[再]麒麟(きりん)がくる(18)「越前へ」★3
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明智城は高政(伊藤英明)の攻めの前に落城する。
尾張へ逃げようとする光秀(長谷川博己)一家の前に、駿河から来た駒(門脇麦)が現れ、尾張は追っ手が来ているので北へ逃げるよう諭す。北へ向かった光秀一行の前に、帰蝶が放った伊呂波太夫(尾野真千子)が現れ、越前へ案内すると語る。
【出演】長谷川博己,染谷将太,門脇麦,尾野真千子,川口春奈,【語り】市川海老蔵【作】池端俊策【音楽】ジョン・グラム
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[再]麒麟(きりん)がくる(18)「越前へ」★2
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1590203846/ >>300
信長のトーチャンは毒矢食らってしばらく生きてたやん >>288
50年前までは田畑に埋もれていたらしいが、今は遺跡保存&再現でかなり整備されてる。 >>288
メインの城はその後北ノ庄とかいう別の城になったんじゃないか
それがそのまま福井の市街地になった? 伊呂波大夫か光秀を越前に導くお手伝いをしたのか
伊呂波大夫の生い立ちが気になる >>265
信長は最初からサイコパスではなかったっていうのが今回の大河のテーマなんじゃね?
身内に裏切られ続けて、暗黒面に落ちるしかなかったっていう >>277
染谷いい演技してるじゃん
直虎の鶴並みだよ 信秀の葬儀の際、兄・信長は仏前で抹香を投げつけるという不行跡を示したのに対し、勘十郎信行は「折目高なる肩衣・袴めし候て、
あるべきごとくの御沙汰なり」[注釈 11]と記されている通り、正装をして礼儀正しく振舞っており、対照的であった[9][27]。
この逸話はおおよそ事実であったと考えられている[9]。
逸話が事実www
変人やな信長 >>305
菊池凛子っていう日本よりアメリカで有名な女優さん >>315
北ノ庄跡は県庁じゃなかったっけ
堀と石垣に囲まれているやつ >>323
なんのためにこんなことしてんのこいつ??感が付き纏ってる気がする >>166
岩下志麻母ちゃんが、大映ドラマのようにいじめてたからなあw
グレるにも説得力がある >>322
だかしかし発想が柔軟で有能
何物にも囚われず破天荒じゃなきゃ世の中は変えられん >>265
染谷の信長はサイコパスというには良心がありすぎる >>321
>>324
あー菊地凛子が染谷将太か
濱田岳だと思ってた
ほんと似たような俳優多いよなこの世代 >>283
相手がチョンだしキモくて見ていられない
波瑠が頭悪いマンコにしか見えなくて残念 >>326
悪役とかのし上がろうとしてる感じじゃないからいいんだよ
姫として必死に生きているのが >>230
龍馬伝と清盛と官兵衛と風林火山と良作連発だったのに
八重は京都いくまで >>322
そういやこのエピソードはスルーしたな
ベタ過ぎだからか >>322
これは父親の信秀が家督を誰に譲るかはっきりさせないまま死んで、かつ弟の信勝に有能な家臣を付けたことに対する抗議だったみたいやで。
信勝は信勝で自分が弾正忠家を継ぐものと思い込んでたみたいやし。 染谷の信長の緊張感はクセになる
画面釘付けになるいい役者だねえ まあ沢尻の方が蝮の娘感はあるな、ただしクドくなる
川口で良かったと思うわ 同年中[注釈 1]、『信長公記』[注釈 26]によれば、信行は、岩倉城の織田信安に通じるなどして謀反を企てた[40]。
信行は再び篠木三郷を押領しようとしたが、柴田勝家がこれを信長に密告した[40]。
『信長公記』[注釈 26]によれば、信行は若衆の津々木蔵人を重用し、勝家を蔑ろにしていたのである[51]。
信長が仮病を装うと[40]、信行は11月2日に清洲城へ見舞いに行き、そのまま誘殺されてしまった[40][注釈 27]。
今回の話しは事実なんか
信勝、愚か者じゃのう >>271
ビッグカツの存在はじめて知ったが、駄菓子イカフライのバッタもんみたいなヤツだな >>322
その時のアスペっぷりが天才を証明
戦国時代に宗教などクソの役にも立たないと
実力主義採用してるのと、自分がカリスマになることの起因 >>345
勝家は信勝には力不足だったということか
諌めることができていれば >>271
ハムカツもビッグカツも美味しいのにな(´・ω・`) >>334
自分的に龍馬伝は微妙だった
その後他局で放送したJINの龍馬役が良かったせいかもしれないけど(´・ω・`) >>351
龍馬伝は裏主人公の岩崎弥太郎を楽しむだけの大河 >>345
勝家は稲生の戦いがアレだったからなあ・・・責任を取らされてもしょうが無いとは思う。 >>350
一乗谷城は信長から徹底的に破壊されて残ってないで。50年前までは城下町ごと田畑に埋もれていたらしいし。今は城下町あとは保存&再現されてるけど。
北ノ庄城は朝倉氏滅亡後越前に入った柴田勝家が今の福井県庁付近に建築した城。その北ノ庄城を改築したのが江戸期の福井城。 >>352
最期のパジャマ姿すこw
>>354
なるほど
北ノ庄城のあとに福井城があるのか 麒麟がくる“越前&桶狭間へ” 新たな出演者発表
毛利新介(もうり しんすけ) 今井翼
織田信長の家臣。信長の馬廻として仕え、桶狭間では服部一忠とともに、今川義元に肉薄し、首級をあげた。
佐久間右衛門尉信盛(さくまうえもんのじょう のぶもり) 金子ノブアキ
織田家宿老。信秀、信長に仕え、近江六角氏の征討などに従軍し、軍功をあげた。天正8年に、信長によって高野山に追放される。
山崎吉家(やまざき よしいえ) 榎木孝明
越前・朝倉家の家臣で、朝倉家の重鎮である朝倉宗滴とともに活躍した。宗滴死後、信長との戦いが始まると、主に外交で重要な役割を果たす。
<榎木孝明さんコメント>
山崎吉家は朝倉家に仕えた文武両道の武人で、外交にも長けた人物とありました。そこまで聞くと後は自分の中で自由に魅力的な人物像を作って行こうと思います。
歴史はよく勝者の書き残した歴史とも言われますが、役者も役を如何様にでも膨らませて行ける強みがあります。サバイバルゲームのような下克上の戦国時代を必死で生きる、肚の据わった武将をイメージしています。 >>315 >>288
朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆(越前一向一揆)を平定した功績によって、
越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、1575年(天正3年)に自らの縄張りによって築城を開始する。
城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。
1583年(天正11年)4月の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することになる。
1600年(慶長5年)に家康の次男である結城秀康が関ヶ原の戦いの戦功第一位ということで68万石で北ノ庄を拝領すると、翌1601年(慶長6年)9月には知行割を実施し、築城に着手した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています