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特集  76年目の「終戦」手足の吹き飛ばされた遺体、ぎこちない笑顔の日本兵と子どもたち…戦前の「検閲済」絵はがきにのぞく“大日本帝国”

『絵はがきの大日本帝国』 #2



…第二次上海事変は日中双方が保有する陸海空の兵力が激突した。上海は第一次世界大戦の激戦地ベルダンに匹敵するほど流血が多い戦場と評された。夥しい犠牲者が出る中、負傷兵に対する救護活動が喫緊の課題となる。

軍からの派遣要請に応えて1937年9月26日、日本赤十字社兵庫支部が第15救護班、愛知支部が第35救護班を編成し、上海の戦線へ派遣する。


■湊川神社に誓をたてて兵庫班の出発

 派遣団のうち日本赤十字社兵庫支部が発行した絵はがきが残る。「湊川神社に誓をたてて兵庫班の出発」では、救護班の看護婦20人が収まる。湊川神社は戦前の皇国史観において欠かせない聖地の一つだ。

「皇室に忠義を尽くした第一の功臣」と称された後醍醐天皇方の武将楠木正成が足利尊氏の大軍と戦い、壮絶な死を遂げた地だ。そんな正成の最期を彷彿させる地において、若い女性たちが決死の覚悟を求められる場面でもあった。

 兵庫支部の救護班は神戸を出発してから船旅は平穏に過ぎた。ところが10月3日の上陸直前に急変する…