一条天皇の三人の息子のうち
彰子が産んだ次男と三男は天皇になった
定子が産んだ長男は東宮にもならなかった

皇后か中宮から産まれた第一皇子が立太子できなかったのは天武朝から平安時代の終わりまで約500年の間で4歳で夭逝した敦文親王を除けばこの敦康親王ただ一人だそうだ

敦康は999年生まれ1019年薨去
父一条は敦康の立太子を望んでいた
大鏡には賢く人柄も優れていたとある
大鏡の信頼性はともかく他に人品に問題があった記録も無い
異母弟の敦成親王は後一条天皇となり敦良親王は後朱雀天皇となったが
敦成が満2歳で東宮になったとき敦康は満11歳
敦成が満7歳で天皇になり敦良が満6歳で東宮になったとき敦康は満16歳