、生か死か選べるなら迷わず死んでおけ、それが武士の名誉を守る事になるのだ・・・となるのだが
慶喜にはその考えはなかった様だな。 >>71
何もしない、命も委ねるけど、反政府軍を支持、承認する事だけは絶対に無い
このメッセージに確実な意義があった
絶対的な力を持っていなかった以上、慶喜が現実に何かをしようとしたら
それは貸し借り、利益の「取引」の性質を帯びざるを得ない
幕末の政局の中心にあって、慶喜はその不安定さを嫌と言う程見て来たし
天狗党が「御本意」の解釈を濫発しながら水戸のどの勢力も上から制御不能になったのも見てる
それなら、シンプルにばっさりやるのが最善手 現代で平和な境遇で当時の慶喜公を語るのは僭越だよ
実際の経緯在り方ただの想像で偉そうに武士道がどうたら
余りにもここの人がわかったふうに言ってるのが可笑しくてならない 武士の基本は「御恩と奉公」、権益を保障しない主君は主君じゃないんだよ
これは、本来武士の成り立ちそのもので、
徳川家康以来、徐々に上下関係を観念的に絶対化する教育で変質させて来た訳
薩長が錦旗立てて来たって言うなら、反・薩長側もなんなら親王立てる事ぐらいやるぞ
積極的に放棄すると言う側の慶喜が今更主君ヅラして止めに入った所で命の保障はない
それで止まればいいけど、別に徳川宗家を立てて反撃する事に利を見出す勢力もうじゃうじゃいるからな
なんなら天璋院も上野戦争でブチギレて薩長を討てと言ってるぐらいだから
これで慶喜がのこのこ説得に動いて殺されたら、なんなら「病死」に偽装されて、
そうでなくても田安亀之助を反撃の旗頭にされかねない
これを防ぐ為には、「徳川宗家」は絶対に動かない、
動かない事を以て観念的な抵抗拒否を象徴する。これ以外の対応は難しい
尚、西南戦争の際、西郷軍は島津家を巻き込もうとしたけど
家令が頑として資金提供を拒否してる >>37
ご恩と奉公に縛られてたら近代化出来なかっただろうな 偉いなあ、長文読んでる人いるんか。三行以上スルーだよw >>75
ここは自称歴史通がわかったふうに歴史語りする場所だよ
今更何言ってんだw >>31
でも、小栗上野介は言いがかりのような理由で
ほとんど取り調べもせずに斬首したんだよな
もったいない人材だった しかも、小栗と部下の3人を斬首した翌日に長男まで斬首している
それぞれ新しい日本の役に立った有能な人材だったろうに >>81
栄一理論なら小栗が殺された理由も簡単
「他人に嫌はれ、往々にして非業の最期を遂げたりなぞ致すものである。」
新政府の誰か、もしくは大勢に嫌われていたんだと思いますw 近藤勇は元の身分が低いのと坂本龍馬暗殺の疑いかけられて容赦なく斬首だったけな。小栗はそれなりの身分で個人的な恨みを買うタイプでもなさそうなんだが、なぜな杜撰な対応で殺されて、ちょっと違和感あるね。 >>81
本当にもったいない。
謹慎してたんだしね。 >>84
身分だけで生死を分けるのにも違和感ある。 >>84
それだけ倒幕勢力にとっては、有能で脅威のイメージで捉えられてたんだろな
生かしといたらひっくり返されるかもって、真剣に考えた頭悪い奴もいっぱいおるだろうね 新政府で囲もうにも、
有能すぎて主導権取られそう。 >>88
新撰組は人を殺し過ぎだ。そのトップが負け側に入ったときに責任を取らされないで済む理屈なんてない なんで松本清張の話が続いてるんだ?
大河と関係ないだろ
それならクドカンの話をする方のが大河と関係あるのじゃないのかね?
三谷の話でも古沢の話でも然りだ じゃあ今並行して新選組!を見てるから、たまに武田耕雲斎を観柳斎って読んじゃいそうになります
こんなんでいいかなw 松本清張のデビュー作は西郷札
烈公(竹中直人)の初期のギャグは松本清張のモノマネ >>94
新撰組は商品化されてるからそれなりの画質で観れるからね
今年は武蔵、徳川慶喜、獅子の時代なんかは視聴してる人間多そうだね わくわく
わくわく
黒崎氏は91歳まで生きた栄一を描くとき、
最後まで生きなきゃだめだ、生きて何かしないとだめだ、
この国、世界のために何かしないと意味がないと、当時の人としては珍しく言い切った人。
なので、どんなにみっともなくとも生きることを最終話までの貫いたテーマとして描いていきたいと説明した。
コロナ禍で気持ちが沈みがちなとき、幕末からの激動の時代を「生きる」をテーマに据えて描くという作品。きっと世代を超えて心に響くはずだ。 吉川英治と言えば最後に原作採用されたのは武蔵か
武蔵は吉川原作とは言え巌流島以降は完全オリジナルだったね
巌流島が9月だったから序盤はやたらと駆け足で
武蔵が吉岡に負けて山に篭って叫んでたら勝手に強くなるような説明不足の脚本だった
サイドストーリーの又八パートが本編みたいな扱いで武蔵とお通のパートはつまらなかった記憶しかない
原作にない終盤では又八も殺されるが残り2話だったので今回の円四郎みたいなロスは無かった気がする 武蔵は戦国時代だし低視聴率だし
青天と一ミリも関係ないので話題禁止な >>86
こういうのはスルーで武蔵だ新撰組だってキチガイかよ
自重しろキチガイども >>98
どっかの記事からの引用なのかな?
ちゃんと書きたいテーマが決まっててそのための描写が現段階でもできてるのはいいことだね 今年話題になるのは武蔵、徳川慶喜、獅子の時代の三作だけど
武蔵は吉川英治、徳川慶喜は司馬遼太郎、獅子の時代はオリジナル脚本だね
獅子の時代の頃はオリジナルはかなり珍しい気がするが翌年以降はオリジナル脚本が結構多くなった >>25
明治元年までだから、栄一がパリから帰国する頃まで。
帰国した直後に死んだ。 >>100
時代は関係ないけど堤真一が今年存在感あったのでその繋がりで話題になる事が多い
徳川慶喜と獅子の時代は幕末で登場人物やらパリ万博だので共通点があるね
去年は国盗り物語、キンジパ、あとは序盤は徳川慶喜が本木の繋がりでよく話題に出てた気がする 堤真一が武蔵で準主役で高評価だったからな
今回の円やんも高評価だしその縁で武蔵を視聴してる人間多いと思うけどね
私も今年に入って久し振りに武蔵を全話見たがやはりつまらない大河であるのは間違い無いな
ただ堤の演技には何か情みたいのが篭ってて俳優としての華を感じるんだよね
「お前もだよ、竹蔵」とか「又やんでいい、又やんでいいからなあ武蔵」とか何気ない台詞なんだけど妙に感情と友情と又八の人柄を表している
本位田又八と言えば奥田瑛二のイメージだったが完全に堤真一に塗り替えられた >>105
堤真一が出てたの知らないし
もう堤真一は退場したので青天には関係ないだろ >>108
武蔵に堤が出てたの知らないって龍馬伝や風林火山に香川や猿之助が出てたの知らないって言うのと同じだぞ
堤の又八はもう一人の主役で堤の視点から武蔵を描いたような作りになってる
又八は人間味があって失敗だらけの臆病者だったけど
武蔵のように何かをやり遂げると決意して商人の道で成功していく
武蔵は台詞も少ないし白眼剥いて叫んでる発達障害的に描かれてるので
視聴者としても武蔵よりも又八に感情移入出来る作りだったな
堤真一は退場したとは言え今年の大河で一番存在感があるいい役柄だったので青天スレではスレ違いではない
流石に来年の鎌倉スレでは堤を語るつもりはないが青天スレでは問題ない 堤が出てたの知らないってただ見てないだけだろ
半沢でも見てなけりゃ香川が出てたの知らないだろうし
白い巨塔でも見てなけりゃ江口洋介が出てたの知らないだろうしな >>100
同意
堤の円四郎はよかったけどだからと言ってMUSASHI見ようとも思わん
ましてやこのスレで語るヤツ邪魔 ある意味白い巨塔で言う里見的なポジションなのかな又やんは
堤真一は村上版では柳原を演じているが
満島真之介も岡田版で柳原演じてるね
ただいずれもメジャー作品ではない、メジャー作品の柳原を演じたのは去年の斎藤高政 >>109
知らなくて何か問題あるか?
問題ない
舞台となってる時代の違う作品の話延々されてもウザイだけ >>72
他の人も指摘しているように「武士道と云うは死ぬ事」は
明治以降に見直された価値観で、幕末当時の価値観ではないぞ。
当時の最大の価値観は尊皇思想で、絶対朝敵になることだけは避けたかった、
と慶喜が考えたとして不思議はない。
最後の一兵となっても戦え、とハッパを掛けた時点は
倒幕の密勅のことを知らされてなかったんだろう。 >>112
後半の又やんは円やんの源流的な雰囲気の演技してるよ
円四郎の演技に魅せられたなら見て損はないと思うけどね
ただ武蔵とお通のパートは退屈でつまらないから
又八パート以外は苦痛に感じるかもしれない
公式配信や商品化されてないので糞画質の音ズレ動画で観るしかないのも辛い
この機に配信化してくれればいいのだが >>114
いや無知なのを責めるつもりはないよ
大河板に来てる人間が武蔵に堤が出てるのを知らないと言うのは少し驚いたが
舞台こそ違うが青天も武蔵も堤真一が一番輝いてたのが共通点かな
今年もこのままなら堤が一番良かったし武蔵も当然又やんが一番よかった、と言うか堤だけの大河の印象 斬首の話ばかりだが武士らしく切腹させるという武士の情けはなかったのかな 真田丸の時も三成が出ると新撰組の話をしつこくするヲタもいたし役者繋がりで話題が出るのは仕方ない
今年も武蔵、徳川慶喜、獅子の時代の三作の過去大河談義は大目に見るべき
来年の鎌倉スレではこの三作は流石に場違いだが >>118
切腹は名誉の死だからな
切腹も許さない罪人と言う事なのだろう >>119
大目に見てほしい御仁はあなただけのような 墓から死体を引き摺りだして首を刎ねるような行為もあったくらいだし >>121
徳川慶喜と獅子の時代は登場人物や舞台がかなり被るし
武蔵は円四郎がこれだけ重要人物でいい演技をすれば準主役演じた大河なので当然話題にもなる
この三作の話題はスレ違いとは言えないので大目に見るのが粋だと思うけどね
来年も草燃えるとか十郎の話題で森上がるのは間違いないけど批判するのは不粋ってもんだよ >>115
当時の一般人とまでは言わなくとも武士階級以上の圧倒的多数の価値観だったのかなとは思う>尊皇攘夷
イギリス公使に聞かれたんだっけ?「将軍は元首か」と
将軍という身分の成立上形式上のみであっても元首はずっと天皇なわけで慶喜ぐらい頭が良ければその構図は理解してただろうし
薩長に錦の御旗奪われた時点で速攻で奪い返す策がなければドローだな
いくら慶喜が有能でも1人ではできる範囲が限られる
平岡や原らを次々殺されて薩長を自分と同時に別視点から監視し行動できなかったのはイタかったんでは? つまり武士道はもはやなかったと
やり方に品がない
こういう言い方はいけないかもしれないが
下級武士の台頭と何か関連性があるのかな 武蔵は放映終了後これだけ話題になった事はなかった
堤が出なければ殆ど話題にならずに埋もれてたかもしれない
武蔵を掘り起こしたと言う意味でも堤の円四郎の演技は意義があった >>122
日本でもあるんだな
チャールズ1世殺した
クロムウェルが遺体斬首 >>125
批判する前に全話見るべきだとは思うよ
堤が準主役でいい演技してるしそれを見た上で批判するなら理に叶うが
見ようともせず文句だけ言うならお前が出てけって話になる >>97
>>99
黙りやがれ、リョナ爺
>>103
>>105
うっせーわ、リョナ爺
>>107
消え去れ、リョナ爺 >>126
戦国とかでも一族皆殺しにするレベルだと切腹なんて許されない
一向一揆なんかも殆ど打ち首とかだし
酷いのになると股裂きとか釜茹でとかで女子供は当然強姦してから殺される
虐殺狼藉行為も一向一揆相手では推奨行為だった
何故か利家とまつでは美化されてたけどね >>109
>>111
黙りやれ、リョナ爺
>>113
>>116
うっせんだよ、リョナ爺
>>117
マジ消えろよ、リョナ爺 俺も円四郎ロス埋めるには武蔵の又八はいいと思うけどね >>123
>>127
堤真一が出た事でお前に大義名分を与える事になってしまった。そう考えると良い事だとは思えないんだよな。
お前が堤真一の名を利用し、ここを荒らさなければこんな気持ちにならなくて済んだのに。お前のせいだぞ、リョナ爺
>>129
>>132
マジ黙れよ、リョナ爺
>>135
失せやがれ、リョナ爺 このスレでもっとも出てけと思われてるやつが他人に出てけってしきりに言ってるの笑っちゃうな 1868(明治元)年
11月3日 栄一横浜に到着
11月18日 長七郎亡くなる
12月8日 栄一血洗島に帰省
12月19日 栄一静岡宝台院で慶喜と再会
12月23日 慶喜内命を下して栄一静岡に留まらせる
黒崎氏の栄一は生き抜くコメントは血洗島編終わる時にあった
【青天を衝け】栄一に込めた“生きる”意味「最後までぶれずに描きたい」(オリコン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/47593f80022082ba8eace68ea15c495ac29b078a >>136
取り敢えず武蔵全話見てみろ
全話観た上で文句言うならまだしも見もしないで文句だけ言ってるのならお前が出てけって話だろ
見たくないとか言ってたがそれなら文句を言う資格はない
又八と円四郎の演技比較とかそういうので盛り上がってるのだから見てない奴に口を挟まれる謂れはない 大義名分も何も大河談義なんてそんなもんだろ
円四郎が出てるから又やんの話になる
本木が出てるから慶喜の話になる
大義名分も糞もない、役者や役柄なんかの繋がりから会話は盛り上がるってだけの話だわ >>138
慶喜が静岡に留まれというのは
水戸藩主を継いだ昭武がパリ行きで栄一の手腕見て頼りにして水戸に呼んだからなんだよね
慶喜は有能なのは水戸の過激派に殺されるから
栄一も行けば殺される絶対行くな静岡に留まれと厳命した >>142
もはや呪われた土地みたいになってるな…… >>126
>つまり武士道はもはやなかったと
さすがに、それは言い過ぎだ
戊辰戦争から西南戦争で武士の時代が終焉するまでに
「ふたごごこなし」な武士道精神を貫いて、生よりも死を
選んだ藩や志士達の例だってあるからな >>141
いろんな慶喜像の話しはまだわかるけど
又八って駒みたいな吉川英治のオリキャラだろ
それにいつも似たような話しの繰り返しなので又八話しは邪魔に感じるんだな
時代も違うし >>14
あと「又八」とスマホ画面からはみ出る長文を連投してるIDも >>145
吉川英治の宮本武蔵はオリキャラがいなければ成り立たない
主要3人の武蔵、又八、お通の内2人がオリキャラで
佐々木小次郎も史実では老人と言われているが武蔵と同年代に描かれているので実質オリキャラと言ってもいい
又八はオリキャラではあるが成功した珍しい例でもある
駒なんかとは比べ物にならないよ
堤真一の又やんは人間味から友情やら上手く醸し出せていたし又やんで持っていたような大河だよ 香川の岩崎弥太郎だって実質創作人物のように描かれいたけど本編より面白かった
庶民から這い上がるって言う共通点は駒も同じだが
それを魅せる役者の実力から何まで違いすぎる
武蔵のMVPと戦国大河を台無しにした歴代大河最低人物を同一に語るとはお門違いも甚だしい >>148
今作の渋沢栄一とも接点もある岩崎弥太郎と
男版駒の又八を同列にするな >>149
駒と又八を同一に語るとか笑わせるなよ
武蔵を全話見てみろ、当時見てても記憶から消えてる部分もあるだろうからもう一度全話見ろ
その上で又八を男駒と言うなら脳に欠陥あるから障害者年金貰いなさいよ 今日の歴史探偵も慶喜特集で青天の取材の使いまわしだな 二度目の長州征伐に乗り出すという話が合ったけど一度目は出てこなかったような
あらすじだと今回第一次長州征伐をやる予定だったようだけどカットされたか 昔夢会筆記はAIが判定する前に読んだ人の感想で慶喜しらばっくれてるとコメントされてるからな
栄一が覚えてないと言ってる慶喜の会話そのまま載せた本を残したのは
やっぱりどこかで本音話してないだろうなと思ってたからかな ただの美男俳優が演じていたら又やんも男駒になってた可能性があるな
忠嗣とか平蔵なんかは男駒みたいな感じだったし
しかし堤真一が人間味や情的な部分を上手く醸し出していたから本編以上に又やんパートは魅力的だった
脚本も決していいとは言えないし堤真一の功績かな又やんは 四国の讃州高松松平家は系譜的に徳川光圀の血が入っていますし、実質的に水戸支
藩同然の勤王藩なのですから、水戸本藩の勤王派は高松松平家とその親戚で隣藩の
阿州蜂須賀家を地道に説得して抱き込んだうえで、土州山内家や薩摩島津家並びに
長州毛利家とも密接に連携し、孝明天皇の攘夷の御意思に応えればよかったのに。
実際の高松松平家は、明治元年一月三日、鳥羽伏見の戦いに幕府側として参戦した
けど薩長軍に敗れて敗走し、一月十日に朝廷は藩主頼聰の官位を剥奪して高松松平
家は朝敵指定されます。さらに時を置かず、一月二十日には土州山内家は朝廷から
高松征討の命を受け、土州家老で総督の深尾丹波と大軍監兼大隊司令の乾(板垣)
退助が土佐勤王党員の郷士を中核とする土州迅衝隊を率いて疾風怒涛の如く高知か
ら出陣し、進軍の途中で合流した丸亀藩兵、多度津藩兵と共に高松領内に着陣。高
松城は為す術もなくあっという間に朝廷政府軍に包囲されてしまいました。
これにより高松松平家の家中は勤王・佐幕に分裂して大混乱に陥りましたが、勤王
派の高松松平家御連枝の松平左近が病を押して真夜中に闇にまぎれて早馬で駆けつ
け、評定の場で孝明天皇恩寵の中啓をかざし、「当家は藩祖英公(頼重)より尊王
が家訓。官軍と戦うなら先ず、この左近が首を刎ねよ」と一喝したことで漸く藩論
の統一が成り、藩主・松平頼聰が降伏開城を決断。その後、家臣団同士が血で血を
洗う大規模な藩内抗争を展開することもなく、また高松の御城下は一切戦火に巻き
込まれずに一人の領民の犠牲者も出さず無事、平和裏に無血開城へと至っています。 >>156
讃岐高松松平家は時代劇の水戸黄門にも出て来る縁深い所だけど、
幕末史で言えば、むしろ水戸斉昭と不仲な事で有名
水戸斉昭が幕府の命令で強制隠居させられた後、
十代前半で当主となった慶篤の後見となったのが高松松平の松平頼胤を初めとした三連枝
この後見も幕府の命令だけど、その際松平頼胤は斉昭の方針を否定して門閥派支配を認めた為に
斉昭の意を受けた老中阿部正弘から訓戒を受けた事もある
以後斉昭が復権してからも、門閥派の結城朝道が慶篤を暗殺して松平頼胤の水戸藩主擁立を図ったとして処刑されたり
安政の大獄近辺の政局に於いても松平頼胤はあちら側の陣営として
井伊直弼らと共に暗殺計画の対象に上げられてるぐらい敵対関係が続いてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています