青天は糸子を出さなかったな大蔵省への出生届は
「私妻今(五月)十一日第十時分娩子出生母子無恙罷在候…三女糸子出生 五年六月十日歿」
明治4〜5年のこの辺ごっちゃになるので旧暦と和暦と数え年をやめる

1871年 栄一31歳
06月28日 糸子生まれる

1872年 栄一32歳
01月02日 とっさま亡くなる
07月15日 糸子亡くなる
11月16日 篤二生まれる