>>554
582年(天正10年)に本能寺の変が起こり、堺に取り残された徳川家康は三河へ帰ろうとしたが、その途上に伊賀があった。ここは信長がかつてさんざん攻撃した地域で、その同盟者だった家康の命も危うかった。家康一行の長谷川秀一が甲賀一帯に影響力をもつ多羅尾光俊に助けを求めたところ、光俊は家康一行に一夜の宿を提供しただけでなく、翌日従者50人と甲賀武士200人を付けて加太峠までの伊勢路を警護した。この伊賀越えを助けたことで多羅尾氏と甲賀衆は徳川氏に少なからぬ恩を与えた。

そもそも甲賀は完全味方してくれたのにカット