寛永3年(1626)11月13日、中宮和子が皇子・高仁親王を出産。翌年4月、天皇が高仁親王に譲位の
内旨(ないし)を下したとの勅使がある。生後4か月の親王に譲位とは合点がいかないと、徳川秀忠
(西田敏行)は朝廷の真意を突きとめよと命じる。7月、幕府は宮中に一石を投じる。元和元年以降
の紫衣(しえ・僧侶の最高位を表す紫の衣)の勅許を無効とする。

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