【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人part13
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2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
【放送予定】
2022年1〜12月
【脚本】
三谷幸喜
【制作統括】
清水拓哉(「真田丸」「いだてん」「腐女子、うっかりゲイに告る。」)
尾崎裕和(「軍師官兵衛」「あさが来た」「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」)
【演出】
吉田照幸(「あまちゃん」「エール」『探偵はBARにいる3』)
【プロデューサー】
大越大士、吉岡和彦、川口俊介
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=21781
前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人part12
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1637816636/
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part11
https://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1636961726 番手がどうのトメがどうのと言い出したら大抵エモリが絡んで
芸能人の話に強引に誘導してるだけだと分かってきた
>>545>701>839>842>843とかね
スルーされて諦めて寝たようだけど >>125
当時、三河を中心にして鎌倉方と京方がバランスを取っていたからな、東西の楕円が交わる場所が三河
東国一番西の国は三河であり、西国の一番東の国は三河
関東で座して待っていれば、押し込まれるのは間違い無く
最低限、三河まで進軍し、尾張で対決するのが正解
当時、三河は鎌倉将軍家本当の本拠地であり、鎌倉将軍家と縁のある皇族公家所縁の地でもあった
三河国分国主、知行国主
1191年07年:九条兼実(知行国主)、関東申次、嫡男の嫁は一条全子(坊門姫の娘)
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守) 、孫が水無瀬信成(父は藤原親兼(室に足利義兼の娘)、後鳥羽院の命で養子入り後に水無瀬殿を譲られる)娘
1200年03月:七条院(分国主) 、姪は坊門信子(源実朝室)
1227年11月:七条院(分国主)、再任 後鳥羽院は、三河国主の息子なんだよ
藤原経忠→信輔→信隆→坊門信清→信子(源実朝室)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国主)→後鳥羽天皇(中宮は九条兼実(三河国知行国主)の娘) 余談だが
実朝の正室候補は足利義兼の娘だったらしいが、その娘とは別の娘が公家の妾になっている
実朝の正室候補、足利義兼の娘は野田朝氏に嫁いだ
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
そして源義経が頼朝に危険視されたのは、義経が七条院と従姉妹関係である事でもあったのが、よく分かるよな
藤原経忠→信輔→信隆→坊門信清→信子(源実朝室)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国主)→後鳥羽天皇(中宮は九条兼実(三河国知行国主)の娘)
藤原経忠→信輔→親信→水無瀬親兼(室は足利義兼の娘)
藤原経忠→忠能→一条長成→源義経(養子) 江守爺だけで大変なのに三河爺まで来たじゃねーか
まあこっちは家康スレが本場だから長居はしないだろうが >>827
坂井氏もその本をすすめていたね。大河公式本としてはその本が唯一みたいなこと言ってた。 >>811
時宗の時に牧瀬里穂と北村一輝が不義密通をしたかどうかで
放送終了後スレで議論になったの思い出した
誰かが月明かりの角度の違いを指摘して時間の経過を表してるから
やったに違いない言ってすげー感心されたの覚えてるw
真相を描かないなら謎解きのヒントはないとな 歴史ハンドブックは歴オタにはいいが一般には退屈な本だろうおもた
やはりドラマの公式本が一般向けだな >>294
ハッキリはせんが
鍵は時政のかーちゃんが、伊豆伴氏出自にある
伊豆伴氏は伴善男を祖と伝えるが、伴善男を祖とする伴氏で、伊豆伴氏より有名なのが三河伴氏だ
政子を頼朝に紹介したの安達盛長との話があるが、安達盛長の出自は三河伴氏と同じ東三河
三河と伊豆には深い縁故があったわけだな >>847
素晴らしいご研究なので、ここに書き込むだけでは勿体ないですよ。
論文にまとめて学術誌に投稿されてはいかがですか?
あと、素人質問で恐縮ですが「三河国主」という用語はどのような意味で使われていますか?
国司とはイコールではないということでしょうか。 安達盛長の出自だが、頼朝母の兄弟、藤原範智と関係があったらしい
そして前述したが、藤原範智の娘である三位局は公暁の後見人たる備中阿闍梨と同一人物
藤原範智の兄弟、三河法橋祐範は頼朝支援者であり、祐範が頼朝に付けてやった侍従とは安達盛長と考えられる
関係を一覧で確認してみよう
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護) やらかした、忘れてくれ
訂正
公暁が実朝の首を持って駆け込んだ備中阿闍梨は、三河の藤姓熱田大宮司家出自の可能性が高く
事件後、没収された備中阿闍梨の所領を相続したのが同じく、三河の熱田大宮司家藤原範智の娘たる三位局だった >>835
裏の歴史も教えてくれたかい?
政子ちゃんが生きている時は、政子ちゃんが最終決定者
承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛
三河縁故の武士が、裏でガッチリタッグを組んでいたわけだな
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
結局、鎌倉末期、男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、北条を滅ぼし、武家社会を源頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したわけだ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) >>863
補足説明
高野山で、頼朝と実朝を菩提した葛山景倫は、一族の祖を高橋惟康としている
高橋惟康のかーちゃんの兄は頼朝の曽祖父
高橋は三河国高橋荘に由来する
鎌倉将軍家とは親戚なわけだな
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は、源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>826
丁寧に挙げてくださりありがとうございます。
気になる本がいくつかあったので、地元図書館の蔵書検索を使ってみたら、貸し出し中が多かった。さすが大河ドラマ効果。 >>864
滝山寺(三河県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html
滝山寺は頼朝の母方菩提寺なんだが
頼朝の遺物を納めた仏像を作らせた寛伝ついての補足説明
これは足利氏も関係する、恐ろしい裏歴史
■源頼朝と従兄弟2人の関東支配の裏歴史
1181年:源頼朝は藤姓足利氏を滅ぼし、三河の母方従兄弟の源義兼に足利荘を安堵する(源姓足利氏の始まり)
1181年:源頼朝の意向で、足利義兼は北条時子(政子の妹)と結婚する
1182年:源頼朝の従兄弟の寛伝が、頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
■日光山
源頼朝が母方の従兄弟(寛伝)を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
足利義兼(初代足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
寛伝年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(三河県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(三河県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(三河県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する >>866
歴史書を買うしかないよもう
呉座先生の著書が発売されて、10日ほど経ってから図書館に問い合わせたら26人待ち 年末年始の休みに読むための本を予約しようと都内の図書館いったけど
源平、北条執権、渋沢栄一あたりの見てみたかった本は尽くないな
みなさん考えることは同じなようで 三河の話
おれにはためになった
歴史に疎いけど軍事が趣味だから馬の軍事的価値は認識してる
河内源氏が関東に扶植した理由の一つが馬に関係してんじゃねと思ってた
「馬が動かした日本史」って本読んで河内に日本最古の牧があったこと
河内源氏がそこを支配したことで馬の飼育繁殖調教のノウハウを持ってたことが
関東支配の要因の一つと思ってたから・・・
黒ボク土という土壌の存在が馬の肥育に関与してるらしい
河内は二上火山帯の西の端で三河は東の端だそう
三河にも牧があったから頼朝との関係が明白になってなんだか楽しい
オラワクワクすっぞ 源平だけなら解説本を探さないけど、義時と鎌倉御家人13人については詳しくないから
そのへんの総まくりが見れる本が欲しいな >>873
永井路子の小説で「草燃える」ってタイトルのものはないぞwドラマ「草燃える」の元ネタになった小説はあるけどw >>871
源平について全て網羅してる本を買うしかないね
関係ないけど、義時死後の話もすこしやって欲しい
伊賀氏事件(伊賀氏の変)で光宗兄弟と伊賀の方を配流の刑に処し、泰時が第三代執権になるとこまで
泰時が執権の職に就くまで1話分をさく
その方が収まりいいし、伊賀氏事件は面白いから陰謀だらけの鎌倉幕府の最後として描いて欲しい >>873
永井作品『北条政子』、『炎環』、『つわものの賦』の三作品を原作にしてるんだろ例の大河は
『炎環』なんて実朝殺害を三浦黒幕説にしてるけどね 堺屋太一の
秀吉夢を超えた男、豊臣秀長、鬼と人との原作合わせ技みたいなもんだな草燃えるは 堺屋太一は政治的な匂いがしすぎて敬遠してたが、歴史小説は読ませる力がある作家だよな
戦国専だから鎌倉殿とは関係ないけど >>870
845から867と連面と続く三河屋は書き込みは、日本歴史を推進したのは三河国だという主張するため、史実にない交ぜのガセネタと挿入して、いかにもそのように思わせる者で、他のスレにも出没して皆を悩ませているます。信用しないように。 大河ドラマ「花神」も司馬遼太郎のいくつかの小説を合わせてあるんだよね
永井路子の「炎環」は義経を軍事的才能はあるけど政治センスはゼロの残念な人にして、梶原景時を悪役にはしてないのが面白い 忠臣蔵も峠の群像書いてるけど鎌倉時代とかは書いてないんだっけ NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 鎌倉殿の13人: 北条義時とその時代
(NHKシリーズ NHK大河ドラマ歴史ハンドブック) NHK出版
簡単にまとめたもので良ければこれがオススメ
考証の坂井氏と木下氏も参加している
1,100円 呉座氏があんなことをせず時代考証担当者だったら、講演会とか人が集まりそうだな。 >>882
組!は見てないからわからないけど、真田丸ではファンタジー要素はなかった気がするが >>879
そんな奴いるんだね
しらんかった
ありがと >>888
きりが実質的にそんな感じ
新選組は捨助とか
三谷は実在人物をモデルで半オリキャラ化させるから今回は八重がそうなりそう
まさかの義村って可能性もあるけど 三浦義村をオリキャラぽくするって具体的にどういう設定にするんだよ…もうそういうのいいから 図書館行くけど最初は平治の乱、源平合戦、鎌倉幕府誕生辺りの本でいいのかな? >>888
猿飛佐助と服部半蔵のマジックアクションは
くだらなかったな 新撰組!は近藤勇と土方歳三、坂本龍馬、桂小五郎が仲良く黒船見に行ってたじゃんw 黒船を見ながら裸で抱き合う近藤と土方
今回は義時と義村が裸で抱き合うとか
今年も春嶽と左内が二人で風呂入る意味不明なシーンあったけど >>890
三谷って今再放送もやってる「黄金の日日」のファンだからねえ
あれも実在の人物ではあるけど、どういう人生を歩んできたのかあまり詳しいことはわからない人物をほぼオリキャラ化して活躍させてたし。しかも主要キャラがほとんどそんな感じ >>897
去年の光秀に関しても色々な説あるけど創作が多かったし
義村が結構創作展開になる気もするのだが 宗盛は小泉孝太郎43歳に既に決まってる
何で死没39歳の宗盛を6、1歳のおじ様にやらせたがるのかw 組んだ相手が勝ち運持ちだった土方って感じもするけどな義村 過去には淀を70歳の若尾文子が演じた事もあるし
西村雅彦ももう少し高齢大河なら有りだろうけど
流石に今回の鎌倉殿では浮きまくる >>898
「真田丸」のときは創作にしても根拠のある創作(例えば江戸時代の俗書にある、みたいな)も多かった気がする
麒麟と違ってさ サスケや半蔵で遊ぶのは嫌じゃないけど
お駒ちゃんはつらかった
史実とか講談とか全く関係ない創作は観る気にならん >>903
新選組!の時は時代考証の人が「無いとは言い切れないギリギリの所を描いている」と言ってたな >>902のようにエモリが混ざってて嫌になるよね
>>892
頼朝が死ぬのが6月末だったな
源平争乱と頼朝と北条家、後白河あたりの文献でもみれば充分 >>906
台詞回しなんかは期待しない方がいいぞ
コスプレ時代劇程度に思った方がいい 素人に教えて欲しいのですが、全成や足利は14番目以下、という位置付けなんですか? >>908みたいなことを言うやつが草燃えるを持ち上げる矛盾 草燃えるは現代言葉がな
ただ岩下志麻松平健と時代劇としては安定していた
来年は朝は草燃えるで夜は鎌倉殿で楽しみたいよね もう放送前にキャスト発表は無さそうだな
鎌倉殿に弁慶や静御前が出なかったりして >>912
静は絶対出るだろ
頼朝が静が泣いて嘆願するも産まれた赤子をその日に処分するのだから
静出さずに臭い物に蓋をしてそのエピソード書かなければこの大河見限るわ >>912
弁慶は出ない、静御前はちょい役のような気がする。
もちろんあいつが期待してるようなシーンは無しで。史実かどうか分からんものにどうやって蓋するんだと。
源平の戦場そのものはほとんど出てこなさそうだし。主人公たしかずっと鎌倉にいたんだっけ。 静は義経の遺児が男子だったのでその日の内に由比ヶ浜に埋められるのが見せ場だろ
そういう場面が要らないなら鎌倉殿は人を殺すシーンは全て禁止の優しい世界でいいな >>914
主人公なら九州も行ってるよ
ちゃんと武功たててますよ いい加減にしろ江守
吉野で義経と別れた静御前は捕らえられて、鎌倉に送られた
静御前の扱いはそこまででいいんだよ
義経自体が出番すくないって言われてるし、奥州藤原氏を頼った義経が持仏堂で自害して果てて義経の話はエンド
三谷ならお堂にはいった後は義経ナレ死かもな 静を出すからにはやはり悲劇を描いてこそだろ
命だけはと嘆願し母の心でひたすら命乞いするも無情にも赤子を埋め殺す判断は頼朝や政子にとっても見せ場 連投になるがやはり鎌倉時代描くなら悲劇に次ぐ悲劇ってのは醍醐味だろう
大姫に関しても八重に関しても ペース配分があるんだよ。頼朝は6月末で亡くなるから、序盤駆け足になる
そして頼家の独裁政治を抑止する為に13人の宿老による合議制となる
タイトル「鎌倉殿の13人」だからな。後白河だって4月に退場だし、序盤は省く箇所だらけ 奥州合戦はそれなりに描いてくれるのかな
合戦自体は兎も角としてその経緯は1話丸々使うくらいやって欲しいわな 静がらみのエピソードは政子の見せ場でもあるけど、義時主役なら関係なさそう。
政子は都一と評判の静の舞を見たがって頼朝にねだったり、静の舞に機嫌を悪くした頼朝をなだめたりと、政子は都に憧れるミーハーな田舎娘って感じだな。静も政子に恩を感じたのか大姫の前でも舞を見せたりするし、静も優しい女性だったのかもね。
静が男子を産んだ時は政子が助命嘆願するけど叶わず、憐れんだ政子と大姫が静が去る時にはいくらか援助する等、静が鎌倉に来てから去るまでの政子、大姫親子のエピソードは結構興味深いよね。
政子って怖い部分もあるけど、自分が気に入った人物は徹底的に守ってくれそうで心強いね。舞女微妙や景時の息子の妻(政子付きの女房)、泰時とかも。 >>922
「吾妻鏡の曲筆と顕彰」という本をご存じですか?
吾妻鏡しか静御前のことを詳細には書かれていないし、源氏から政権を奪った北条氏による編纂書だから
政子に拠ったものになってるんだよ
政子の人格を否定するために言ってるわけじゃないけど >>896
義村役の人、真田丸で三成だったときも脱がされてたしねw
鎌倉殿でも絶対脱ぐだろw 三谷は山本を脱がせる趣味があるんだろうな
水被ったりとか態々させる必要なかったし 今回のドラマって弁慶はどう扱うんだろう
今の弁慶のイメージは全部軍記物が元で、史実にこだわってしまうと、そもそも出せなくなってしまうし >>925
三谷の大地って舞台でも脱いでたし
その後の三谷×萬斎ドラマの死との約束でも脱いでた
どちらも脱ぐ必要はない内容だった
なので山本が鎌倉殿で脱がない理由が無い しかも大地では上半身裸にサスペンダー姿だったけど
その後に放送された死との約束でも同じ姿
大地見てたから当然爆笑したw >>924
その本は知りませんでした。
吾妻鏡は北条氏が編纂させたものだから、北条氏に都合の良い記事になっているとよくいわれてますが、政子関連のエピソードはあまり脚色が無いと思い込んでいました。しかし、大袈裟に盛ったり、美化してることもあり得るんですね。 >>928
あの人筋肉が自慢で見せたいんだと思う
本人と会った事あるけど素肌に革ジャン着ててファスナー半分くらい開けて肌見せしてた おいおい義時の日本沈没の評判めちゃくちゃ悪いな(良枠補正で数字は取れてそうだけど)ふざけた駄作 文藝春秋新年特別号に掲載された三谷の寄稿を読んだけど
八重は前半の最重要人物なのだそう
これまでの伝承伝説を参考にして、仮説を提示するとか
(となると、やはり坂井氏の近著の通りになるのかな)
あと義経の腰越状も新解釈で取り上げるみたい 義時の九州遠征は一年以上にわたるから結構重要
特に同年代との人脈作りは遠征で苦楽を共にしたのが大きいと見る
範頼軍は派手な軍功もあげられずにみんな苦労したからね
時政は婿頼みだったが義時は有力婿なしで軍を動かしてる
まあ伺候衆時に築いた人脈も大きそうだが
義村とは旗揚げ前からのお付き合いでいくようだね
泰時と三浦の離婚後も絆は強いから分からんでもない >>924
頼朝という人もなく泰時という人もなかったら日本国はどうなってたか
by北畠親房
鎌倉は文治に右幕下武館を構え承久に義時朝臣天下を併呑す
by建武式目
頼朝と義時は身は大王、不妄語の人
by日蓮
そもそも源氏の天下を北条が奪ったという認識がおかしい
当時から頼朝と北条で武家政権を確立したという認識
呉座本を見てもこの大河はそういう路線で行くんでは
昔は鎌倉幕府という全国政権を頼朝が征夷大将軍になって作ったぞ!
という認識が強かったけどもうそれは古い >>935
坂井氏の本の八重仮説がかなり唐突だったから先に大河のあらすじ知ってて
擁護で書かれたような気もした
そんな無茶苦茶な仮説でなくてこういう理由でみたいなさ >>935
最重要人物かぁ。泰時母になって姫の前登場まで出続けそうだね。 >>933
義時と清盛が奮闘してたな
天下人コンビじゃん
頼朝は地味に天下取ってないけど じゃあ頼朝以降で将軍が権力を振るったのを例示してくれ >>913>915>918>919>921
死ね江守爺 三谷が脚本じゃなければ、もっと不安だろう
大河で源平物は人気ないけど10年に1回はやらないといけないノルマがあるし
娯楽ドラマとして楽しめるように描かないと鎌倉重臣の権力闘争まで行く前に視聴者が脱落してしまう >>938
お飾り将軍なら13人の合議制なんてやる意味ないだろ…
まあ吾妻鏡の頼家暴君説は無理があるとしても、頼家と有力御家人の間に対立があったから
宿老13人の合議制が出来たわけで 義時が幕府を謀略で乗っ取るような脚本にしてほしい
ダークな主人公と言うならぬるい書き方したら嘘つきと言われるぞ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。