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連続テレビ小説「スカーレット」73

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0574衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:56:27.48ID:y6+QcdnfM
幸運

「寸越窯」が完成してしばらくすると、高山という陶芸家が、自分の作品を古式
穴窯で焼いて欲しいと頼んできたので、「寸越窯」で焼いてあげた。

すると、高山が、京都に信楽焼の好きな美術商が居ると言い、美術商のK氏を紹
介してくれたので、神山清子らは夫・神山易久の作品を持っていった。

すると、K氏が夫・神山易久の作品を気に入り、支援を約束して、芸術家がお金
の心配なんかしてはいけないと言い、無条件で大金を貸してくれた。売る方は引
き受けるので、どんどん焼けというのである。

K氏が無条件で次々にお金を貸してくれるので、夫・神山易久はK氏をいつでもお
金を引き出せる銀行と勘違いして、一躍スター気取りとなった。

夫婦で個展を開いて「おしどり展」などと呼ばれていたのだが・・・。


離婚

K氏から支援を受けるようになった頃から、夫・神山易久は弟子の女性と不倫関
係になった。

神山清子が弟子の女性に「陶器の勉強をやるのか、恋愛をやるのか。主人との関
係は知っているけど、いまさら何も言わない。陶芸をやるのなら、ここへ来てい
る間は恋愛関係をストップしなさい」と注意すると、弟子の女性は「陶芸をやり
ます」と答えた。

しかし、女性が夫・神山易久に言いつけたらしく、神山清子は夫・神山易久から
激しく叱責された。弟子の女性は甘えるように夫・神山易久に寄り添った。

そうした一方で、夫婦で展覧会に出品するが、入選するのはいつも神山清子の方
だった。

夫・神山易久は、神山清子が展覧会で入選する度に不機嫌になっていき、終いに
は、窯に縄を張って「生理のある女は入るな」と言い、神山清子を閉め出して、
窯への立ち入りを禁じた。
0576衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:56:57.77ID:y6+QcdnfM
神山清子は、真冬に水をかけられたり、鉄の棒を振り回された事もあったという。

弟子は上手く立ち回り、神山清子だけが孤立し、妻の座も陶芸活動も奪われてし
まった。

神山清子は自分の作品を作るために、みんなが寝静まるのを待って、土置き場の
隅っこで隠れて展覧会に出品する作品を作った。

さて、夫・神山易久が交通事故に巻き込まれたことから、弟子との不倫が明るみ
になった。信楽町は小さい町だったので、直ぐに噂は広まった。

離婚問題で2年間、苦しみ抜いた神山清子は、ある冬の日、何時間も裸足で森を
さまよったが、死のうとした瞬間に足が動かなくなったという。

そんな神山清子を救ったのが、長男・神山賢一だった。

長男・神山賢一が「お母さん、お父さんのことは忘れて、良い仕事をして欲し
い」と言ってくれたので、離婚を決心し、夫・神山易久と離婚した。38歳のこと
である。


かみやま・せいし先生

神山清子は陶芸の師匠がいなかったが、離婚後は色々な陶芸家が尋ねてきて助言
をしてくれるようになった。中には、言い寄ってくる男もいた。

このころ、陶芸家は男性ばかりだったので、神山清子の事を男性だと思い、「か
みやま・せいし」と読み、「かみやま・せいし先生は居られますか」と尋ねてきた。

応対に出た神山清子は、「かみやま・せいし先生」の弟子と間違われたので、気
まずくなって適当に誤魔化して帰ってもらった。

その人は何度、会いに来ても「かみやま・せいし先生」が会ってくれないため、
終いに怒りだしてしまった。

そこで、神山清子が仕方なく、「かみやま・せいし」ではなく、「こうやま・き
よこ」と読むことを教え、自分が「こうやま・きよこ」だと明かすと、その人は
絶句した。
0578衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:57:28.47ID:h8Eh4j+U0
>>574
十代田最低だな
0579衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:57:31.36ID:y6+QcdnfM
信楽自然釉(しがらきしぜんゆう)

神山清子が夫と離婚して間もなく、長男・神山賢一が古い寸越窯跡で陶器の破片
を見つけた。

それは、釉薬(うわぐすり)などを使わない古代の自然釉(しぜんゆう)で、な
んとも綺麗な色をしていた。

すると、神山清子は、自然釉(しぜんゆう)に魅入られ、自然釉の研究に没頭した。

離婚の後でお金が無く、弟子から借金をして、子供のお年玉を使い込み、パンの
耳を食べ、農家にキャベツをもらいに行き、全てを自然釉につぎ込んだ。

しかし、失敗の連続で、まったく色が出なかった。

そこで、今度、色が出なかったら、しばらく休業して出稼ぎに出ようと思い、最
後は全財産をはたいて薪を買い、通常なら3日から6日間のところを、ヤケクソで
16日間も炊き続けた。

すると、16日間も炊き続けたことが功を奏し、釉薬(うわぐすり)を使わずに色
を出すことに成功した。土の中の石が溶け出して、焼き物にかかった灰と反応
し、宝石のような色に変化したのだ。

こうして、神山清子は自然釉(しぜんゆう)による古代の信楽焼きの再現に成功
し、「信楽自然釉」と名付けた。

そして、古代の信楽焼きを再現したことがNHKなどで取り上げられ、神山清子の
名前は全国へと広まっていくのだった。
神山清子の壺


神山清子と韓国

神山清子は44歳の時に、韓国の窯場から陶芸の指導して欲しいという依頼を受けた。

神山清子は、韓国の陶芸に憧れており、韓国の土や職人の仕事を見たいと思って
いた。

また、戦時中に父親が警察に追われて逃げ出したとき、行く先々で朝鮮人に匿っ
てもらっていたので、韓国人(朝鮮人)を尊敬しており、韓国人への恩返しとし
て、陶芸の指導を引き受けた。

神山清子は、韓国で半月ほど滞在して窯場で陶芸を教え、韓国人と交流を深め
て、帰国後も韓国人との文通を始め、次回の交流を楽しみにしていたのだが、朴
大統領暗殺事件などの影響もあり、文通も途絶えてしまった。
0583衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:58:01.86ID:y6+QcdnfM
白血病を発症

神山清子の長男・神山賢一は、小さい頃から信楽焼を手伝っていたこともあり、
自然と信楽焼の道を目指し、信楽工業高校(信楽高校)の窯業科を卒業して、滋
賀県立信楽窯業試験場でロクロや釉薬などを学んだ。

そして、長男・神山賢一は滋賀県立信楽窯業試験場で3年の修行を経て、神山清
子の元に戻り、天目茶碗の制作に励み、陶芸家として歩み始めた。

平成2年(1990年)2月16日、長男・神山賢一は29歳の誕生日を迎えたが、その4
日後の2月20日に作品を作っている最終に倒れ、病院に運ばれた。

そして、検査の結果、長男・神山賢一は慢性骨髄性白血病と診断された。神山清
子が54歳のことである。

2日後、長男・神山賢一は大津市の赤十字病院に転院し、神山清子は改めて、医
師から、白血病は血液のガンだと教えられた。

赤血球の形(HLA)が合ったドナーから骨髄を移植するしか治療方法は無く、ド
ナーが見つからなければ、長男・神山賢一は死ぬと言い、2年半の余命宣告を受
けた。

神山清子は医師からの説明を聞いて激しく動揺するが、長男・神山賢一は、自分
が白血病だと気づいていたのだった。


神山賢一君を救う会

兄弟間でHLAが適合する確率は約25%と言われるが、長男・神山賢一と長女・神山
久美子のHLAは適合しなかった。

このとき、公的な骨髄バンクは存在しておらず、民間の「東海骨髄バンク」が存
在するのみだったが、ドナー数も少なく、時間もかかった。

そこで、長男・神山賢一の知人らが平成2年(1990年)7月に「神山賢一君を救う
会」を設立し、ドナー探しと募金活動を開始した。

さらに、市民団体などの協力により、「神山賢一君支援団体連絡協議会」が発足
した。

そのようななか、神山賢一の名前を公表したことにより、「私たちも救って欲し
い」「募金を使う権利は私たちにもある」として、全国の白血病患者からHALの
データが送られてきた。
0586衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:58:22.36ID:y6+QcdnfM
そこで、長男・神山賢一は、他の白血病患者も救うことに決め、活動の範囲を拡
大し、骨髄バンク運動を開始する。

神山清子と神山賢一は、親子展を開いて骨髄バンクの必要性を訴え、ドナー提供
を呼びかけ、4ヶ月で約3000人のドナー希望者が集まった。

しかし、非血縁者でHLAが適合する確率は数万分の1とも言われており、長男・神
山賢一の適合者は見つからなかった。

血液検査の費用は1人につき1万3500円。現在は血液検査の費用は国が負担してく
れるが、当時は保険も適用されず、全額が個人負担だったため、「神山賢一君を
救う会」は総額7000万円という借金を抱えて解散した。

神山清子は、全国各地の白血病患者に借金返済を強力して欲しかったが、自分で
借金を被ることにして、「神山賢一君を救う会」の解散後も、作品を売りながら
借金を返済し続けた。

その一方で、骨髄バンク設立を期待する声は大きくなっており、神山賢一は、全
国各地の白血病患者を「救う会」の拠点となる「骨髄バンクと患者を結ぶ会」を
設立し、会長に就任して、骨髄バンク設立運動を本格的に開始するのだった。


急性白血病に転化

神山賢一は骨髄バンク運動を続ける一方で、陶芸にも励み、「滋賀県立陶芸の
森」で開催された「世界陶芸祭」に天目茶碗、神山清は壺を出展した。

神山賢一は世界の陶芸を間近で見られる事を楽しみにしていたが、信楽高原鉄道
が脱線事故を起こして大騒ぎになったため、翌日、世界陶芸祭は途中で中止と
なった。

さらに、それから数日後に、神山賢一と交流していた白血病患者と母親が、無理
心中するという悲劇が起きた。

その後、神山賢一は急性白血病へ転化したため、赤十字病院に再入院。民間の
「東海骨髄バンク」でも適合者が見つからなかったため、叔母・静子の骨髄を移
植することになった。

このころ、神山清子は牛尼瑞香を弟子を取り、牛尼瑞香の協力を得て、陶芸を続
けなら病院に通う一方で、骨髄バンクの必要性を訴える活動を続けた。
0589衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:58:43.91ID:y6+QcdnfM
長男・神山賢一の死

神山清子の妹・静子は二座不一致でHLAが完全に一致はしなかったが、完全に一
致していなくても骨髄移植すれば、白血病が治るケースがあった。

そこで、神山清子が妹・静子に相談すると、妹・静子が協力を約束してくれたの
で、長男・神山賢一は名古屋の赤十字病院へ移って骨髄移植を受け、容体は回復
に向かった。

さらに、その年(1991年)の12月に、骨髄バンク運動が実を結び、念願の「骨髄
移植推進財団(骨髄バンク)」が設立された。

しかし、平成4年(1992年)2月に長男・神山賢一は白血病が再発してしまう。

そこで、神山清子は献体登録すると言い、長男・神山賢一にも献体登録を勧め、
2人で献体登録をした。

医学に貢献したいという気持ちもあったが、献体すれば、遺体は死後2年間はそ
のままの状態で安置されるので、病院へ行けば、いつでも長男・神山賢一に会え
ると言う理由が大きかった。

さて、神山清子は、神山賢一の生き様を信楽自然釉で残しておこうと思い、入院
前に神山賢一が作った壺を信楽自然釉で焼き、病院へ持って行った。

既に神山賢一は信楽自然釉の壺を見て嬉しそうだったが、もう壺を持つ力もなく
なっており、目から出血していたので、血の涙を流しているように見えた。

ある日、長男・神山賢一が国宝級の「天目茶碗」が展示されている徳川美術館に
行ってみたいと言うので、神山清子は長男・神山賢一を車椅子に乗せて、徳川美
術館へ連れて行ったが、休館日だったため、入る事が出来ず、名古屋城を観に
行った。

その後、神山賢一は衰退していき、神山清子の子守歌を聴きながら、平成4年
(1992年)4月21日に死去した。神山賢一は31歳、神山清子は56歳だった。

長男・神山賢一は献体登録していたので、死後、献体に出された。

さて、長男・神山賢一は生前に「僕で終わっていい。あとは自分の仕事をして」
と言っていた。

しかし、神山清子は白血病患者から電話を受けたり、関係者が尋ねてきたりする
ので、平成6年(1994年)に「滋賀骨髄献血の和を広げる会」が発足すると、会
長に就任し、陶芸の制作活動を行いながら、骨髄バンクの普及のために活動を続
けた。
0598衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 09:59:54.50ID:h8Eh4j+U0
>>583
救う会ってこの頃からあったのか
0600衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:00:16.67ID:h8Eh4j+U0
>>596
そして十代の子を孕ませます
0602衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:00:17.90ID:P7vyWOxe0
とんねるずのANNの電報対決は下ネタだらけで
オペレーターに文面を伝えたら爆笑されたことを思い出した。
0612衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:02:18.55ID:h8Eh4j+U0
>>602
楽しそうな時代だ
0623衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:04:16.80ID:P7vyWOxe0
>>612 
因みに電報代は両親持ちだった。
明細の見方をよくわからんので文句言われたことない。
0632衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:05:50.97ID:FGim7zb0a
草間さん仕事してないの?ヒマなの?実況民なの?(´・ω・`)
0634衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:06:31.02ID:FGim7zb0a
蒲田と言えば、時期的に医者になりたい女の子がいるな…(´・ω・`)
0638衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:06:50.63ID:P7vyWOxe0
喜美子は草間さんにお礼をちゃんと伝えるけど奥原なつは・・・。
0657衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:09:37.62ID:P7vyWOxe0
>>645 
なつはよくハァ?( ゚Д゚)を連呼してたね。
不快だから「お前は少林寺か!」ってTVに突っ込んだわ!
0659衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:09:52.65ID:VRfzVrUF0
なんかはよ話進めろよってずーっと思ってる
テンポ悪いんかね
0661衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:10:56.77ID:FGim7zb0a
>>657
なつ様は、他人が自分のために何かするのを当然のことと思ってたな(´・ω・`)
0664衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:12:04.72ID:y6+QcdnfM
朝ドラヒロイン“モデル”陶芸家・神山清子さんの壮絶半生

「ここに展示してるんは、ぜ?んぶ穴窯で焼いたもの。でも、同じ土、窯で焼い
てても、それぞれたき方が違うから……、ほら、見て。色も光沢もみな、全然違う
やろ」



記者に向かって解説を続けるうちに、口調はどんどん熱を帯びていった。粛然と
した会場に、まくし立てるように話す神山清子さん(83)の関西弁が、響き渡っ
ていたーー。



8月末。滋賀県草津市の「草津クレアホール」では陶芸家の神山清子さんと長
男・賢一さんによる親子展が開催されていた。



御年83歳の神山さんは、女性陶芸家の草分け。日本六古窯に数えられる“焼き物
の郷”信楽で本格的に作陶を始めたのは、もう半世紀以上も前のことだ。自宅に
「穴窯」と呼ばれる半地上式の窯を築き、釉薬を使うことなく光沢ある陶器を焼
き上げる古の製法『信楽自然釉』を復活させた。



現在放送中のNHK連続テレビ小説『スカーレット』も、信楽を舞台に、男性中心
の焼き物の世界で、女性陶芸家が自らの道を切り開いていく物語。戸田恵梨香演
じる主人公・川原喜美子の人物像、そのヒントになったといわれているのが、神
山さんだ。
0667衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:12:39.57ID:y6+QcdnfM
神山さんは’36年、長崎県佐世保市に生まれた。3人きょうだいの長姉だった。小
学校に通うようになってすぐ、大きな転機が訪れた。



「父親は炭鉱の現場監督やった。一方では、あの時代に戦争反対っていう人。
常々、一緒に働いてた朝鮮の人たちをかばってた。しまいには重労働に耐えかね
て脱走を図った朝鮮の人を助けようとして、警察に目をつけられてしまって。父
は、私らを連れて逃げ出した」



同胞をかばってくれた恩人を、朝鮮の人たちは大切に扱った。逃亡先の村々で、
彼らに助けられながら、神山さんたち家族は、遠く滋賀県にまでたどり着いた。
それは終戦の前年、’44年9月だった。



「最初は県内の日野、次いで信楽に住むようになったんやけど。どこでも朝鮮の
人たちにはようしてもらった。私らが生き延びてこられたんは、あの人らがご飯
に呼んでくれて、布団やら何やら、みんなそろえてくれたおかげや」



幼いころから絵を描くのが好きだった。そして、信楽には焼き物に絵を描く「絵
付け」という仕事があった。神山さんは中学卒業後、ある絵付け師のもとで、基
礎を学び、’54年、陶器製造会社に「絵付け工」として就職した。



「当時の焼き物業界は、完全な男社会。絵付け工にも女なんていてへん。就職は
したものの、はなから『あかん、できるわけない』と決めつけられ、いじめられ
もした」



1年ほどが過ぎ、社内でもやっと腕前が正当に評価されるようになったころ、絵
を褒めてくれる男性が現れた。1つ上の先輩だった。2人は交際を始め、やがて結
婚。神山さん21歳のときだ。ほどなく1男1女の子宝にも恵まれる。貧乏暇なしの
暮らしぶり、それでも十分幸せだった。
0668衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:13:01.43ID:y6+QcdnfM
神山さんが就職した当時、信楽の陶器産業は隆盛を極めていた。戦争で鉄や金物
が不足した影響もあって、陶器はさまざまな場面で重宝された。とくに暖房器具
の火鉢は飛ぶように売れ、最盛期、信楽は全国シェア8割を占めた。



「ところがや、石油ストーブや、家電製品が普及し始めると、火鉢の売れ行きは
急にストップや」



火鉢の絵付けが主な仕事だった神山さんは、およそ10年勤めた会社をあっさりと
辞めた。そして、次に自分が何をすべきか、必死になって考えた。いま、信楽焼
にないものは何かを。



「食器やと思った。焼き物の町なのに皆、九谷焼の食器を使ったりしてた。それ
であるとき、子どもが泥だんご作って遊んでるのを見てて『これや!』と思いつ
いてん」



土のだんごをいくつも並べるようにして、大皿に仕立てた。できあがったのは素
朴な味わいの「小紋様皿」。陶芸家・神山清子のオリジナル作品、第1号だ。



その後も神山さんは、子どもの泥遊びのように、心の赴くまま、手の動くまま、
従前の信楽焼の枠におさまることのないユニークな作品を生み続けた。知人に勧
められ、公募展に出品すると、思いがけず入選を果たす。当時、まだ珍しかった
女性陶芸家として、彼女の名は全国に知れ渡った。仕事ぶりを見てみたいと、た
くさんの人が訪ねてくるようにもなった。神山さん、ちょうど30歳。
0669衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:13:01.57ID:FGim7zb0a
あの人形に、ジョージの髪の毛を入れるとな、人形の腕をもいだらジョージの腕がケガしたりするんや…(´・ω・`)
0671衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:13:17.36ID:4phfPViTd
これもしブサイクで好きでもない子だったらとんでもなく迷惑な話だな
0673衛星放送名無しさん
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2019/12/07(土) 10:13:25.61ID:y6+QcdnfM
華々しく陶芸家の道を歩み始めた神山さんを、疎ましい思いで眺めている人たち
もいた。



「“女性が窯に入ると汚れる”って、よく言われててん。火に近づくことさえ、許
されへんって。信楽で自分の窯を持った女性はそれまでいてへんと思う。だから
私のこと、女のくせに生意気や、そう思ってた人も少なくないでしょ」



男たちの“アレルギー反応”をよそに、神山さんは陶芸家として大きな夢を抱いて
いた。それは、効率重視の「登り窯」ではなく、古代の陶工のように、山の斜面
をくりぬいた「穴窯」で、本物の信楽を作ってみたいーー。



神山さんは自宅の庭に、夫とともにレンガを重ね、その上に土をかぶせた半地上
式の穴窯を築いた。



夢に向かって邁進するが、夫とはすれ違いの日々が増えていく。少し前に会社を
辞め、陶芸家として独り立ちした夫は、芸の肥やしとばかりに、女遊びにうつつ
を抜かすようになった。



「急にな、旦那が穴窯の周りに結界みたいな縄を張って、『生理のある女は入る
な』やて。ほんで、私が展覧会に出そう思うて作ってたもの、みんな外に放り出
されてた」



真冬にバケツで冷水を頭からかけられたことや、鉄の棒を振り回し「殺す!」と
脅されたことも。思うに、夫に巣食っていたのは嫉妬心だったのかもしれない。



間もなく2人は離婚。神山さんは38歳になっていた。
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