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連続テレビ小説「スカーレット」73
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0479衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:36:08.24ID:h8Eh4j+U0
これが喜美ちゃんの夫になるの嫌だな
なんか気持ち悪い
0481衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:36:31.66ID:y/zjYhhE0
>>474
乙羽編なら田中好子と美佐子いれてるから
2人いなくなってからが悲惨だけど
0483衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:37:18.21ID:orFnqKpZ0
恋愛過程の描写は必要だよ
いつおたがい好きになったか視聴者がわからんまま
プロポーズになると混乱する
0484衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:37:34.91ID:kab1nByWM
>>478
開発室で愛を深める二人 のナレーション一行で済ましてもいい週かな(´・ω・`)
0490衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:40:58.63ID:FGim7zb0a
なつぞらとか半青みたいなのなら、突っ込みどころいっぱいでスレにも少しは人くるのに(´・ω・`)
0503衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:45:08.48ID:FGim7zb0a
キミコって、近くにいて雑談してたら楽しいイケメンなら、すぐ好きになっちゃうんだな(´・ω・`)
0513衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:47:28.68ID:BnEbPcfW0
>>510
年齢は若いけど木本レベルじゃないか
雰囲気は八郎がスカしててナイーブな感じだけど
0515衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:47:50.39ID:FGim7zb0a
こんなに今週ロングバージョンばっかりって、本編が薄いっちゅうことやないか?(´・ω・`)
0518衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:48:34.70ID:BQPlxh8fM
ポイポイ
0523衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:49:36.77ID:BQPlxh8fM
ジンジャーブレッドマンて教えてもろた
0527衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:50:15.46ID:BQPlxh8fM
おちんちんはな、注ぎ口あるでー
0533衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:51:15.07ID:FGim7zb0a
2人が好きになるエピソードに、雑談だけでなくなんか事件みたいの絡めてたら見られたのに(´・ω・`)
0534衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:51:19.27ID:zYW3SAKe0
早送りしていいかな
0535衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:51:20.31ID:BQPlxh8fM
>>522
ちよっこし、て意味だっけ?
0538衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:51:46.97ID:E3YaMqraM
なんかもっと普通にイケメン使ったらよかったのに(´・ω・`)
0539衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:51:51.04ID:BQPlxh8fM
裏テーマの
都合の良い時だけ子供扱い
0542衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:52:22.90ID:BQPlxh8fM
統一教会感
0546衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:52:24.17ID:y6+QcdnfM
HKの朝ドラ「スカーレット」の川原喜美子(戸田恵梨香)のモデルとなる陶芸
家・神山清子の立志伝です。
神山清子の画像神山清子(こうやま・きよこ/本名は金場清子)は、昭和11年
(1936年)8月2日に長崎県佐世保市で、金場繁の長女として生まれた。「神山」
というのは夫の姓で、旧姓は金場である。

父・金場繁は香川県の出身で、炭鉱で働いていた。父・金場繁は情に厚い人だっ
たが、酒と博打が好きで、神山清子と母・金場トミは借金のカタに取られて、店
に売り飛ばされそうになったこともあった。

母親の金場トミは、良家のお嬢様で、何もせず、家事や家計は神山清子がやって
いた。

さて、この頃は日韓併合中で、日本の炭鉱で大勢の朝鮮人が働いており、「金
場」という名字が朝鮮人の名乗る名前に似ていたせいか、神山清子は学校で「朝
鮮人」と言われて虐められていた。

あるとき、厳しい労働に耐えられなくなった朝鮮人たちが炭鉱を脱走した。

そのとき、父親は朝鮮人の脱走を手助けしたため、父親は警察に追われ、一家を
連れて炭鉱町を逃げ出した。

その後、神山清子らは、行く先々で朝鮮人に匿われながら逃走し、戦争末期の昭
和19年(1944年)9月に滋賀県の日野へとたどり着いた。

神山清子は、母・金場トミが作る服が朝鮮服(チマチョゴリ)に似ていたため、
滋賀県でも「朝鮮人」と言われて虐められ、泣いて帰ったが、母・金場トミから
理由を聞かれても、服が原因で虐められたとは言えず、何も答えなかった。

しかし。神山清子は、子供の頃から負けん気が強く、「朝鮮人」と言われて虐め
られても、泣き寝入りはせず、相手の親のところに行って文句を言ったり、校長
室に駆け込んで、対策を訴えたりしていた。

やがて、日野町で終戦を迎えると、昭和22年(1947年)2月に滋賀県甲賀郡雲井
村字勅旨(滋賀県信楽町勅旨)へと移った。神山清子が小学3年生の時だった。
0551衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:53:22.50ID:BQPlxh8fM
>>541
喜美ちゃんは煉獄の中で焼かれ続けます
0552衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:53:23.20ID:y6+QcdnfM
戦時中に金属が不足していた関係で、陶器が金属の代用品となり、信楽では火鉢
が飛ぶように売れ、「火鉢景気」に沸いていた。

父親は有り金をはたいて信楽で山を買い、亜炭の採掘を始めたが、亜炭の採掘は
上手くいかず、木を切って薪にして、陶芸家に売るようになった。


進路

さて、佐世保時代から虐められていた神山清子は、1人で地面に絵を描いて遊ん
でおり、絵を描くことが好きになっていたので、将来は絵描きになりたいと考え
ていた。

その次に成りたいと思ったのは婦人警官だったので、派出所のおまわりさんから
柔道を習った。そのおかげで丈夫な体を手に入れた。長距離走が得意で、滋賀県
ではちょっとしたものだった。

その一方で、虐められていた神山清子は、みんなに認めて貰うため、勉強を頑
張っており、いつもテストは100点で成績は1番だった。先生からの信頼も厚く、
毎年、学級長にも選ばれていた。

神山清子は中学1年生の秋に稲穂のスケッチした絵が、美術教師に認められ、月
に1度、美術教師から絵を習うようになり、滋賀県の絵画コンクールで金賞を
取った。

すると、美術教師は神山清子に美術大学への進学を勧め、高校の学費は信楽町が
出してくれることになった。

しかし、封建的な父・金場繁は「女は裁縫と料理が出来ないとダメだ。勉強など
必要ない」と言い、神山清子は信楽中学を卒業すると、和裁・洋裁学校へ入れら
るのだった。


弟子入り

神山清子は独立したいという気持ちを持っていたが、ひとまず父親の言うことを
聞いて和裁・洋裁学校へと入った。

朝5時に起きて花を病院へ持って行き、花を売りって学費を稼ぎながら、和裁・
洋裁学校へと通った。

このころ、神山清子は、京都へ行って本格的な絵の勉強をしたいと思っていた
が、家庭の経済事情で京都へ行くことはできないため、絵の勉強をしながら、信
楽で絵の師匠を探していた。

地元の信楽で絵の仕事と言えば、信楽焼の絵付けしの仕事があったので、信楽で
一番良い絵付け師を探して、京都から来た日本画家の絵付け師(吉竹栄二郎?)
に、弟子にして欲しいと頼んだ。
0556衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:53:57.86ID:y6+QcdnfM
絵付け師は「女の弟子は取らない」と言って拒否したが、神山清子は諦めずに朝
6時に起きて絵付け師の職場に押しかけた。

10日ほどすると、絵付け師は話を聞いてくれたが、やはり、弟子にはしてくれな
かった。

絵付け師の娘が弟子と男女の問題を起こして失敗していたので、女の弟子は取ら
ない主義なのだという。

その代わり、熱意を認めてくれ、北村という絵付け師を紹介してくれた。

こうして、神山清子は北村の弟子になれたが、子供の面倒や雑用ばかり、絵付け
の仕事など教えてくれなかった。

しかし、神山清子は雑用の合間に、見よう見まねで絵付けの仕事を覚えていき、
やがて、下書きから上絵まで任されるようになった。神山清子は嬉しかったが、
北村は怒ると直ぐに物を投げつけるため、嫌になって1年で辞めた。


近江化学陶器に就職

昭和29年(1954年)、神山清子は18歳の時に日本画家の絵付け師(吉竹栄二
郎?)の紹介で、陶器製造会社「近江化学陶器」に就職した。

神山清子はデザイン部に配属され、吉竹栄二郎に絵付けを学び、日根野作三から
クラフトデザインを学んだ。

弟子ではなく、正社員だったので、給料は出たが、「お前なんかは教えてやって
いるんだから、本当なら授業料もってこなきゃいかん、それなのに出しているん
だから」と言われる程で、給料は少なかった。

神山清子は仕事が始まる2時間前に職場に行って売り物にならない火鉢で絵付け
の練習をして、昼休みは自宅に戻って家事をし、仕事が終わると、自宅に戻って
新聞紙で筆運の練習をした。
0558衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:54:29.08ID:y6+QcdnfM
しかも、給料が安かったので、夜の12時や1時までアルバイトをしたが、父親は
「ただめし食わせて大きくさせてやったんだから、その分返すのが親に対する務
めだ」と言い、神山清子の給料を全て取っていた。

神山清子は「この頃は娘十八番茶も出花という頃でしたが、お化粧などしたこと
がありません。現代の子供には、こんな話とうてい理解できないでしょう」と苦
労を語る。


神山清子の結婚

神山清子が「近江化学陶器」に入って1年が過ぎ、デザイン部が拡大され、神山
清子は主任的な立場になった。正式な役職ではないが、近江化学陶器では女性初
で、ようやく給料も人並みになった。

このとき、型押し部に居た神山易久がデザイン部へと移ってきた。神山易久は、
中学時代の1年先輩だった。

神山易久は中学時代の美術コンクールで、いつも2位で、1位が神山清子だった。

このため、神山易久はライバル視していたが、神山清子は自分の絵に必死で神山
易久のことを知らなかったという。

さて、神山易久が神山清子のデザイン画を褒めたので、神山清子は神山易久に好
意を持つようになった。若い2人が恋に落ちるのには、それほど時間はかからな
かった。

しかし、父親が結婚に反対した。父親は苦労して土地を手にしていたので、結婚
するなら養子が欲しかったし、神山家の金銭的な事情も気に入らなかったようで
ある。

神山易久は養子に入る事を承諾したが、神山清子が養子に反対し、最終的に神山
清子が神山易久の籍に入り、2人は金場家で同居するということで、結婚した。
神山清子が21歳のことだった。

結婚しても仕事を続けたが、それでも生活が苦しいので、和服や反物を売りなが
ら生活をしていた。

やがて、神山清子は、長女・神山久美子と長男・神山賢一
<http://nobunaga-oda.com/kouyama-keniti/>;を儲けたが、仕事を辞めることは
出来ず、子供を負ぶって出勤し、工場にむしろをしいて子供を寝かせ、仕事に励
んだ。

それでも、1度も休んだことがなく、度々皆勤賞をもらい、残業代を目当てに、
遅くまで仕事をさせてもらったので、「働き者の清ちゃん」と呼ばれていた。
0560衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:54:40.28ID:h8Eh4j+U0
なんやこれ
0561衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:54:45.58ID:BQPlxh8fM
顔芸やっとらんやん喜美子
0562衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:54:56.08ID:y6+QcdnfM
陶芸家への道

神山清子が「近江化学陶器」に就職してから10年が過ぎたころ、家電の発達によ
り、電気式の暖房器具が普及してくると、火鉢の需要が激減し、「近江化学陶
器」は経営が傾き始めた。

このころ、「近江化学陶器」では、火鉢からタイル製品や植木鉢に転換してお
り、絵付け師の需要も減っていた。

このため、神山清子はアッサリと会社を辞め、信楽焼の伝統的な狸や灯籠の型押
しの下請けを始めたが、初めは狸の置物を10個作っても、8個は潰れて前にお辞
儀してしまうという有様だった。

時間が経つと手慣れてきたが、下請けなので、大したお金にもならず、他に仕事
はないものかと考えるようになっていた。

そのようななか、台所で考え事をしていた神山清子は、「台所用品を一番知って
いるのは私たち女だ。信楽焼には食器は無いけれど、信楽の土で食器を焼けない
だろうか」と思った。女性ならではの発想だった。

そこで、皿を作って知り合いの窯で焼かせてもらうと、味のある皿が焼けた。

皿は毎日、料理を盛り付けるのに使うので、神山清子は日々研究して、次々に新
しい皿を焼いていたとき、子供たちが泥遊びをしているのを見て、「編み込み」
という手法を思いつき、「編み込み皿」を焼いた。

すると、知り合いから公募展に出品することを勧められたので、公募展に出品し
てみると、日本クラフト展や朝日陶芸展に入選して、神山清子は信楽の女流陶芸
家として一気に注目を集め、陶芸家として華々しいスタートを切ったのである。

神山清子は、絵の世界を目指していたが、陶芸の道に進むことには何の抵抗もな
かったという。


女流陶芸家

神山清子は自分の窯を持っておらず、酒やお金を持っていき、知り合いの電気釜
で焼かせてもらっていた。

しかし、作品がコンクールに入選したとき、審査員が窯を見たいというので、慌
てて15キロの小さな電気釜を30万円で購入することにした。

展覧会に出品した作品を1つ5万円で売って購入費用に充てようとしたが、全く売
れないので3万円まで値下げして10万円を用意し、残りは月賦にしてようやく、
電気釜を購入した。
0563衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:54:59.07ID:VRfzVrUF0
この脚本家夏子の酒やビギナーやホタルノヒカリ書いた人なのか
この辺は面白くはないけど腹立つほどつまらなくもないのはやっぱ実力なのか
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