道長を拘束したのが「放免」と呼ばれる検非違使庁の下級刑吏らしいな。
実況しながら見ていたんで、説明が出たかもしれんが、役職名が馴染みがなくとまどった。
下手したら放免に殴り殺されていたと兼家が口にしたが、実際下級役人らは荒っぽかったんだろな。
皆さんご存知の通り、平安時代は死刑制度はあっても停止状態。
が、それは貴族らの建前で、下級役人や武士、地方では独自裁定、で殺人は行われていたようだ。
穢れとか関係ない層はいたからな。