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連続テレビ小説「わろてんか」72
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0005◆xrntBF3M81SM
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2018/01/18(木) 07:37:30.64ID:rQmLr5Lh0
なんやこれ
0006衛星放送名無しさん
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2018/01/18(木) 07:37:36.15ID:RKvetEwia
藤吉はよ氏ね
0008衛星放送名無しさん
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2018/01/18(木) 07:38:23.54ID:FcKSUEVT0
「だんだん」とか「べっぴん」とか
ハズレドラマを振り返らなくても
0009衛星放送名無しさん
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2018/01/18(木) 07:39:55.25ID:Wj/fnfpXK
「てんを見習って笑うことにしたんや」とか、秘めておく方がよかったのに
0012衛星放送名無しさん
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2018/01/18(木) 07:48:09.17ID:Zpyo/QaTM
1913年(大正2年)1月、大阪市南区笠屋町(現・大阪市中央区東心斎橋)に「吉本興行部」を設立。
      大正11年  エロ安来節導入で大繁盛  吉本せいの実弟の林正之助が、大正11年(1922年)ごろに安来節を寄席に導入して一大ブームを起こした実話がベースとなっています。
1924年 泰三死去。妻の吉本せいが継ぐ。

      昭和4年 <−−−今ここ
1932年(昭和7年)3月1日に吉本興行部を改組する形で「吉本興業合名会社」を発足。
1934年 吉本せいが山口組二代目山口登組長と接触。
1942年 吉本せい依頼の興行トラブルを請け負った為に山口組二代目山口登組長死去。
1948年1月7日、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組。会長に就任。吉本せいの弟、林正之助社長就任。
1950年3月14日、吉本せい肺結核で死去。享年60。
1968年 林正之助社長、山口組三代目田岡組長と共にレコード会社乗っ取り容疑で逮捕。兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記載。
0013衛星放送名無しさん
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2018/01/18(木) 07:48:37.21ID:Zpyo/QaTM
次々と大阪各地の寄席を買収してチェーン展開を手がけ、大阪に吉本ありと言われるまでに急成長した吉本興行部。

しかしながら泰三は、吉本興行部の後継者として期待されることになる次男・吉本穎右が誕生してすぐの大正13年(1924年)、37歳の若さで急死してしまいます。結婚から17年ほどで迎えた、突然の夫婦の別れでした。

泰三の死因は急性心筋梗塞とも脳溢血ともされますが、この話には尾ひれが付き、「吉本泰三は愛人宅で死んだ」「妾宅で腹上死した」といったウワサが当時の大阪の街に広まっています。

泰三の死の真相は闇の中ですが、泰三が吉本黎明期の基礎をつくったこと、人当たりが良く温厚な性格で、広く興行界の人々と交流を深めたのは間違いのないところ。
奔放ながら事業の舵取りをこなしていたパートナー・泰三を失ったせいは、以降、実弟・林正之助の力を借りて、自らの才覚で吉本を運営していかなければならなくなるのです。

「わろてんか」でも、夫・藤吉との死別が予想され、物語上でも重要なシーンとなっていきそうです。
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