高野山金剛峯寺が荘園領主で三善殿が地頭職を務める備後国大田荘における揉め事。
今までは執権(時政)宛に訴状を出していたが、畠山の戦の恩賞沙汰を尼御台が行ってから、政の仕組みが変わったと思われたか、訴状の宛先が尼御台になった(実朝公認)。
執権は「勝手にせい」とは言ったものの、やはり権力を奪われるのは嫌だと、「尼御台は関係ない。これからは執権が下知する。今回は却下。」って文官の二階堂に書かせた。

元々は文官が執権の独断を防ぐために義時とのえを引き合わせたのにそんな話に従うわけがない、という話。

そんな事情も知らない、のえに子供ができたことも知らない、時政の悲劇。