史実は違うんやでー
明治元年に岡部藩から「栄一は岡部を抜けたのだから家を継ぐことは難しい」と釘を刺されていたものの、父は家を栄一に継がせたかった。だが、栄一は拒否していた。
見舞いに来た栄一は父に対して提案をする。「妹のていに婿を取らせて家を継がせてくれ。伝蔵の弟が良い。」
弱っていた父市郎右衛門は折れ栄一の提案を承諾する。これが市郎右衛門の遺言となり妹のていは婿を取る。

以降、ていは中ん家の事はなんでも栄一に相談して決めてもらっていたw藍玉作りを廃業し養蚕に専念したのも栄一の指示だった。