主戦派や徹底抗戦派に対して「刀を置け」と命じられる纏め役は慶喜しかいないのだから
もし慶喜が彼等を説得して刀を置かせたら、それはそれで後世には大きく評価されたろうし、その途中で
激昂した幕臣にもし斬り捨てられたら、それはそれで最後の悲劇の将軍として奉り立てられたろう

ただ、「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」の葉隠の精神はまさにこれにあるんだ

生か死か、どちらかを選べる時、生を選んだら、それで上手く事が運んだとしても、自己の行いについて
後世であれこれ言われて、中には不名誉な言われ方や、未練がましいと後ろ指をさされたり、余生の行動
まであれこれ人格批判とかもされるかもしれない、武士としてそれは不本意だ。

ただ死んでおけば、その1点に対してだけ、やれ無駄死にだ、馬鹿な事をした程度の言われ様で済むが
墓の下に入った後の事までグダグダ言われる事は無いのだ、まして、その死が自己犠牲的精神であれば
なおさらだ、潔い良い死に様なら名誉の死として語り継いで貰える。

だから、生か死か選べるなら迷わず死んでおけ、それが武士の名誉を守る事になるのだ・・・となるのだが
慶喜にはその考えはなかった様だな。