寛永2年(1625)10月、徳川家光(尾上辰之助)が高熱を発し倒れる。病の床で家光は、
秀忠(西田敏行)に御落胤(ごらくいん)があることを問いただす。秀忠は、もう一人の弟
・幸松の存在を打ち明ける。家光は幸松を呼び戻してほしいと訴える。