後世「でっち上げられた」神君視点から述べる講談調の寺島ナレと、ヘタレ若家康とのギャップは面白い導入だと思った
「我が神君はいついかなる時も勇敢であられました。あの桶狭間合戦の折も」
家康は決してスーパーマンなどではなく、負わされた重圧に葛藤する一人の青年からキャリアを始めた
こびりついた神君イメージを剥がして、等身大の家康に引き戻すことから始めたいのだろう
初回の方向性が間違っていたとは思わない
青年清盛も五月蝿い厨二だのさんざん言われたが、こちらは史料に描かれた無頼の高平太像と考証高橋が列挙する
特徴的な清盛像をむしろ忠実に反映していた
朝廷でお行儀よく貴族とお付き合いし、書物で勉強し作法を身につける清盛では、後の体制破壊者(治承クーデタ)
にして規格外の構想力(日宋貿易)の持ち主清盛は決して生まれなかっただろう