NHK BS1 7583
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日本軍は好かんが本人に向かって敵の子供め!って言い放つ親戚ってのもキチガイだな
蘭印軍はスラバヤ沖海戦だっけ、直接ドンパチしたのは >>892
最初は良かったが余裕がなくなると段々ひどくなったみたいよ
他よりはましだったらしいけどね この人たちがラン員じゃなくて純粋なインドネシア人だったら状況も違ったのかもな インドネシアはインドネシアで東ティモールの独立を阻止したわけで >>893
日本で結婚して子供もいたって
でも一人息子は戦死
戦後は前の奥さんとどういう経緯があったかしらんが別れたみたいね >>902
オランダ植民地時代は本当に最低限の衣食住には困らないように回ってたけど
日本統治時代は徐々に衣食が乏しくなってきてそれは困ったらしい >>902
窮すれば鈍するってね
外地で日本軍が一貫してエンジェルだったと考える人たちは怖いよ >>906
インドネシアは独立後に各地に英蘭傀儡政権を作られた苦い過去があるので
「1つのインネシア」という概念が国の根幹
だから地域独立には当然ながら敏感なのよ 山本七平
米海兵隊によるベトナムからの米人引揚げ作戦の報道は私を憂鬱にした。
何万という難民がそのあとについて脱出していくが、石を投げる者はいない。
その記事の一つ一つは、しまいには読むのが苦痛になった。
形は変わるが三十年前我々も比島から撤退した。誰か我々の後について来たであろうか。勿論事情は違う。
私が言うのは本当について来てほしいという事ではない。誰かが「日本軍の後について脱出したい、しかしそれは現実にはできない」
と内心で思ってくれたであろうか、という事である。
勿論何事にも例外はある。しかし我々はアメリカ軍と違って、字義通りに「石をもって追われた」のであった。 ザ・ヤクザでは戦死したと思われた高倉健が帰還したときには岸恵子は進駐軍ロバートミッチャムと付き合っていた >>920
人間は失意の時に、国家・民族はその敗退の時に、虚飾なき姿を露呈してしまうのなら、自己の体験と彼らの敗退ぶりとの対比は、
まるで我々の弱点が遠慮なくえぐり出される様で苦しかった。そしてその苦痛を誰も感じていないらしいのが不思議であった。
というのはそれは30年前の、マニラ埠頭の罵声と石の雨を昨日の事のように私に思い出させたからである。
私も同じ体験を記した事があるが、ここではまずその時点の正確な記述である故小松真一氏の『虜人日記』から引用させて頂こう。
「……『バカ野郎』『ドロボー』『コラー』『コノヤロウ』『人殺し』『イカホ・パッチョン(お前なんぞ死んじまえ)』憎悪に満ちた表情で罵り、
首を切るまねをしたり、石を投げ、木切れがとんでくる。パチンコさえ打ってくる。隣の人の頭に石が当り、血が出た……」
これは21年4月戦後八ヵ月目の記録であり、従って投石・罵声にもやや落着きがあるが、これが20年9月頃だと異様な憎悪の熱気のようなものが
群衆の中に充満しており、その中をひかれて行くと、今にも左右から全員が殺到して来て、八つ裂きのリンチにあうのではないかと思われるほどであった。 山本七平
ベトナムから戦争孤児を輸送する飛行機が墜落したことがあった。
孤児の多くは米兵との間に生まれた子供であるという。この孤児輸送
に対して、日本の新聞は筆を揃えて非難した。
これに対して台湾人林景明氏は、次のような意味の反論をした。
日本人は、多くの戦争孤児と現地妻を捨てて、南方からひきあげた。
日本政府は、この気の毒な人びとに対して何一つしようともしない。
それどころか、台湾人をはじめ現地で徴兵、徴集した人びとやその戦死者・戦傷者、
遺族に対して、恩給はむろんのこと、何らかの補償さえしようとしない。
否それどころか、これらの人びとのわずかな月給から差しひいて
強制的に貯金させた郵便貯金さえ、払いもどそうとしない。 >>910
まだインドネシアはいい
フィリピンあたりの統治の話になると頭がくらくらする 別にいいことしたなんて言う気はさらさらないけど、特別悪いことをしたのだというなら
比較対象が欲しいかな >>925
自分はなすべきことは何一つせず、一切を放置したままにしておいて、
アメリカが米兵との間に生れた戦争孤児だけでも引きとろうとするのを非難することは、
厚顔無恥としか言いようがない、と。
この所説の一部は新聞への投書としても掲載された。そして、こういわれると、
明確な思想的根拠に立ってこれに反論できるものはいない。
そのため黙ってひっこんでしまうという形で、反論と同時に、アメリカへの非難の論調は、
急速に紙面から消えていった。
日本はなぜ敗れるのか ― 敗因21ヵ条 (著)山本七平 >>926
フィリピンの支配システムもスペインとの混血一族優遇だったね お婆ちゃんは孫に辛くあたって、でも日本人の子供を産んだ娘とは縁を切らずに一緒にオランダに来たんだな >>920
「一下級将校の見た帝国陸軍」か
この人もよく生き残ったな 『虜人日記』 小松真一
日本軍時代の比島を見ると、「東亜共栄圏のため」「東洋は東洋人で」「八絋一宇」等という、
すばらしいスローガンを掲げていたが、人の国へ土足のまま威張りくさって入り込み、
自動車、畑、食料、家、家畜等まで、どんどん徴発して行き、土民は兵隊に会えば
お辞儀をする事を強要され、難しい日本語を無理に、おしつけてきた。
米軍時代になった比島を見れば、立派なバスがたくさんアスファルトの国道を走り、土民は
新しい服を着、食物は豊かに店頭を飾り、米兵はニコニコ顔で町を散歩している。
家はどんどん新築されていく。米軍将兵はバラックに住み、食料は全部本土から取りよせ、
現地物資は少量の野菜を自作しているだけだ。
それにひきかえ、日本軍はちょっと立派な家があればすぐ軍で借り上げ、家主を追い出し、
日本では長屋住まいしかできないような将兵がそれに住み、大臣風を吹かせている。
そして二言目にはビンタを行い、まかり間違えば首まで取ってしまう。
日本から物資が来んので、土民の食料その他を優先的に取る権利が当然あるように
一兵の末に至るまで思い込んでいた。
これでは日本兵が好かれる理由は一つもないようだ。米人は比人を「猿」「洋服を着た口をきく
猿」「水牛」と公然といっているのに、彼等の生活に直接触れないし、安物でも色々物を与えるので、
比人はすっかり米人に惚れている形だ。 この姉妹の間のわだかまりが語り合うことで少しでも違う形になれたのならこの取材の意味もあったわ 事情は違えど、祖母にやりこめられて育ったから気持ち分かるな… >>934
言っちゃ悪いが老い先短いのにわだかまりあったままだと悲しいしね(´・ω・`) >>928
台湾人の言うこともわかるが、日本は素寒貧だったからなw
強国アメリカと一緒にせんでくれよ
南方の人も放ったらかしたかも知れんが
本国人も、随分、放っておかれたろう
台湾の人には見えないだろうが ヨハネスは、バスでは死んでなかった!?
敵国の子を産んだ妻を受け入れ難いわな
婆ちゃんにイジメられて育ったのか
幼なごころに重荷、ツライ人生だったろうに >>931
俺この前日本はなぜ敗れるのか 買ったわ
文春新書のやつ >>942
バスで死んだのはシルビアのパパン(姉妹二人のおじいちゃん)やで。 これで終わりにしか見えんがなにやるんだろ(´・ω・`) >>942
バスで死んだのは爺さん
ヨハネスはお母さんの元夫では? 結構通り魔があった時期って記憶がある。
かなりの割合で殺害されてたような。 常習の通り魔て自分から名乗り出るってどういう話なんだ… え、この番組って2コマあるの? 今、知ったで!
後半はなに描くの?
結局、日本は悪かったで締めるの? 日本 インドネシア支配でぐぐると
一番上に日本会議の糞がでてきやがる >>960
ムショの外の空気吸いたいがためにウソ言ってる可能性もあるでよ >>958
寮の題字を一角抜かしておいて優勝したときに完成させる予定が
70年以上たってもできないでいるんだよね(´・ω・`) >>959
「僕の中の悪魔を止めて!」って気持ちにでもなったんだろ(´・ω・`) >>957
聞き違えてたようです
ご指摘ありがとうございます プロレスみたいになってるけど、
農作物の関税下げろや!!!の命令がアメリカから下されたよね・・・ たった一つの思い貫く難しさの中で僕は〜♪(´・ω・`) >>937
近親者との相性があんまりだと人生が180度変わってしまう可能性もあるからね(´・ω・`) 2連敗で東大に勝点献上とか
法政のこの世代、死ぬまでOB会でイジられ続けるだろ >>977
法政がどん底世代なのか(´・ω・`)あらまぁ。 >>976
昔は家族がキチガイだと文字通り「倒す」しかなかったらしからな
高齢世代だと親を半殺しにしたみたいなエピソードをけっこう語りたがる人も >>981
アル中てDVの親父の頭かちわったはなしあったな
以後は真面目に働くようになったらしい
プロ野球の大杉さんの兄の話 オランダ人の有色差別はスゴいからな
そこに日本要素加わったらどれほど厳しかっただろう 一方日本人は「戦争? アメリカ以外ともしたの?」って認識である これで、贖罪意識を素直に持つ日本人、いくらでもいるだろうなw 今さら家族崩壊かいww
原因はほかのことにありそうだな レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。