【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【放送予定】2023年1月8日~
【脚本】古沢良太
【主演】松本潤
【音楽】稲本響
【語り】寺島しのぶ
【ロゴ】GOO CHOKI PAR
【制作統括】磯智明
【演出】村橋直樹、川上剛、小野見知
【プロデューサー】村山峻平、川口俊介
【公式HP】https://www.nhk.or.jp/ieyasu/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)また、目安と称してネタバレをテンプレ化するのも禁止です。
※妄想キャスティングや台詞を空想して書き込むのも禁止です。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
※時代劇板のワッチョイ有スレは、こちら。
【2023年大河ドラマ】どうする家康part1【ワッチョイ有り】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1671782390/
※ネタバレスレは、こちら
【2023年 大河】 どうする家康 ネタバレスレ
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1673089554/
前スレ
【2023年大河ドラマ】どうする家康★19
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1674382516/ >>79
古代に遡れ
梅松論には、東国を征伐する歴史を語る記事で、日本武尊に言及している
つまり義家流源氏は、東国征伐のルーツを日本武尊に求めていた事が分かる
日本武尊と言えば、草薙剣
三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝、足利尊氏の使命感の源泉でもある
日本武尊の実在モデルが建稲種命なら、三河に墓がある
正法寺古墳がその墓で、祀る神社が旗頭神社だ
正法寺古墳
https://ja.m.wikiped...F%E5%B0%BE%E5%B8%82)
幡頭神社
https://ja.m.wikiped...AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
そして正法寺古墳の裾には、足利尊氏再興の正法寺がある
三河を探れば、全部意味があるんだよ
正法寺
https://jinja.dr-lea...ji-nisio-kiraokkawa/
寺宝
足利尊氏寄進 扁額
足利義満寄進 太刀、獅子頭、扁額
日本武尊の双子の兄弟を祀る、猿投神社
https://yaoyorozulab...azujinja-kira-nisio/
足利尊氏は、猿投神社の東の宮を創建し、槍と鏡奉納した 榊原役の杉野さんが序盤は忠勝と康政がニコイチっぽくなるってインタビューで言ってるし凸凹コンビになるんだろうなと思う 3話はコスプレBL信長がいないのが非常によかった
このまま退場しろ 2話の自己完結でわしが皆を守るんじゃあモードになったのが余計だったのかな
結局何かしら天秤にかければ三河に思い入れ無いの溢れ出てるし 家康「母上逢いたかったクゥーンクゥーン」
於大「竹千代…逢いたかったですよ…」
家康「クゥーンクゥーン」
於大「織田に付きなされ、今川はもう終わりです」
家康「!今川には私の妻子が居るのですワン!」
於大「下らぬ事…妻子など皆殺しにされるのを覚悟しなさい!」
家康「!ガルルルルッワン!ワン!ガルルルルッッ !!」
こんな感じだったな >>105
同い年の設定になるみたいだしな
今回は家康とお市も同い年設定らしい
瀬名もそれくらいだろうか >>110
これからは家康の配下になるけど一向一揆の時にまた敵対するから出てくるのかな
それで敗走してからは流石に出ないだろうが >>85
まあ、毎回「クエストが発生しました」じゃあダレるのも事実では有るからその辺は匙加減次第なんだけどね 吉良義昭は可哀想な感じに描かれて意外だった
まあ殺された訳でないけど
水野信元は死ぬ時爽快感あるだろうな
しかも家康に殺されるってのが笑うわ >>99
妄想ばかりしてないで現実を見ろ
法界寺を菩提寺としているのは頼朝の注意を逸らす為のカモフラージュ。
実際は義兼自身が八幡神と合祀して守り神となった源氏の氏寺
足利義兼は下野足利氏の本邸の鑁阿寺を鬼門に自分が神となった樺崎寺、裏鬼門に八幡太郎義家が建てた下野國一社八幡宮がくるように配置して建てた。
そこまで陰陽思想に拘って建てたのは下野足利荘が先祖から受け継いだ本貫地だからだ。
植民地に過ぎない三河なんてお呼びじゃないんだ。
足利義兼の血書
予成神可為此寺鎮守将開一眼閉一眼開一眼者為見此寺繁盛閉一眼者為不見此寺衰微也此寺之繁盛者則子孫之繁盛此寺之衰微者子孫深慎而已
訳:私はこの寺の守り神となり一眼を開き一眼を閉じる。一眼を開くはこの寺の繁盛を見る為。一眼を閉じるはこの寺の衰微を見ない為。この寺の繁盛はすなわち子孫の繁盛。この寺の衰微は子孫の没落
足利義兼がこんな血書を残している樺崎寺があった足利荘が本貫地じゃないなんてアホな事を言うな 信元の下手人は平岩なんだよな
伏線として信元のが平岩に傲慢な態度取るような場面も有りそうだね >>53
>標準語とは三河武士の言葉
仮に標準語がそれに近いのだとしたら、現在使われてる三河地方の言葉/イントネーションは伝統と異なる言葉になってしまうな 吉良義昭はあそこで退場って思ってる人が大半だろうね、知名度ろくにない人だから
ただ三河一向一揆で再度、家康にリベンジするから、そこで再登場する筈 >>114
全体的にみんな家康に厳しいから貴重な裏表なく味方してくれた人だったのにって思っちゃった
本来そういう扱いされる人物ではないのか >>43
雪斎師匠説は確証のあるもんじゃないし
ストーリーラインに合わないなら無理に入れる必要は無いわな
家康が覚醒する段になったら挿入されたりするかもしれんが 大河見てて寝そうになったのは初めてだ…
もう少しなんとかならんの >>117
標準語というものは昭和の教育勅語でしか存在しない
今の言葉は共通語 >>117
Wikipediaでアクセント分布図見てみろ
三河西部は東京と同じ >>123
そりゃそうだろ
三河西部の言葉は鎌倉時代に三河を植民地にした足利氏から入植した人々が使っていた言葉。
つまりに西三河の言葉は坂東の言葉なんだよ
それこそが西三河が坂東武者である足利氏の植民地だった証だ。 去年のヤマコー&市原の肉体披露もしつこくて違和感あったが
今年の信康&信長のスパーリング捻じ込みも同じだな
大河が主要キャストの得意分野お披露目会場化してる感じが頂けない
岡田って修斗やジークンドーの資格まで取得してガチの格闘技ヲタみたいだな
室町末期のあの時代の日本の格闘技とか武術がどの程度か知らんが
八幡太郎義家の弟にして武田、小笠原、佐竹の祖と言われる新羅三郎義光が大東流合気柔術の開祖なんて言われてるくらいだから
平安時代には既にそれなりに組み技の形態も形付いてたのかも知らんが
それでも上総介信長が武術で相手を組み伏せて悦に入るってイメージは皆無よな
どちらかといえば、気に入らなければ臣下に命じて首を刎ねて終わりだろw
そんな物より信長に求めたいのは、もう数センチの身長だな
チビが粋がってると余計にダサいw >>114
信元アレだけ目立たせてるってことは当然殺すところまでやると思うけど
其時の於大の反応は見ものだね
嫁さん見捨てろって言った口でよくも兄を殺しやがったなって事になるんかね
それはそれで見てみたいけど 岡田の格闘技披露薄寒いよな
松潤が後輩だからさすが強い〜で持ち上げてるの痛々しいの 手を汚すことを嫌がって逡巡する家康を家臣が獲ってしまいなさいと後押しする路線になるのかな
三国志演義の劉備やんw >>121
録画して寝る直前に見るようにすればぐっすり眠れるな! >>122
こういうちゃんと分かっている人がいるのは
嬉しい >>125
お前はいい加減諦めろよ
逆
源頼朝の三河の母方縁故者が関東に乗り込んで行った
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏親類)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏親類)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) >>126
一応、信長は大の相撲好きで部下に頻繁に相撲をやらせていたという記録はある >>121
展開は割と早いのにね、集中するシーンが無いせいなのかな >>133
お前こそ専門家に一顧だにされない主張を繰り返しても無駄だぞ >>127
信元の弟の忠重もこの前出た時凄い嫌なやつに描かれてたな
上杉祥三がほんのワンシーン出ただけなのに凄い嫌な感じを出してた >>136
諦めろ
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる) 暗くてよく見えなかったんだけど
せなが甲子から見た時の切られた人は誰だったの >>139
家来の妻
吉田城下で三河衆の妻が13人斬り殺された史実がある
吉田城の13人をモデルにしたのだろうね
あれは駿府だろうけど >>125
三河西部と言っても岡崎とかでなく西端の辺りのことだぞ
足利とやらの元領地のアクセントはまた違うが >>138
吉見御所を認めるって事は比企氏が範頼の子孫を保護したことを認めて安達盛長の正室が比企尼の娘だって認めるって事だよな? >>128
色々な意味で今年は接待大河なんだろうな
視聴者も受信料をささげ眠気と戦って
共に接待に付き合えるか忍耐が試されている 先週の次回予告(3話目の予告)の本多忠勝埋葬シーン
全く違う場面つなぎ合わせて捏造してるのなんか印象悪いわ >>141
なんか方言の話が活発化してるね
そもそも松平家は奥三河の松平郷から出てきた人だよね
本来の松平家はそこで林業を営んでいた正真正銘の現日本人とでも言うべき人たちで
山から下りてきて町で暮らすようになる頃には金貸しを営んでいたとも言われていて(南北朝時代位だっけか)
その頃に蓄えた財力で、北朝かどこかに加勢して、それで武士化して行った、とか言われているわけだから
あれは真正の三河人だよね
ただ家康時代には完全に武士化してるから、三河の人達の言葉を使っていたかどうかは不明だけど
(家臣団は流石に土地の侍連だから三河弁だろうけど) >>142
丹後内侍と丹後局は別人
安達盛長の正室は、三河の藤姓熱田大宮司家出自の可能性が高い
範頼の息子は、三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く足利氏が三河で面倒をみていた
武蔵国の貴種、吉見氏の補足説明
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する >>145訂正
現日本人 → 原日本人
秀吉も平民の出と言われてるけど、松平家も創作で後世に作った血筋は別として
実態は源平でも藤原でもない、無論、物部でも橘でもないから、秀吉と同じで、原日本人の家系から天下統一した家だよね >>145
物を知らない田舎をだな
松平は最大の皇室領荘園内にあった
そしてこの荘園は、源頼朝、足利尊氏の先祖が開発した
最大の皇室領荘園だった豊田市に繋がる鎌倉将軍家、足利将軍家、徳川将軍家、トヨタグループが、今も昔も、皇室を庇護する日本の番長なんだからよ
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期~戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 松平は途中で上州出身者が養子に入ってるのは史実でそれを新田氏流得川に結び付けて徳川氏を創作 >>140
瀬名が反物をみんなに分けてあげて喜んでた人たち? 三河ほど、完全勝ち組の地はない
細かい事はいい、日本は三河が勝つように出来ている
社格で伊勢神宮を上回るとも言っても良い大神神社、その奥の院が石巻神社
富士山を上回ると言っても良い日本最強のパワースポットの山、三輪山の上回る石巻山
大和国最初の王(ニギハヤヒ?事代主?)は三河国出身の可能性が高い
三河県豊橋市石巻小野田の石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてあり
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
グーグルマップで見るとよく分かるが、大神神社の鳥居と拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、三河の石巻山(神山(ミワヤマ)に向いているわけだな 松本の顔も演技も演出もひどいわ
2話で見切ってよかった >>150
多分そう
瀬名が処刑されてないのは人質として生かしてこそ価値があるから
瀬名竹千代らを殺したら家康は完全に離反してしまう
瀬名らを盾に駿河に戻れと言ってる 次回は瀬名からの「たすけて せ」みたいなのがあるらしいし
結構緊迫した鬱展開かもな 八重と瀬名どっちが悲劇の人生だろうか
八重は鎌倉殿の設定として 岡田信長から、キムタクオーラ出てきてるんだよ。もっと抑えられないのかな? 八重は義時の最期まで想われてた感あるから幸せな方だ 今回の瀬名も最期まで想われるだろ
所謂築山とは別人と思った方がいい
オリキャラの家康の最愛の人と見た方がいいと思うよ >>72
岡田はNHKで“明鏡止水”って色んな武道を紹介する番組のMCしてるんだが
名だたる武術師範の方々を前にまあ武道について語る語るw共感性羞恥でいたたまれないくらい
本人も何かの師範免許あるらしいけどあんな自分でも模範演技?の型を始めちゃうMCがおるんかーい! あの聖女瀬名から、思いっきりぶっ壊れ瀬名に変貌するのも面白いけど、やらんかなぁ >>147
松平氏の先祖は家紋からして賀茂神社周辺に住んでいた乞食坊主 乞食坊主が天皇とダチになれるわけないだろう
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建)
1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建)
1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
4代目松平親忠創建
・大恩寺(1477年創建)
1493年、後土御門天皇勅願所、紫衣着用が許される 徳川家康は受け継ぐ遺伝子
源義家
足利義兼
足利義氏
今川国氏
一色公深
吉良長氏
源為朝
安達盛長
足助重範
楠木正成
■今川記(1553年成立)より
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 >>156
なるほど、あの斬られてる人たちは渡部篤郎なのかと思った
渡部篤郎は今後も無事なの? >>129
そういう中国皇帝みたいな讒言や諫言で話進めてく大河主人公ってあんまり無かったよな どうしよう家康
どうにかしないと家康
どうにもならない家康 氏真がもっと武田を頼っていればと思わなくもないが、結局最後まで遠ざけたままだったな
義元の代では今川と武田は三国同盟の中でも特別関係は良好だったはずだけど >>170
乞食坊主かそんな血を引いているわけない
現実を見ろ >>104
これから松平の中でも内紛するし
今川武田とも揉めて本能寺まで
鎌倉殿13人みたいな内部争いになってく感じはなんとなく匂わせてたよな >>175
今川家には全然詳しくないけど、家臣団構成が典型的なものだったんじゃないの?
土地の土豪や有力者が家臣団に名を連ねてるだけで、主家が怪しくなると、そんな風だから土豪や有力者が簡単に隣国大名に寝返るという
武田の家臣団もそういう在地土豪の上に束ね役として乗っかる盟主型の大名だったせいで、長篠の敗戦後、続々と家臣団の離反を招いてるし 大体、銭を恵んでもらっている立場で尾張様と張り合おうなんて100年早いんだよ
大人しく這いつくばってろボンビー国家三河が >>171
篤郎の役は6話で死罪
代わりに瀬名と子供達が助かる 桶狭間で負けはしたけど、義元の首を奪還するために奮戦した猛将とかいたはずだけど
全くスルーやな >>181
6話でってなんでわかるの?
もう先の予告どっかに出てる? >>180
あの財宝はどうやって溜め込んだんだろうな >>181
史実では武田義信が廃嫡された翌年まで生きている事が確認されているのになんでそんなに早く死ぬと分かるの? 岡田信長の刀持つシーン、最近やった新撰組の映画と全く同じでワロタw >>186
大河に詳しい知人から聞いた
>>2のテンプレの放送目安にも6話で瀬名の父母死罪って載ってるから読むように >>183
ガイドブックを読まなきゃわからない事です。つまり、彼は口ではガイドブックを読んでないと良いながら、本当は読んでるのです。大河通の知人がいるみたいな大嘘ついてるみたいですが。 >>184
いや寧ろ逆
家康らが鵜殿の一族を捕らえて瀬名らと人質交換を要求
しかし氏真は拒んで鵜殿一族も見捨てて瀬名らを皆殺しにすると言う
しかし瀬名の母が私ら夫婦か自害するので鵜殿一族と瀬名らを助けるべきと提言して
瀬名が嘆き泣くも関口夫妻の死で瀬名は人質交換で家康の元に戻る >>190
それは、テンプレではありません。ネタバレをテンプレ化するスレは、どこの板にもありませんよ。殆どの板では本スレとネタバレスレの棲み分けは、ちゃんとしています。なのに大河ドラマ板だけそれが出来てないのはおかしいのでは無いでしょうか? >>192
元康が捕らえた鵜殿兄弟って氏真の従兄弟だぞ
家臣団統率に苦労している時に従兄弟見捨てたら余計にヤバイじゃん
もう少し歴史を勉強してから書き込めよ 真矢と篤郎は瀬名や孫の為と自分から死を願い出る感じだな >>196
いやそれを氏真は見捨てて瀬名を死罪にって言うんだよ
それを関口夫妻が自分らが死ぬので鵜殿一族と瀬名らを交換するべきと言う
瀬名は当然嘆き泣くが氏真はそれを承服して瀬名らは助かる >>178
これ程、完璧で最高の書き込みには、お目にかかった事がありません。すぐに正解を教えるのは簡単ですが、果たしてそれは親切なのかどうなのか。単に甘やかしてるだけとも言えるとお思います。でも、それでは堪え性のない人になってしまいます。待つ事や自分で考えていただく事、調べて頂く事で成長へと繋がります。 >>194
本スレは、史実のネタバレは容認しておりますが、ドラマ独自のネタバレは容認しておりません。それはテンプレにも示してある通りです。またそれは、古から受け継がれてきたモノです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています